第16話「陽も差さぬ海の底にて」
深く、深く、海の底へ。
だが、流入した海水の排水が始まった
コクピットのハッチを開放する
「クソッ! ……
狭いコクピットを這い出て、キャットウォークの上で振り返る。
生まれ変わった97式【
正真正銘、最後の【氷蓮】である。
予備のパーツがないことなど、昔からザラだった。おそらく今、この地上で完全稼働している【氷蓮】は、この一機のみかもしれない。平行世界の未来の同型機、もう一人のトウヤが
操縦性は、圧倒的な爆発力はそのままに、格段に使いやすい。
フレームレベルで再調整され、新品同様へと生まれ変わった愛機がそこにはあった。
「頼むぜ、【氷蓮】……俺の、愛機。お前をりんなに返すのは、まだ先だ。それまで……俺を、奴と……自分と戦わせてくれ」
物言わぬ相棒はただ、濡れた装甲を輝かせながら立ち尽くしている。
整備員が機体の洗浄にやってきたので、ケーブルを使って統矢は格納庫へと降りた。まだ濡れた床を、右に左にと作業員が走っている。
カートに載せられた弾薬やパーツ、そして推進剤のケーブルが行き来していた。
活気に満ちた周囲の中で、統矢を呼ぶ声が駆けてくる。
「統矢さーんっ! 無事ですかぁ? あっ、あの、さっき【
人類同盟の士官服に着替えた、更紗れんふぁが駆け寄ってきた。
そして、配線につまずいて派手に転びそうになる。
パイロットスーツ越しでも、れんふぁの体温を感じれば実感する……自分はまだ、生きている。そして、いつ死んでもおかしくない戦場を生き抜いてきたと。
思わず抱き締める手に力が入ってしまったが、慌てて二人は弾かれるように離れた。
顔を真赤にしながらも、おずおずとれんふぁはドリンクのボトルを差し出してくる。
「お疲れ様でしたぁ。で、その……」
「【樹雷皇】は連中に……パラレイドに回収されていた。さっき、戦ったけどさ……改めて敵になるとキツいな。まさに無敵の空飛ぶ要塞だ。しかも」
「しかも……?」
「桔梗先輩が乗ってた。コアユニットとして、先輩の89式【
れんふぁは口に両手を当て、息を飲んだ。
それっきり黙ってしまう。
無理もない……れんふぁは統矢と共に、【樹雷皇】の恐ろしさを最も知る人間の一人なのだ。彼女と二人でコントロールする、人類の希望にして最後の剣。だが、世界樹の名を冠した無敵の最終兵器は、今は反乱軍に突きつけられた
「……【樹雷皇】も、でも……
「ユグドラシル・システム、
「このサイズの
「グラビティ・ケイジを最小サイズに分厚く
「えっ!? で、でもぉ、基本推進力はロケットモーターだよ? 水中じゃ」
「俺なら、やる。俺ができるなら、奴も……あのトウヤも、それくらいは考えるだろうさ」
だが、頭上から追撃してくる気配はない。
この状況で天城が追撃を受ければ、それこそ万事休すだ。
水中では【樹雷皇】の戦闘力も大きくダウンするが、それでも鈍重な戦艦とは
それに、こちらには容易に反撃できぬ理由ができてしまった。
死んだと思われていた
「コントロールユニットのパンツァー・モータロイドを傷つけず、本体側のコクピットだけを潰せるか? 位置的にかなり厳しい、か」
「統矢さん……あ、あのっ! わたしが行けば……わたしが直接、本体側のコクピットに乗り込めば、取り返せるかも」
「それは駄目だっ!」
ビクリ! とれんふぁが身を震わせた。
思わず大きな声を
統矢は一度深呼吸して、
「すまん、でも……れんふぁを危険な目には合わせられない。そこには今、奴が……トウヤが乗っている。お前の
「……でも、だからこそ、わたしがやらなきゃ。わたしには全てが、他人事じゃないから」
