第17話 彼の行く先は




「自殺……?」



 私は泣きそうになった。無意識に体が揺れる。方向感覚が定まらなくなっている。

 


 自殺。

 その単語を聞くだけでも、背筋に冷たいものが走る。

 自ら命を絶って死ぬこと。

 それがどれだけ辛いことなのか、想像することもできない。


 それなのに。


 この世界が、【自殺した人でできた世界】……?



『ごめん。こんな話受け入れろ、なんて無茶かもしれない。だけど、凜さんは知らなくちゃいけないんだ。もとの世界に戻るために』


 

「……訳が分かりません」



 私は半泣き状態だった。

 さっきから現実味のない話ばかりされて、頭がパンクしそうだった。



「……もしその話が本当なら、自殺した人たちはどこにいるんですか……?」



 ここには、私たち以外誰もいない。



『人は死んだら思いのエネルギーになるって言っただろう? 自殺した人たちのエネルギーが、この世界そのものを形作っているんだよ』



「……大学も、この部屋も?」



『そう。彼らは生前、自分のことを誰にも分かってもらえなかった人がほとんどだ。人を信用できないんだ。だから、話すことも、動くこともなく、ただこの世界の一部になっているんだよ』


 

 その言葉に、私はベッドから飛び上がった。

 気持ち悪い。


 否定したかった。

 耳を塞ぎたかった。 

 理解することを諦めてしまいたかった。


 でも、彼は私に知らなくちゃいけないと言う。



「……どうして、優さんはそんなことが分かるんですか……?」



 ただの想像でしかないなら、そうあってほしかった。

 でも、優さんの言葉は、揺らぎもせず、確信があるかのように喋るのだ。

 



『僕も、この世界の人たちと同じだからだよ』



 優さんが……同じ……?

 それって……。


 胸が詰まりそうになるのを抑えきれない。

 取り返しがつかないと分かっていながら、私は否定してほしい一心で、問わずにはいられなかった。



「……優さんも、自殺したんですか……?」



『……うん。した』


 

 願いはガラガラと崩れ落ちた。抱えきれない残酷さを残して。

 

 めまいがした。


 どうして……?

 

 受け入れられない。


 人のことを思える優さんが。気遣いができて、優しい優さんが。


  


「……どうして、自殺、なんか……」




 私が裏返った声で尋ねると、優さんはやっぱり、と呟いた。地鳴りのような低い声だった。




『凜さんはここに来ちゃいけなかった。……君はここにいる人たちや僕とは違う。死んでもいない。自殺もしていない。この世界とも、同化はしない。ただ、僕の身勝手な意識に引っ張られて来てしまっただけだ』



 自分を責めるような口調に、私は違うと異を唱えたかった。

 でも、何が違うのか分からなかった。


 

 今の私には、優さんにあげられる言葉がない。

 


『【この世界】を作っている人たちは、皆【いなくなりたい】と思って死んでる。僕もそうだ。……でも、凜さんは違う。ただ【独りになりたい】って思っただけだ。そんな君を僕が巻き込んだ』



 優さんの口調が早口になった。

 まるで、何かを急いでいるようだった。



『だけど、今ならまだ間に合う。凜さんは元の世界に帰れる』




「優さんは?」


 

 切り離すような彼の言い方に、私は思わず声をあげた。


 帰ることを望んでいたはずなのに、「帰れる」と言われても、喜ぶことすらできなかった。


 


「優さんはどうなるの?」



『僕はもうすぐこの世界の一部になる』



 衝撃的な言葉に私は唖然とした。

 【この世界】。

 自殺した人の魂が作り出した世界。

 


 優さんもその一部になる……?



「そんなの嫌」



『凜さん』



「だって何もできないんでしょう!? 誰とも話せないんでしょう!? この世界の一部になるってことは、優さんもそうなっちゃうってことでしょう!?」



 たしなめようとした彼の言葉に、私は駄々をこねるように叫んだ。



「そんなの……寂しすぎる」



 目を瞑って祈るように言う私に、優さんは静かに言った。



『でも、僕もそう望んでるんだよ。……ここに来たときは、君と同じように【独りになりたい】って気持ちだった。……死んだと思ってたのに、病室が見えて、隣には母もいて。僕は死に損なったんだと思った。でも、僕は疲れていた。もう【独りになりたかった】。……でもきっとその時には、僕は自分の体から抜け出ていたんだろうな』



 彼の独り言のような言葉に。

 私はどうすればいいか分からなかった。

 言葉が届かない。こんなに近くにいるのに。

 私の中にいるはずなのに。


 自分の足掻きは無駄だってことは薄々分かっている。

 だって、優さんはもう死んでいるのだから。

 

 戻ることは、できない。

 人は一度死んだら、生き返ることはない。


 そう思った私の脳裏に、一つの懸念が掠めた。

 

 それは、私が一人になった後に嫌というほど考えたことだった。



 



「……優さん。優さんは、一回この世界から出られたんじゃないんですか?」



 私が囁くように言うと、優さんは息を詰まらせた。

 その間で、彼の退路が絶たれていないことを確信した。

 その一瞬の隙を奪われないように、



「どこにいってたんですか? 教えてください!」



 私が悲鳴を上げるように叫ぶと、優さんはつぐんでいた口を開いた。



『……自分の体に一回戻ってた』



「それは、」



 私が震える声で答えを促すと、彼は口を割った。




『僕の体は今、ICUにある。僕はまだ、生死を彷徨っている状態だ』



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