第11話「絶血の中の船出」

 かつて、日本皇国海軍聯合艦隊にほんこうこくかいぐんれんごうかんたいが母港の一つとした、大湊おおみなと……軍港である基地は今、完膚かんぷなきまでに破壊されていた。

 だが、羅臼らうすを降りて渡良瀬沙菊ワタラセサギクに案内され、その認識は改まる。

 地下へと降りると、摺木統矢スルギトウヤを奇妙な熱気と活気が出迎えた。


「そうか、地下施設……地上と艦隊がやられても、こっちは比較的被害が少ない」

「そうであります。……まあ、かなりの死傷者が出ましたが」


 相変わらず沙菊は、淡々と抑揚よくようのない言葉を放ってくる。

 そこに以前の、子犬のような人懐ひとなつっこい面影おもかげは微塵もない。まるで、沙菊の姿をした機械が動いているようだ。先程、ラスカ・ランシングが激怒したのも無理からぬ話である。

 沙菊は生きていた。

 というよりは、に見えてしまう。

 体温を感じさせぬ、傷だらけの少女に胸が痛んだ。


「な、なあ、沙菊」

「なんでありますか? ああ、千雪チユキ殿ならすでに、れんふぁ殿とこちらに移送済みでありますからして」

「いや、そうじゃなくて……お前、さ。なんか変だぞ、やっぱり。なにがあったんだ?」

「……特に、なにも。治療と訓練を受けたであります。自分は……あれだけの目にあっても、DUSTERダスター能力を得られなかったので」


 とても暗い、冷たい言葉だ。

 統矢には漠然ばくぜんとだが、沙菊が味わった恐怖と絶望が想像できた。

 同時に、周囲の兵士達にも奇妙な雰囲気が広がっているのに気づく。皆、優しい顔をしていた。泣いている者もいた。大半が怪我人で、大きく分けて二種類の人間がいる。

 と、だ。

 今、秘匿機関ひとくきかんウロボロスを中心とする反乱軍が、二つに割れようとしているのだ。

 去る者を皆、温かく見送りなぐさめている。

 恐らく、最後の決戦が始まるのだ。

 その前に、戦いを抜ける者がいる。

 皆、残り少ないであろう物資を融通し合って、なるべく去る者へと持たせてやっている。反乱軍となったからには、補給や兵站へいたんは苦しいはずなのに、だ。


「……なあ、沙菊。お前は……降りないのか? この戦いから」

「自分が、でありますか? 当然、戦闘の続行、参加を申請済みであります」

「そっか。なら、これからもよろしくな。で……俺の【氷蓮ひょうれん】はどうなった?」


 あの日から、初めて愛機のことを口にした。

 月の裏での死闘からずっと、統矢は意図的に【氷蓮】の話題を避けていた。大切な愛機、幼馴染おさななじみである更紗サラサりんなの形見……復讐の戦鬼せんきと化した統矢を体現する、地獄より甦った鋼鉄の相棒。

 【氷蓮】の無事を確認するのが、怖かった。

 知れば恐らく、次は乗るか乗らないかを選択せねばならない。

 しかし、今は違う。

 再び戦いを決意したからには、【氷蓮】がなくても統矢は戦う。そして、【氷蓮】は無事だと不思議な確信がある。それは予感ではなく、奇妙なまでに真実に思えるのだ。


「97式【氷蓮】ラストサバイヴは、既に艦載かんさい済みであります」

「ラストサバイヴ? 艦載、って」

「最終改装モデル、ということでして。例の【シンデレラ】の外装を加工、改造して完全修復済みであります」


 淡々としゃべる沙菊の前に、ゲートが現れた。

 彼女はホットパンツのポケットから、認識票を取り出す。歩哨ほしょうの兵士は、それを確認して二人にゲートを開放した。

 すぐに統矢にも、わかった。

 ここから先の通路は、基地ではない。

 先程沙菊は、艦載と言ったのだ。


「こ、これは……? なあ、沙菊。っと」


 突然、無言で歩く沙菊が立ち止まった。

 異常な薄着は肌もあらわで、寒々しい上に無数の傷跡が無残だ。

 そして、小柄な彼女の向こうに、統矢は懐かしい顔を見た。

 丁度今、部下を連れた幼女が横切ったのだ。


「ほう? 久しぶりだな、摺木統矢。フン、DUSTER能力者が死ぬものか……よく戻ったな」

御堂ミドウ……先生?」

御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさと呼ばんか、馬鹿者。……まあ、既に階級など意味をなさないがな」

