第2話 僕もだよ


 悲嘆な思いを消化できないまま、額をグリグリと枕に押し付けていると、傍らに置いてあるスマホがピロンと鳴った。手を伸ばして画面を見ると、大学の友人の彩花からのLINEメッセージだった。


 しかしそれは、私に直接宛てられたメッセージではなく、大学の友人で構成されたLINEグループに宛てたものだった。



【今日の1限休講になったー!  誰か時間空いてる?  カラオケ行こー!】



 きっと彩花のLINEには既読1の表示がされているはずだ。それでも、私には返事ができない。


 しかし、私が躊躇う間もなく、誰かが反応した。最近流行りのパンダのキャラクターがOKとマルを作っているスタンプが、ラインの画面上にあがった。

 それを見て、私はスマホを枕もとに放り投げた。それでもスマホはぴろんぴろんと私を介さないメッセージの更新を知らせる。ひどく虚しかった。

 


 きっと、私はお呼びでない。

 外に出れない私など。

 皆にとって私は、大学に通っていない変わった友人で、きっといつかは存在さえも薄れてしまうんだろう。そして、忘れられる。


 人が怖い自分が恨めしい。憎い。


 どんどん人とのつながりが切れていって、いつか私は本当に一人になってしまうかもしれない。


 そんな糸がぷつんぷつんと切れていく過程を実感するくらいなら。

 忘れ去られることを味わなければならないのなら。


 いっそのこと、最初から独りでいたかった。



 卑屈になっている自分を把握していながら、それでも止められない思いはその願いをいっそう強くして。

 私は枕を涙で濡らしながら目を閉じた。


 暗闇が私を覆った。



『僕もだよ』



 脳内に、男の子の声が木霊した。

 いつもの、消えてなくなる夢を見ているのだと思った。


 でも、それにしてははっきりとした声で。

 実際に現実で耳にしているような。

 頭の中が、その声に支配されているような。

 私の内側から湧いているような。


 そして、何より気になったのは、その声が、何故か胸の苦しくなるような響きをしていたことだった。



 その苦しさに引っ張られるように、私の意識は現実へと引き戻された。

 まどろみから目覚め、マットレスから重い腰を上げる。

 目の前に飛び込んできたのは、締め切られたベージュ色のカーテン。いつもの私の部屋の光景。


 

 あの声は夢、だったのかな。



『ここは、どこ?』



 私は驚いて言葉を失った。


 またさっきと同じ声が、はっきりと私の内側から、つまり、脳から聞こえてきたのだ。


イヤホンから流れる音楽のように私の中に響いてきたのだ。


……え?  え? ……え?



『病室じゃない部屋が見える……。ベージュのカーテン? 白い布団は変わらないけど』



 言葉とは裏腹に落ち着いた声が響いた。私と同じように混乱しているけれど、それでも思考は置き去りにしていないような声音だった。


 でも私はそんなこと、お構いなしに混乱した。

 だって、こんなの変だ。

 私の中から私ではない人の声が聞こえてくるなんて。

 私が知り合いの男の子との会話を思い出しているわけでもない。私の思考を置いて、勝手に声が響くのだ。

 訳が分からなくて頭を押さえる。


 不意にメンタルクリニックで受けたアンケートの内容を思い出した。


【知らない声が聞こえたり、誰もいないのに物音がしたりしますか?】


 その問いの最後に(幻聴)と書かれていた。



なら、これは、幻聴……?



『確かに幻聴かも。女の子の声が聞こえるし。幻聴と幻覚、なら、症状が悪化したのかな……』


 私は息をのんだ。

 まるで私の考えに答えるようで、本当に人と会話をしているようで。


 幻聴って、こんな会話みたいなものなの……?


 私は信じられなくて、思わずその声に問いかけてしまった。



「……あの、すみません……私の声が聞こえたりしますか……?」



 心の中の声が息をのむのが分かった。その感覚に私も息を呑んだ。私の中にもう一人の人間が生きているような生々しさだった。



『……聞こえるよ。……君には、僕の声が聞こえてる?』



 恐る恐るといったように慎重に紡がれた声に、私も神妙な気持ちになって側頭部に手をあてた。


「……聞こえてます。あの、これは幻聴なんでしょうか」



 幻聴に幻聴なのかと問うなんておかしなことだとは思った。だけど尋ねずにはいられなかった。



『……僕も幻聴だと思ってたんだけどね。でもこんなはっきり会話するような幻聴は初めてだし、それに』



 男の子の声は一瞬途切れて、息を吸い込むのが分かった。



『僕はさっきまで病室にいたはずなんだけど、今は見たことない部屋にいるんだ。極めつけに、身体が動かない』



 そう言われて、私は思わずきょろきょろと自分の部屋を見渡した。


『あ、視界が変わった。……もしかして君、今動いてる?』


「えっと……はい。頭を動かしましたけど」


『……そっか』



 そう言った後、声は途切れた。

 けれど、私の思考は動きつづける。パニックにならないのが不思議なくらいだった。


 何が起こっているんだろう? これは、夢?


 私でない誰かが中にいる。しかも異性の男の子が。


 でも、広がる光景はまぎれもなく私の部屋で。

 

 なんて生々しい夢だろう。



 私は白昼夢を見ているような気分になりながら、布団から抜け出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る