「それでも、さ。俺は
納得した様子ではないが、れんふぁは小さく
最悪、【樹雷皇】は諦めるしかないかもしれない。人類最強の戦力は、敵に渡したままではおけない。あれは、この時代の人類に向けられてはいけない力なのだ。
それに、優先すべきは桔梗の命……その時は、統矢は完全にそう信じていた。
背後で、ラスカ・ランシングの声が叫ばれる、その瞬間までは。
「ちょっと、
振り向くと、格納庫の奥で赤いパイロットスーツが
背後から
顔を覆う解れた包帯の奥で、眼光が暗い炎を灯している。
慌てて駆け寄る統矢は、信じられない言葉を聴く。
「【樹雷皇】は捨てておけねえ……完全にこれを破壊、殲滅する」
血を吐くような言葉だった。
低くくぐもった、だがはっきりと発せられた声。
それでも、ラスカは引き下がらない。
「それはいいわ、手伝うっていってるの! でもアンタねぇ……桔梗はどうなるのよ!」
「落ち着くであります、ラスカ殿。救出は不可能であります。【樹雷皇】を相手に、コントロールユニットのみを取り戻すのは、無理ですからして」
「うっさいわね! 放しなさいよ! アンタも見殺しにするの!?」
「見殺しだなんて……自分なら真っ先に、改型弐号機を精密砲撃するであります。これなら、最小限の被害で撃破できる可能性が――」
「このっ、バカチンッ!」
「――ふぎっ!?」
ラスカは、背後の沙菊へと頭突きを食らわした。
そうして拘束を振りほどくと、辰馬の
「落ち着けよ、ラスカ」
「どうやって!」
「……さっきの声が、本物の桔梗だという確信は?」
「アンタが一番わかってんでしょ!」
「だな……ありゃ、本物だ。間違いねえ……けど、今は敵だ。利用されているにしろ、排除しねえと先に進めねえよ」
「先? 先に進むですって? アンタ、どこに行こうとしてんのよっ!」
悲痛なラスカの叫びに、とうとう統矢は走り出していた。
その手が自然と、拳を握る。
ありったけの言葉が今、食い込む爪の痛みへ凝縮されてゆく。
だが、すぐ横を走る影が、振りかぶった拳を振り上げ統矢を抜き去った。
怒りに震える拳は、思い出したように開かれる。
パシィン! と乾いた音が、格納庫の中に鳴り響いた。
「……
思わず統矢も立ち止まる。
怒りの平手打ちを食らわせたのは、
彼女は涙目だったが、決して泣き出したりはしなかった。
「辰馬っ! 自分、格好悪いやないの! ええ? なんや、天下のフェンリル小隊隊長も、えろう
「……俺達は、戦争をしてるんだぜ? 次は俺の部下が、仲間が、この
「それでもや!
辰馬にぶら下がったままのラスカが、思わず
「ウチは
格納庫を静寂が支配した。
そして、
他ならぬ辰馬が、冷酷を装うことで目をそむけていたのだ。
そうしなければ
共に死線をくぐり抜けてきた統矢には、それがよくわかった。
だから、そっとラスカを振り払う辰馬に、大きく頷く。
「……桔梗は、生きて俺たちの邪魔になるくらいなら、自ら死を選ぶ。そういう女なんだよ。重いだろ? 背に傷を背負って生きる女の、それが
包帯で覆った顔の表情は、見えない。
だが、統矢にはいつもの小隊長の笑みがあるような気がした。
「そういう馬鹿なとこがかわいいって……言ってやらなきゃ治らねえよな、あの石頭は。……統矢、ラスカ、沙霧……あと、瑠璃。俺に力を貸してくれるか?」
誰もが黙って頷いた。
他のパイロットたちや、居並ぶ整備員も気持ちは同じだった。
暗い深海の底に、今……誓いの火が灯った瞬間だった。
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