第9話「反撃への狼煙」

 真っ白な雪を染める、血の赤。

 摺木統矢スルギトウヤの眼の前で今、一人の女性が息絶えた。それは、ラスカ・ランシングの母親だった人である。

 ラスカは震える手で、どうにか母親のまぶたを閉じる。

 次いで、胸の上に両手を揃えてやると、彼女は燃える瞳で振り返った。

 そこには、対ビーム用クロークをマント状にまとった、89式【幻雷げんらい改型四号機かいがたよんごうきたたずんでいる。以前と変わらず、極端なピーキーチューンのネイキッドで、装甲を削ぎ落とした細身の機体とは思えぬ音が腹に響いた。


『乗れよ、乗っちまえ! ラスカ、お前さんにもう安住の地なんざねえ! それは俺も同じだ! 俺は戦う、このクソみてえな戦争を終らせる。お前はどうする、ラスカ・ランシング!』


 巨大なショットガンを構えて、漆黒の機体が叫ぶ。

 改型零号機かいがたゼロごうきを操る、五百雀辰馬イオジャクタツマの声はたぎっていた。彼自身が優れたリーダーの資質を有しており、頼れる小隊長だったことを統矢は忘れない。だが、どこか優男やさおとこ風の軟派なところ、涙もろいところを彼はすでに感じさせなかった。

 外部スピーカーから叫ばれた辰馬の声に、ラスカは顔をあげた。


「……統矢、離れてて。れんふぁも」

「お、おいっ、ラスカ!」

「離れてて! 機体のフルパワーで吹き飛ばされるわよ!」


 ラスカの空色の瞳は今、満天の星空のように光が揺れていた。

 だが、それをこぼすこと無く彼女は走る。

 ハッチを開けて待つ、己の分身……亡き愛犬の名で呼ぶ、くれないのパンツァー・モータロイドへと。

 コクピットのハッチから垂れ下がるケーブルをつかんで、彼女は一度だけ振り向いた。


「さよなら、ママ……最後までアタシのこと、見つけてくれなかったね。でも、天国ではパパを見つけてあげて。アタシは多分、天国には行けないから」


 更紗さらされんふぁを守りながら、統矢は改型四号機から距離を取る。

 すすり泣く乙女のように、常温Gx炉じょうおんジンキ・リアクターが金切り声を叫んだ。

 ラスカの改型四号機は、通常の機体とはセッティングが大きく異なる。汎用陸戦兵器であるPMRパメラは、乗り手が未習熟な女子供であることを想定した兵器だ。この世界は少し前まで、パラレイドと呼称する謎の敵と永久戦争をやっていたのである。扱う人間が素人しろうとと仮定して、PMRは人の姿をかたどっている。

 ある程度思った通りに動く、念じるままに戦える兵器は、それゆえに人型をしているのだ。

 だが、ラスカの改型四号機は、違う。


『そうだ、戦えラスカ! お互い地獄行きでも、見知らぬ誰かが笑って暮らせらあ! ……あいつも多分、天国でそう思ってるからよ』

『フン! 言われなくても! 辰馬、敵が来たわ……アタシが喰っちゃっていいのよね?』

『改型四号機、この際だからカリッカリにチューンしてある……スッ転ぶなよ』

『誰がっ! 行くわよ、アルレイン!』


 バイザー状の顔に光を走らせ、改型四号機が身構える。

 敵は航空戦力を惜しみなく投入してきた。飛行形態への変形機構を持つエンジェル級、バルトロマイだ。有人操縦の人型のタイプで、中でも一番厄介やっかいな機体である。

 三機のバルトロマイは編隊を組んだまま、飛行形態に手足だけを生やさせる。

 丁度、戦闘機に腕と脚がぶら下がった格好になった。

 どうやら中間形態では、ホバリングしての対地攻撃がやりやすいらしい。ガンポッドを構える先では、ラスカの改型二号機が両腰から単分子結晶たんぶんしけっしょうの大型ダガーを抜き放つ。

