第8話 統合失調症
『凜さんはここで授業を受けてたんだね』
噛みしめるような声に、私は黙って頷いた。
私は教卓の真ん前の席に座って、濃緑の黒板を見上げる。
私の隣には誰もいない。後ろにも、前にも。
私を見る人は今は誰もいない。
差し込む陽の中に浮かぶ埃がスパンコールのように光っている。
しんみりとした空気の中で、ただ私に語りかけてくる胸の内の存在だけに、静かに意識を向ける。
『凛さんが受けた中で一番面白かった授業って何?』
「え?」
「知りたいんだ。どんな授業があったのかなって」
意味深な言葉だったが、私は顎に手を当てて一年前の出来事に思いを馳せた。
「私の学部はアートを専門にしているんですけど、その中でもデッサンの授業とか、色合いの授業とかが面白かったです。座学じゃなくて実際に自分で描けるし、教授にもアドバイスを貰えるし」
『……そっか。凛さんは芸術系の学生なんだね』
羨ましがっているような気がしたのは、私の思い違いだろうか。
「……優さんは、学部は何なんですか?」
『僕はね、工学部に所属するはずだった』
……はずだった。
その言葉にドキリとした。
それは、きっと彼の片鱗だ。
「人を恐れること」が私のそれであるように。
このまま話を聞いて、彼の片鱗に踏み込んでしまってもいいのだろうか。
それが、正しい選択だろうか。
「……何かあったんですか」
聞いてしまった。踏み込んでしまった。
でも言ってから、自分は後悔していないことに気づいた。
立ち入った内容に自分から踏み込んでいったのはいつ以来だろう。少なくとも、人を怖いと思ってからは一度もできなかった。
それなのに……。
優さんは私の思いを知ってか知らずか、頭の中でくすりと笑う気配をさせた。
『さっき、僕は学校に通ってないって言ったの覚えてる?』
私はゆっくり頷く。
家の前での会話を思い出す。私と同じ境遇だと思った一言。それは忘れたくても忘れられない。
『僕は、大学に入学することができなかったんだ』
ポツリと呟かれた言葉が、脳内を通り越して心を貫いた。
『大学には合格して、手続きもした。でもその前に僕は休学しなくちゃいけなくなって』
「……どうして」
いつの間にか私は尋ねてしまっていた。それが、優さんの根幹に関わっているだろうということは容易に想像できるのに。
案の定、優さんにしては珍しく渋るように間があった。しかし、それは一瞬のことで。
彼は私に投げかけるように言った。
『統合失調症って知ってる?』
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