第31話 独りにしないよ




『ほら。繋がりが切れるのは嫌だろう?』



 どこからともなく声がした。するのは声だけ。私が反応しているのは聴覚だけ。

 でも、それはの声ではない。不確かな感覚のなかで、それだけははっきりとわかった。



 いつのまにか、私は自分の部屋にいた。さっきまで病室にいたはずなのに。


 しかし、どこからか聞こえてくる声は、考える余地を与えないかのように続ける。



『君が最初に考えていた通りだ。繋がりが切れるくらいなら、最初から独りでいたい』



 その声は同情するように優しく問いかけてきた。今の私の孤独にささやきかけるように。



『彼も君の傍からいなくなる。彼だけじゃない。君の親だって、友人だって、いつかは君の傍からいなくなる。彼らのことも、信じられるのは君に優しくしてくれるときだけだ。彼らが本当に君の気持ちを理解してくれなきゃ、君はまた【独りになる】。前みたいにむせび泣いて、閉じこもって、いっそのこと、と思うんだ』



 その声は私の中から響いていた。私のすさんだ心を埋めるように。でも、どこか悲しく、胸が塞がる声で。



『君はもう十分苦しんできたよ。人に傷つけられて、人の目に敏感になって、裏切られて。でもそれは終わらない。これからも続くよ。裏切られて、傷つけられて、最後に絶望するんだ。世界はそう簡単に変わらない。人がいる限り続く。裏切りも罵り合いも。君の心は傷を負い続ける』



 もういいじゃないか、とその声は続けた。



『どうして君が傷つく必要がある? 約束したのに勝手に死んでいく奴のために。身勝手で、君の苦しみに目を向けてくれない人のために』



 その声が投げかけてくるたびに、私の心は電流を受けたようにびりびりと震えた。苦しい。痛い。



『最初から期待なんかしなきゃいいんだよ。誰かに自分を理解されたいなんて、誰かと一緒に生きたいなんて、思わなきゃいい』


 

 その声は、私の声だ。私の中にいる私の声だ。

 生きることに疲れて、裏切られて、傷ついてきた私の分身。

 泣いている私の分身。



『最初から独りでいればいい』



 私が私に投げた言葉は、深く私の心に突き刺さった。じんわりと痛みが広がって、全身が麻痺するかのように、辛く、苦しい思い。


 私は自分の胸に手を当て、そっと語りかけた。



 そうだね。

 そう思ってた。前の私なら。

 


 社交不安症っていう自分の一部も、人の声や仕草に敏感なところも。勝手に傷ついて、勝手に苦しんで。そんな自分が嫌いだった。受け入れられなかった。

 でも、どこかで誰かに理解されたいと思って、誰かにこんな自分を許してほしいと思って、人知れず泣いていた。

 

 あなたは、そんな傷ついた私の一部。



「ごめんね」



 私は私に謝っていた。

 ごめんね。


 私が私を認めてあげていれば、自分自身を許してあげていれば、こんなに苦しい言葉を言わせずに済んだかもしれない。

 こんなに追い詰めさせずに済んだかもしれない。

 


「ねえ、自分の心に正直になろう」



 傷ついて縮こまったもう一人の私が、心の中で私の言葉に反応する。

 私はもう一人の私に向けて、問いかける。



「私が本当に願ってることは、何なのかな?」


 

 【誰もいない世界】で感じた孤独。

 【死にたい】、【いなくなりたい】と思って亡くなった人たちの思い。

 帰ってきた世界で与えられた温もり。

 思われていることで満たされていく心。

 大切な人がいるってこと。


 優さんとした約束。

 一緒に生きるってこと。


 私は全部願ってる。

 なくしたくない大切なもの。


 それを失うのは確かにつらいけど。


 自分からは手放したくない。

 裏切られても、傷ついても。

 またその手を取ればいい。何度でも。何度でも。


 だから、私は自分からは決して。



『「独りになりたくない」』

 

 

 これだけは、確かな気持ち。自分の正直な気持ち。



「私も、私を独りにはしないよ」

 


 ずっと自分と向き合い続けるから。

 傷ついたあなたでも、あなたは私だから。

 受け入れるから。

 だから、もう、独りになりたいなんて思わないで。


 

 


『僕も、君を独りにはしないよ』



 どこからともなく声が聞こえてきた。

 それは、私が聞きたくてたまらなかった声だった。


 え、と頭が真っ白になった瞬間、ぎゅっと右手が握られる感覚がして、私は重い瞼を開いた。


 白いシーツが見える。頭にふかふかの布団の感触。

 ここは……病室。


 そう認識すると、私ははっとして頭を上げた。


 そこには、優さんがいた。

 

 そっと私に微笑みかける優さんが。

 彼はベッドから起き上がって、じっと私を見つめていた。


 私は信じられない思いで目を見開いた。

 ブラインダーから洩れる朝日が眩しい。



「…ゆう、さん……?」



 掠れた声が出た。

 

 今、目の前にいる存在を受け止めきれない。

 眩しくて、待ち焦がれていた笑みを向けられて。

 


「うん、凛さん」

 

 

 待ち焦がれていた声で、私の名を呼ぶ。


 彼は私の手を握った。管に繋がれた両手を、私の手に重ねて握りこんで。

 その温もりに、その存在が確かなのだと分かった。


 

「ただいま」



 まぎれもなく優さんの声だ。

 優さんが、帰ってきた。

 

 体に、力が入らない。

 どうしたらいいのか、分からない。

 嬉しすぎて、胸がいっぱいで、ぐちゃぐちゃで、どうしよう。


 胸いっぱいに広がったものは溢れて、言葉の代わりに涙に変わった。


 

「……優さんっ」



「うん」



「優さんっ……」



「うん。凜さん」



 前にもこんなやり取りをした気がする。

 

 嬉しくて、たまらなくて、私は泣くしかなかった。


 この人の前で、私は泣いてばかりだ。

 でも、その時のどれとも違うのは彼があふれる涙を拭ってくれたことだった。

 その温もりで、私の涙腺はさらに崩壊した。



「ああ、やっぱり泣かせてばかりだなぁ。僕は」


 

 そう言っているのになぜか嬉しそうで。

 ああ、優さんだ。


 私は耐えきれなくなって優さんの首根っこに飛びついた。

 さっきまで意識不明だった重篤患者にしていい行動ではないだろうが、今はそんなことさえも掻き消えた。


 お日様の匂いのする優さんを抱きしめて、その温もりに顔を埋めながら。

 私は鼻をすすって心の底から笑った。




「おかえりなさい」



 




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独りになりたい少年少女 moe @moe1108

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