第15話 独りにしてごめん



「……ゆう、さん……?」



『うん。独りにしてごめん』


 

 彼は、昨日までずっと聞き続けてきた声で言った。


 柔らかくて。

 優しくて。

 頭の中を撫でるような声。


 ごめんの「ん」の文字だけが頭の中に残って、でもそれで、―――溢れた。



「優さん」



『うん』



「優さん」



『うん』



「……ゆう……さんっ……」



『ここにいるよ』



 喉がきゅうと閉まるのが分かった。また嗚咽になると分かっても、止められなかった。

 涙が頬を伝う。ぽろぽろと目尻から溢れては、布団に染みを作る。


 私は何度も何度も彼の名前を呼んだ。彼がいることを確かめたかった。

 そのたびに優さんは答えてくれた。

 私はこみあげてくる衝動を抑えきれなくなって、頭の上にあった枕にしがみついた。

 優さんに体があったら良かった。そしたら、抱きしめられるのに。引き留められるのに。

 

 その代わりに、私は赤ん坊のように駄々をこねて、行かないで、と叫んだ。

 

 そのたびに優さんは、私の頭を撫でるようにごめんね、ごめんねと何度も謝った。

 


 叶うなら、ずっと応え続けてほしい、と思った。






『落ち着いた?』



 私はティッシュで鼻をかみながら、はい、と頷いた。

 

 私が、涙を拭いたり、めちゃくちゃになった顔を処理している間も、優さんは根気強く待っていてくれていた。


 散々泣き喚いた後、寂しさとかいろんな感情が去って、残ったのは安心感だった。


 自分は独りじゃないんだ。


さっきまでの空虚な心が嘘のように塞がっているのを感じる。


 優さんの前で泣いたのは、これで二度目だ。20歳にもなって恥ずかしいなんて思いは、安心感の中に埋もれた。

 

 喉の痙攣もおさまって、ようやくまともに喋れるようになったのを見計らってか、優さんがゆっくりと話しかけてきた。



『元の世界には、戻れなかったんだね』



「……はい。私が起きてもそのままで……」

 


 そう言ってから、私は一番気になっていたことを優さんに投げかけた。



「……優さんはどこに行ってたんですか? 起きたら優さんがいなくなってて……これも、私が見ている夢ですか?」



 再び不安になって語気が読まる私に、優さんは申し訳なさそうにまた、ごめんね、と言った。



『夢じゃないよ。それは確かなんだ』


 

 優さんは、はっきりと言った。


 昨日は夢か現実なのか分からないと言っていたけど、何か分かったんだろうか。

 

 

「……じゃあ、なんで優さんはいなくなっちゃったんですか」



 責めるような口調になってしまった。

 そして、優さんは息を詰まらせた。


 少し言い過ぎただろうか、と私はその様子を感じ取って後悔したが、でも、知りたい気持ちは変わらなかった.。


 

 私に申し訳ない気持ちを抱いていると思っていたが、渋っていた優さんがやっとの思いで口にしたのは、私への返事ではなかった。



『……凜さんは、この世界に来るはずじゃなかったんだ』



…………え?



 訳が分からなかった。だって、私が「独りになりたい」と思って、この世界に来てしまったはずだ。

 それなのに、どうして、優さんはそうなるはずはなかった、なんて言うの……?



「……どういう、ことですか……?」



 私の恐る恐るの問いかけに、優さんはまた渋った。

 私は不安になった。こんなに優さんが言葉を濁すなんてこと、初めてだから。


 それだけ、言いにくいことがあるの?


 何を、言われるの……?


 私の額に汗が伝った。

 


 そして、彼は一音一音を詰まらせながら言った。



『君をこの世界に縛っているのは…………僕なんだよ』



 優さんの言っている意味が分からなかった。でも、優さんの声で、彼が今にも泣きだしそうなことだけは伝わってきて。

 


 ……優さんが、私を、縛っている? この世界に……?



 私は言うべき言葉をなくした。思考が追い付かなかった。

 


 

 そして、彼は、そんな私に追い打ちをかけるように言った。

 それは、彼が言った中で一番衝撃的な言葉だった。






『僕は、木境優は、もう死んでるんだ』



 

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