一日目 独りになりたい
第1話 甘えてるんだ
ベージュ色のカーテンを通して差し込んでくる光が、フローリングの床に光沢の絨毯を作る頃。
一階から聞こえてくる物音が私の脳内を揺らした。そして、緩慢な動きで布団から起き上がる。肌寒い朝の空気に体がブルリと震えた。
枕もとにある赤色のデジタル時計を見ると、既に午前九時を過ぎている。普通の学生や社会人ならば、外に出て活動している時間帯。
だけど、私は再び自分の熱が残る布団に潜り込んだ。重い身体がふかふかのマットレスに沈み込む。
最近はずっとそうだった。気怠い身体が選択するのは、眠ること。レム睡眠でなくてもいい。夢を見なくてもいい。ただ布団に入って、目をつむって、閉ざされた視界の奥に映る暗闇と同化するように、何も考えず、頭を空っぽにすることが、今の私の日常。
体のどこかが悪いわけではない。
医者から安静にしていろと釘を刺されているわけでもない。
問題があるとしたら、きっとそれは心のほう。
私は先日、「社交不安症」と診断された。
当初は聞きなれない病名に首をかしげたが、内心では思い当たる節があった。
つまり「対人恐怖症」。人が怖い。それが私の症状。
最初の兆候は、街の喧騒が自棄に耳につくようになったことだった。
人の喋る声。足音。咳。鼻をすする音。くしゃみ。私の頭が勝手にその音を拾うのだ。
その中でも耳につく音は、人同士の会話だった。
電車に乗っているとき、大学で講義を受けているとき、街を歩いているとき。どんな時でも、私の耳は自動的に人の会話を拾っていた。そして、それが酷く怖かった。
私のことを話しているのではないか。何か迷惑になることを、私が気づかないうちにしてしまっているのではないか。
そう考えだしたら止まらなくなった。どんどん負の思考の深みにはまり、私は自分自身を追い込むようになった。
そして、いつの日か、その状態から抜け出せなくなった。誰もかれもが、自分を嫌っているのではないか。私はいないほうがいい存在じゃないか。
その考えに行き着いたころ、私は外出ができなくなった。人と会うことが、接することが怖くて、外に出られなくなった。
見かねた母が心配してメンタルクリニックに連れていき、そこで私は「社交不安症」だと申告を受けた。
私は病気なのか、と思った。その一方で、そんなはずはない、とも。
こんなのが病気なわけがないと、私は病気なんかじゃないと思ったのだ。
だって、病気っていうのは、お腹が痛いとか、癌とか、そういうものでしょ?
「人が怖いだけの私」が、どうして病気なんて言えるの?
『甘えてるんだ』
胸の中をその言葉が占めた。
そうか。私は甘えているのか。
社会に、周りの人に、親に。
そう思えば思うほど、自分の思考は泥沼化していって。
病気だと診断されてから、私はもっと自分が嫌いになった。
布団のシーツの白が眩しい。
私は布団の中でうずくまりながら、ぼうっと目を細める。
この数日で、たどり着いた考えがある。それは何も考えないこと。
人が怖いことも、自分が病気だということも、何もかも忘れて、ただただ眠りにつく。
眠っていれば、別の世界に行ける。夢という私とは関係ない世界が。私の意志とは全く関係ない世界が広がる。そして、起きたときには内容なんてほとんど忘れている。そんな世界が、今の私には心地よかった。
目を瞑ると、その世界へといざなわれる感覚が襲ってくる。
「凛! 今何時だと思ってるの!? 早く起きなさい!」
突然、私の部屋のドアが開かれ、母の怒号が響いた。私の意識は現実に引き戻されてしまった。
「早く起きて朝御飯食べなさい! 薬も飲まないといけないんだから。それに学校行かないなら、せめて家の手伝いでもしてちょうだいよ」
母が私の布団をはぎ取ろうとしながら怒鳴った。その声は私の半覚醒状態の神経を逆なでした。
うるさい。
母にとって今の私は邪魔者でしかない。
学校に行けもしない、社会不適合者。
考えたくもないのに、思考がフル回転して、どろどろとした感情が溢れてくる。
だから、嫌いなんだ。私は、私が。
どうしよう、泣きそう。
急にぐちゃぐちゃになった胸の中を隠したくて、私は母の手から布団を奪い返して頭からかぶった。
「凛!」
母が金切り声を挙げて叱る。
駄目だ。もう聞きたくない。
「出てってよ!」
私の叫びは布団の中にこだました。
その声は自分自身をえぐった。
布団を引っ張る力がなくなったかと思うと、ばたんと荒々しくドアが閉まる音がした。
同時に私の涙腺が崩壊した。
本当に自分が嫌い。
親にも、負の感情をぶつけることしかできない。
こうして縮こまることしかできない。
何もできないなら、生きている意味なんてない。
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