 安全圏までれんふぁを連れ出してから、統矢は戦場を振り返った。

 辰馬の改型零号機は、様子を見るように距離を取っている。

 そして、三機のバルトロマイが一斉に攻撃を開始した。


「統矢さんっ! いくらラスカちゃんでも!」

「あ、いや……あいつにそういう心配はいらないさ。ただ……こんな形で戦場に戻るなんて。クソッ! 俺達が迂闊うかつだったんだ。連中は俺等をおびき出すえさとして、ラスカ達を使ってたんだ!」

「……統矢、さん」


 悔しさに握るこぶしが、爪の食い込む痛みを圧縮してゆく。

 レイル・スルールからラスカの生存を聞いた時、安堵が込み上げた。再び戦うにしろ、そうでないにしろ、会いたいと思った。無事を祝えるほど楽観できないにしろ、かつての戦友にただ会いたかったのだ。

 それがこんな結果を生み、戦場にラスカを立たせている。

 そして、もう一つ……この場に統矢が現れるのを待っていたのは、当局だけではない。もしや、ウロボロスの辰馬達もこの機会をうかがっていたのではないだろうか? そう考えると、廣島ひろしまで救ってくれた渡良瀬沙菊ワタラセサギクのことも思い出される。

 この惑星ほしの、この時代の人間の、最後の反抗が始まったのだ。


『統矢っ、見てなさい! アタシはフェンリル小隊のエースッ! そして連中はまだ、敵! ママの平穏を奪った奴は、なんであれアタシの敵なのよっ!』


 三方向から包囲しつつある敵に対して、ラスカは全く躊躇ちゅうちょを見せなかった。

 ここ数ヶ月、愛機から遠ざかっていた人間の反応速度ではない。常に戦場にいたかのような、研ぎ澄まされた苛烈な殺意が機体を操る。

 そう、恐らく彼女はメイドのフリをして、守っていた。

 戦争犯罪者である自分との暮らしを再開させた、母親を。

 使用人達が去ったあとも、ずっと母親を守っていたのだ。


『まずっ、一つ!』


 改型四号機が、棚引たなびかせる対ビーム用クロークを脱ぎ捨てた。それを投げつけられて、包囲の一角が減速する。戦闘機形態は、長らく地球上ではすたれた兵器としての航空機そのものなのがバルトロマイである。当然、手足を出していてもコクピットはキャノピー越しの有視界戦闘である。

 そのコクピットを覆うように、巨大な布地が投げられた。

 突然の闇に覆われたバルトロマイは減速を選んだ。

 次の瞬間には、疾駆する改型四号機が大型ダガーで敵を両断していた。


『次っ、二つ!』


 あっさり包囲が突破され、味方が撃墜された。そのことに敵が動揺した瞬間だった。

 改型四号機は、全身に装備された対装甲炸裂刃アーマー・パニッシャーを抜き放った。忍者が使う苦無くないのような武器で、指の間にずらりと並べた刃をラスカは投擲とうてきする。

 荒れ狂う刀身の嵐に包まれ、あっという間に二機目のバルトロマイが動きを鈍らせる。上昇しつつ変形を試みようとしたが、そこにラスカの残忍さと冷酷さがあった。

 高度を取って人型に変形しょうとしたが、バルトロマイはきしんで悲鳴をあげる。

 投擲されて突き立った対装甲炸裂刃が、引っかかっているのだ。

 変形に必要な各パーツの移動を、食い込む刃が阻害している。

 それを狙ってやれる人間が、ラスカ・ランシングなのだ。


『見え見えだっての! 次っ!』


 ラスカが二機目を両断したところで、爆音が響く。

 咄嗟とっさに統矢は、れんふぁを押し倒して身をかぶせた。衝撃波が周囲を襲い、辺鄙へんぴながらも町中だということを忘れそうになる。

 流石さすがにラスカも、三機目のバルトロマイを追撃するのを控えた。

 強力な援護射撃が、かなりの近さから放たれた衝撃だ。

 既に町は戦場……どうやら新地球帝國にとっては、市民の安全など二の次らしい。それもそのはず、連中はDUSTERダスター能力者を欲しているのだ。DUSTER能力は、九死に一生を得た人間にしか生まれない。統矢達が手をこまねいていれば、この地球でDUSTER能力者を生み育てるためだけの実験戦争プラクティスが行われるのだ。それも、際限なく。


