第12話 ごめんね。さようなら


「もし、私が眠ってしまったら、【この世界】は終わってしまうんですか?」



 自分で言葉にすると、どんどん確信に変わっていく。



 もし、【この世界】が夢ならいつかは覚める。


 じゃあ、それはいつ?



 そもそも、世界が変わったのはが起きてからだった。



 始まりが【私が起きること】なら、終わりは、―――【私が眠ること】。


 めちゃくちゃだけど、筋は通っているのでは?


 私の考えを肯定するかのように、優さんは押し黙っていた。聡明な彼ならば、私と違う考えがあったら言うはずだ。でもそうしないのは、優さんも私と同じことを考えているってこと……?



 優さんには眠る体がない。

 最初から私達は平等じゃない。


 私には体も心もある。

 でも優さんは心しかない。


 圧倒的に優さんは不利な状態にある。

 それが何故なのかは分からない。


 でもそれは逆に言えば、私が【この世界】を終わらせる主導権を握っているということなのでは?

 この世界が終るか否かは、私次第……?


 

 フル回転する思考に、追いつかない感情。



 そんなのは嫌だ。


 だってそれは……。



 私は筆を取り、もう一度キャンバスに向き直った。ガタンと木の椅子が鳴った。



『凛さん?』



 優さんは驚いたように声を上げた。



「眠りません」



 私は優さんにも自分にも言い聞かせるように、はっきりと言った。



「だって、優さんのやりたいこと、まだ一つもできてない」



 優さんが自分のために、私にしてほしいと言ってくれた唯一のことが、描くことだから。


 だから私は。


 キャンバスを睨み付ける私に、優さんは躊躇うように話しかけてきた。



『……凛さんは、もとの世界に帰りたいと思わないの?』



 その問いかけに一瞬筆が止まる。



「……それは……正直わかりません。だけど、」



 だけど、今確かに言えることは、



「もし、【この世界】が終わってしまうなら……私が眠ることで、この世界が終わるなら、せめてこの絵だけでも完成させてから眠りたいです」



 私達は、【誰もいない世界】を願った。

 そして、今私たちが存在するのは、夢とも現実ともわからない不確かな世界、だけれどそれが叶ってしまった世界。


 そこに、私と優さんだけが存在する。


 【この世界】に来なければ、私は優さんに出会うことはなかった。



 だから。



 せめてこの人に何かを残してあげたい。


 例え目が覚めて、日常に戻ったとしても。大勢いる中の一人として、米粒のような存在になる世界に戻ったとしても。


 ここで感じたことや、経験したことを絶対忘れないために。


 心に刻まれるくらい、優さんと私の繋がりがほしい。



 自分で思って、驚いた。

 

 誰かとの繋がりが切れるくらいなら独りになりたい、なんて今朝思っていた私が、こんなことを思うなんて。



 人の心って、こんなにも変わるんだ。


 

 自分の感情の変化に驚いた。

 

 でも同時に思う。

 

 自分一人では、こんなに変わることはできなかった。

 【この世界】で私は、独りでいて、独りではない。

 

 優さんがいたから、私は思う存分泣くことができたし、誰かに自分の本音を言うことができた。


 全部優さんがくれたものだ。



 私は筆を保つ手に力を込めて、自分の中にいる優さんに語りかける。


 

「ちゃんと見ていてください。私が絵を完成させるまで。私は優さんのために最後まで描きますから」



 そう言って、色彩の波に飛び込もうとしたとき、



『ありがとう』

 


 脳裏で優さんの声がした。その言葉に、私は満たされていた。




 だから、この時、私は気づくことができなかった。


 言葉とは裏腹に、優さんが本当に言いたかったことを。

 【誰もいない世界】で、私に伝えたかったことを。









 朝日がビルの谷間から顔を出し、白い光の輪がひっそりとした街を照らし出す。

 その光はアトリエの中にも届き、淡い光が木のタイルを真っ白に染め上げていた。


 その光を、私は瞼の落ちかかった目でぼんやりと見つめた。私は冷たいタイルの上に横になって、足を投げ出していた。夜を徹してキャンバスに向かっていた体は、眠気が限界に来ているためか、感覚がなくなってきている。



「……朝」



 ぼそりと呟くとともに、重い頭を持ち上げ、日の光に照らされたキャンバスの上に乗った色を見つめる。

 キャンバスに描かれているのは、優さんが選んだ写真を写し取った、夕日と海の絵。

 穏やかなオレンジ色の空と、静かな闇色の海が同化していくようなその絵。

 自分の中でも上手く書けたと思える絵だった。



 自分の力全てを注げた自信があった。その証拠に、もう手がかじかんで動かない。


 私はかすかに残った意識で、自分の中にいる少年に語りかける。



「優、さん……どうですか……?」



 その問いかけに、柔らかな声が返ってくる。



『すごく綺麗。写真よりも、この絵のほうが僕は好きだな』



 私はその言葉を聞いて、思わずふふ、と笑みがこぼれた。



「優さんがけなすことはないと思ってたけど、最後まで褒められっぱなしだったなぁ……」



『本当にきれいだと思ってるよ。この絵は忘れられない。ありがとう』



 優さんは撫でるように囁いた。

 


 そんな声聞かされたら、眠気が増すじゃないですか……。



 私が投げようとした言葉は声にならなかった。

 暖かな空気が足元から上ってくる。

 そのふわふわした空気に、今にも意識が遠のいていきそうになる。



 これで、【誰もいない世界】ともおさらばなのかな……。

 本当に、ここで眠ってしまったら、もう優さんとはお別れなのかな……。



「優さん……私……」



 遠のいていく意識の中で、夕日のオレンジ色だけが目の端に映った。

 

 その光景を最後に、私の視界は完全にブラックアウトした。







『凜さん。君はここにいちゃいけなかったんだ』



 優さんの声が、そう寂しく響いたのは、夢だったのだろうか。



『ごめんね。さようなら』

 

  


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