「その、えっと……右目、は」

「なに、えぐれただけだ」


 ボロボロの軍服で、頭には軍帽の代わりに包帯が巻いてある。

 再会した刹那もまた、満身創痍まんしんそういだった。

 だが、片方だけになってしまった赤い隻眼せきがんが、異様な殺意と敵意をともしている。

 憎悪ぞうおがそのまま乙女をかたどっているかのようだ。


「ついてこい、摺木統矢。貴様にも見せてやろう……我々の切り札をな」

「切り札、って……このふねのことか? これは」

聯合艦隊総旗艦れんごうかんたいそうきかん天城あまぎ……なにゆえ、この艦が巡洋戦艦ながら戦艦級扱いされているか、教えてやろう」


 先程、空からも見た。

 無数の艦船が墓標のように佇む港で、天城は冷たい海の底に沈んでいた。

 艦橋構造物だけを波間に突き出し、大破着底しているように見えたのだ。

 だが、それを偽装だと言って刹那は笑う。

 彼女が言うままに統矢は、沙菊と共にエレベーターに乗る。

 その先には、戦闘指揮所CICと一体化したブリッジがあった。

 居並ぶ軍人達は皆、敬礼で刹那を迎える。迷わず艦長席へと歩む彼女は、ふと脚を止めた。艦長席の上に、古びた制帽がある。


「……フン、刑部志郎提督オサカベシロウていとくのか」


 ふと、刹那の凍った表情に光がさした。

 そんな気がしたが、彼女は感慨を見せまいとして制帽を手に取る。

 その下には、小さなキャンディーがあった。

 なにも言わずに刹那は、それを手にして艦長席に飛び乗る。小さすぎる彼女は、頭の包帯を引きちぎるや制帽を被った。


「偽装解除だ! 周囲を桟橋さんばしごと爆破!」

「爆破用意、完了してます。秒読み、開始!」

「総員、出港準備! 作業員は退避せよ!」


 ブリッジが騒がしくなり、緊張感が満ちる。

 統矢には、信じられなかった。

 窓の外には、下北しもきたの海に沈んだ艦体がある。

 だが、この場所には実戦の空気が満ちて、沈没船の内部とはとても思えない。

 驚きに刹那を振り返ると、レーダーにかじりついていた水兵が悲鳴を上げた。


「艦長! 十二時の方向に敵影多数! 気取けどられました!」

「出港手順を繰り上げろ。四百番台と五百番台を省略! それと、だ……水兵」


 刹那は艦長席にふんぞりかえって、先程のキャンディから包み紙を脱がしてゆく。くわえタバコのようにそれを口にして、ぞっとするような凄みを解き放った。


「私はだ。この艦に既に、あるじなどいない。これより我らは、死人の兵となって戦う。一緒に死んでもらうぞ、諸君。さあ、抜錨ばつびょう準備だ!」


 同時に、周囲で爆発が起こった。

 激震に揺れる中で、不意に足元が浮くような感覚が襲い来る。

 水飛沫みずしぶきをあげ、天城の艦体が海面へと浮き上がった。

 統矢はよろけたが、すかさず無言で沙菊が支えてくれる。

 小さな小さな身体が、まるで根が生えたようにびくともしない。この短期間で、沙菊は本当に殺人サイボーグへと作り変えられたかのようだ。

 そして、天城はそのまま海面からゆっくり浮かび上がった。

 信じられないことに、空中へと飛び立ったのだ。


主機おもき、フライホイール接続! 出力、順調に上昇中」

「Gxタービン、一番から八番まで、フル回転!」

「グラビティ・セイル展開、反重力制御開始!」

「駄目です、パラレイドの第一波、来ます!」


 モニターの一つに、天城の姿が3D表示で浮かび上がる。それは、上部こそ古式ゆかしい船体構造だが、喫水線きっすいせんの下は別物だった。

 沈没をよそおって隠されていた、天城の真の姿がそこにはあった。

 まるで、空中戦艦……いな、宇宙戦艦である。下部構造は、天城をそのまま乗せた巨大な宇宙船のようだ。流線型りゅうせんけいの優美なラインは、左右に広がる翼を持っている。その前進翼は、それ自体が重力のを広げるマストだ。艦体を挟み込むように左右の格納庫とカタパルトがあり、大量のパンツァー・モータロイドを運用可能な母艦に思える。


「艦長……代理っ! 敵が来ます! 対空戦闘の用意を!」

「あっ、ま、待て。艦長代理、あれは」

「羅臼です! 羅臼が前に! ……よせ、やめろ! お前はただの輸送艦だぞ!」


 ゆっくりと浮かび上がる天城の前に、見慣れた巨体が回頭していた。

 この場の全員が、全てを瞬時に理解した。

 刹那さえも、バキリ! とキャンディのスティックを噛み潰す。


「羅臼より通信! ……貴艦きかんの航海の無事を祈る、以上です!」


 まだ、新地球帝國しんちきゅうていこくは誰にとってもパラレイドだった。そして、その尖兵せんぺいが空から襲い来る中、巨鯨きょげいにも似た羅臼がゆっくりと盾になる。

 あっという間にビームの光が、軽金属装甲の飛行船を切り裂いた。

 不燃性のGxガスで浮遊する巨体だが、なんの応戦も出来ずに火だるまになってゆく。

 刹那の冷静な、冷酷なまでの声が飛ぶ。


「――ッ! 通信! 答礼! ……よい航海を。そう伝えろ。それと!」


 怒りを隠しもせぬ、憎悪に煮えたぎる悲痛な叫びだった。


抜錨ばつびょう! 両舷全速りょうげんぜんそく! !」

「し、しかし!」

「全兵装、オンライン! 羅臼の爆発を利用しろ!」


 恐るべき巨艦が、滑るようにぶ。

 正しく、天へと舞い上がるはがね城塞しろ……あっという間に、黒鉄くろがねの巨躯が炎の中へと突っ込む。複合素材の窓に、血と肉片が叩きつけられた。オイルの汚れに混じって、千切れた手足や、先程まで人だったものがぶちまけられる。

 だが、刹那は前だけをにらんで激昂げきこうを叫んだ。


「許しはわん! 貴様等の分まで、連中を……パラレイド共を皆殺しにしてくれる!」


 視界が開けた。

 そして今、未来に侵食される時代の希望が、帆を張り血塗ちまみれの空に船出ふなでしたのだった。

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