二日目 独りにしないで
第13話 誰もいない
ピッ ピッ ピッ ピッ
規則的な電子音が聞こえる。
これは、ドラマで聞いたことがある……。
病院の心電図の音だ。
そう気づくと同時に、あの波線が直線になったときの、喪失感を思い出す。
この人は、亡くなってしまったんだなって。もうこの世にはいないんだなって。
その隣で、家族や友人が患者の手を握ってお別れを言う姿は、フィクションだけど何度見ても涙を誘う。
……でも、どうして私は今、この音を聴いているのだろう。
何故か聴いていて悲しい気持ちになる。どうしようもなく、不安な気持ちになる。
そう思っているうちに、真っ暗だった視界が急に円状に晴れてきた。
光の中に見えたのは、いくつもの管に繋がれてベッドに横たわった、一人の患者さんの姿だった。
その人は、薄緑色の帽子と服をまとっていて、口には人工呼吸器が装着されており、その顔は見ることができない。
私がその患者さんに近寄って行って、その顔を覗き込もうとしたとき、私の視界は私の意志とは反して遠ざかっていった。
そして、再び暗闇が私を襲った。
私は目を見開いた。
視界に光が入ってくる。
真っ先に見えたのは、三本の木の棒と、木製のタイル張りの床。
……アトリエ?
私は頭の中でぼーっと呟いてから、瞬時に飛び起きた。
「……戻ってない……?」
起き上がった私の視界に映ったのは、私が眠る前に【誰もいない世界】で書いたはずの夕日と海の絵。
その絵が、現実世界にあるはずはない。
ということは、
「私が眠っても、【この世界】は終わらない……?」
自分の考えが打ち砕かれて、頭の中が真っ白になる。
しばらく思考も体も動かず、呆然としていたが、もう一人の片割れの存在を思い出し、彼に話しかける。
「優さん……私たち、元の世界に戻れなかったんですか……?」
答えを待ったが、返事がない。
「……優さん?」
もう一度語りかけてみるが、何の反応もない。今まで受け取ってきた感情の雰囲気みたいなものも感じられない。
【この世界】は終わっていないのに。
「優さん? 返事してください!」
私が頭に手をやって強く語りかけても、やはり何の反応も感じられなかった。
え……? え……? え……?
なんで……? なんで返事がないの……?
もしかして、私のように眠ってるとか……?
そんな考えが浮かんだ途端、私は何の躊躇いもなく自分の頭を掌でばしんと叩いた。
視界がちかちかしそうなくらいの衝撃だったが、そんなのは構ってられなかった。
「優さん? 眠ってるんですか? 起きてくださいっ」
私の悲鳴のような声がアトリエにこだました。
しかし、何の答えもなかった。
「どう、して……?」
どうして、優さんは、何も答えないの……?
急に不安が襲ってきて、私は思わずアトリエを飛び出していた。
急ぎすぎて、落ちていた油取り紙に足が滑り、派手に膝を床に打ち付けた。
でも、今の私はそんな痛みにも構っていられなかった。
いつのまにか図書館のウインドウを通っていた。
昨日と同じようにセキュリティゲートをくぐり受けると、受付カウンターの上に紙切れが置いてあるのが見えた。
昨日私が置いていった紙切れだった。本のナンバーと、「お借りします」の文字は間違いなく私の筆跡だ。
やっぱり、ここは【誰もいない世界】のままだ。戻っていない。
その事実が体中を襲い、膝ががくんと折れた。
私はその場にぺたんと座り込んだ。
戻っていない。
それなのに。
なのに、なんで。
優さんはいないの……?
「優さん」
私の口は無意識に動いていた。
体が酸素を求めるように。
叫ばずにはいられなかった。
「優さん、優さん、優さん!」
お願い。眠ってたって言って。心配かけてごめんね、って、昨日みたいに優しい声で言ってください。
「返事して下さいっ……!!」
紙切れを胸に抱いて、床に投げつけた悲鳴は、空虚に跳ね返ってきただけだった。
……なんで……? ……なんで私だけ?
思考が追い付かなくて、ポケットの重みが私の意識に引っ掛かった。
ポケットのなかに手を突っ込み、中のモノを取り出すと、それはスマホだった。
震える手で、スマホの電源をオンにし、画面を見る。
そして、驚愕した。
私が今開いているのは、ホーム画面。
ダウンロードしたアプリが並んで表示されているはずの画面。
しかし、そこには。
SNSと言えるべきすべてのアプリが消えていた。
昨日の朝、友人のお誘いを知らせていたはずのLINEも。Twitterも。
昨日は確認していなかった。確認する暇もなかった。だって、昨日は優さんと一緒にいたから。
スマホなんて、意識してすらいなかった。
でも今は、スマホの奥にいる誰かを探さずにはいられなかった。
一縷の望み。左下に表示されている電話帳のアイコンが目に入る。
震える指が電話帳のアイコンにかすり、アプリが開く。
そして、表示されたのは、真っ白な画面だった。
家族の電話番号が入っていたはずの電話帳は。
真っ白な空白になっていた。
私の手からスマホがごとりと落ちた。
私は、本当に【独り】になってしまった。
昨日までこの世界は、【誰もいない世界】なんかじゃなかった。
今いる世界が、正真正銘の【誰もいない世界】。
『いっそのこと、最初から独りでいたかった』
そう、私が望んだはずの世界。
だけど。
だけど、こんな世界は。
私は震える手を胸の前で握りしめた。神に祈るように。
明るい緑色の綿タイルにぱたぱたと涙が落ちていく。
優さん。
お願い。帰ってきて。
私を、独りにしないで。
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