『っし、そろそろ手伝うか? ラスカ!』

『うっさいわね、辰馬! ……アンタ、桔梗キキョウはどうしたのよ。誰がアンタの面倒見るって訳?』

『……あいつは、もういない。だから、俺はもう戦いに迷わずに済むのさ』

『……あっ、そ。フン、気に入らないわね。敵はどこ? どこから撃って――』


 砲声のする方を、統矢は振り返った。

 そこには、不格好な飛べない鳥にも似た姿が砲を並べている。

 かつて人類同盟じんるいどうめいでつけていたコードネームは、アナスタシア。

 悲劇の皇女の名を持つエンジェル級は、さながら二足歩行する大砲の山である。一歩を踏み締めるだけでも、大地は悲鳴をあげてひび割れた。

 一方的な砲撃が、町ごとラスカ達を攻撃してゆく。

 だが、その猛攻も長くは続かなかった。


『……辰馬隊長、ラスカ殿の回収は完了でありますか』


 暗い声が低く響く。

 空気の振動に冷たさが潜んで、鋭く尖った殺気を放っていた。

 上空から突然、イエローに塗られたPMRが降下してくる。見れば、巨大な飛行船が浮かんでいた。以前、統矢達も母艦としていた高高度巡航輸送艦こうこうどじゅんこうゆそうかん羅臼らうすである。

 羅臼から放たれた機体は、沙菊の改型伍号機かいがたごごうきだ。

 だが、その姿は以前の質実剛健といった重武装ではなかった。もともと予備機だった改型伍号機は、防御力に重点を置いた上で、両肩の88mmミリカノン砲による支援攻撃を主眼においていた。

 だが、今の改型伍号機は人のシルエットすら脱ぎ捨てたかのように禍々まがまがしい。

 肥大化して長い両手は、よく見れば五百雀千雪の【ディープスノー】のものと同じようだ。アンバランスなスタイルの改型伍号機は、着地と同時に長い腕で大地を掴む。


測距そっきょデータ、諸元入力しょげんにゅうりょく……48cmセンチ砲、展開』


 四つん這いのような態勢で、改型伍号機の右肩に巨大過ぎる砲身が展開してゆく。折り畳まれて背中に背負っていた、48cm砲だ。恐らく、有質量弾頭を使用する砲としては、PMRが装備しうる中でも最強の火力かもしれない。

 それはかつて、大昔の世界最大の戦艦に主砲として搭載された口径である。

 改型伍号機の何倍もの長さの大砲が、敵をにらんで真っ直ぐに伸びた。

 統矢はすぐに、顔をあげかけたれんふぁを再び抱き締め地に伏せる。


『……必殺必中……ファイア、であります』


 轟音が突き抜けた。

 改型伍号機の不格好な両腕は、主砲を使うために改修されたのだ。ああして地面を掴んだ態勢でなければ、巨砲を発射することができないのだ。

 火山の噴火にも似た空気の沸騰は、そのまま臨界を迎えて煮え滾る。

 前時代的ですらある大艦巨砲主義の直撃を受けて、アナスタシアは爆散した。


「おいおい……あんな乗り方する奴じゃなかったろ、沙菊は」

「あっ、統矢さん! 黒いのが……改型零号機が」


 顔をあげた統矢は、風圧に目を庇う。れんふぁの言う通り、辰馬の乗る改型零号機が間近で二人を見下ろしていた。重力制御システムで飛行能力を得た機体は、全身に応急処置として巻かれたスキンテープが揺れている。まるで負傷者を包む包帯のようだ。

 沙菊がアナスタシアを破壊する間に、辰馬も残ったバルトロマイを片付けていたのだ。

 ゆっくり着地して手を伸べる漆黒の機体に、統矢はれんふぁの頷きを拾って歩み出す。

 反乱軍と化したウロボロスの、本格的な蜂起が今まさに始まろうとしているのだった。

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