第6話 どこに行くの?


 こ、声が出ない……。


 私は、ガラガラになった喉を押さえながら、誰もいない商店街を歩いていた。


 あれから3時間ぶっつづけで歌った結果、こうなった。

 調子に乗ってしまったことは自覚している。


 「お時間です」という終了のコールもない。店員が来ることもない。つまり何の制限もない状況化で羽目を外しすぎた。

 

 そして、調子に乗ってしまったのは、語りかけてくる優さんの私への対応のせいでもある。

 彼が私が歌うたび、「上手だね」とか「楽しいよ」とか嬉しい言葉を、しかも心の底から言ってくれるから、つい嬉しくなって、曲を入れまくってしまったのだ。

 

 カラオケ店に【優さん】という聞き役をレンタルできるシステムが導入されればいいのに、と一瞬本気で思う。



『楽しかったよ。ありがとう、凜さん』


 

 歩を進める私に、優さんが話しかけてくる。

 自分は一度も歌っていないのに、ありがとう、なんて。


 本当に彼は人が良すぎる。


 私だったら、カラオケに行ったのに歌えないなんて耐えられない。

 まだ私が、人を怖いと思っていなかったとき、大勢でカラオケに行ったことがあった。歌う順番が回ってくるのがあまりに遅すぎていらいらしたんだ。

 今更ながら恥ずかしい。


 自分の人間性を実感して、心が重くなった。せっかく歌って開放感に満たされていたのに。


 そんな私の心の変化を察したのか、優さんが「凜さん」と声をかけてきた。


 

『次はどこに行くの?』



 そう言われて、私は無意識に家のほうへと戻っていることに気付いた。

 電車で高校に通っていたころは、商店街を抜けるのが最短だったのだ。

 いつもは人通りが多く、「いらっしゃいませ」とか「寄ってかないかい」とか、元気なおじさんおばさんの声が轟いているのに、今は見る影もなく寂寞せきばくとした空気が漂っていた。

 まるで、【千と千尋の神隠し】の中に出てくる、千尋の家族が迷い込んだ商店街のようだ。

 

 本当に、私たちは異世界に迷い込んでしまったのかもしれない。

 そう思うと、ふわふわとした不安と、未知なる世界を見てみたいという好奇心が同時に襲ってきた。



 もし、あそこにも人がいないなら……。



 「優さん」



 私は脳内にいる少年の名前を呼んだ。


 彼がうん、と返す。

 私は緊張で震える声で、行きたい場所を言った。



「私の大学に行ってもいいですか」


 

 私は、今まで踏み出せなかった場所へ行こうとしている。

 私にとって、監獄のようだった場所へ。



 私がそう言うと、優さんの雰囲気が変わった。



『僕も行きたい』



 その声も、私と同じように重たい意志を持った、真剣なものに聞こえた。


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