第20話「例え汚泥に塗れたとて」

 全領域対応型駆逐殲滅兵装統合体ぜんりょういきたいおうがたくちくせんめつへいそうとうごうたい、【樹雷皇じゅらいおう】……通称、YGGDRASILユグドラシル SYSTEMシステム人類同盟じんるいどうめいが建造した、超弩級戦略兵器ちょうどきゅうせんりゃくへいきである。単騎での拠点防衛、および長距離侵攻を目的とし、究極の目的として『セラフ級パラレイドを完全に殲滅しうる戦力』として開発された。

 その【樹雷皇】が今、最凶最悪の敵として立ち塞がる。

 だが、摺木統矢スルギトウヤにはまだ勝機が見えていた。

 見えたというにはあまりに遠く、小さく微かだが……光を感じて今は進むしかない。

 おとりとなった戦艦天城あまぎとティアマット聯隊れんたいに相対する【樹雷皇】は、まだこちらに背を向けていた。フェンリル小隊はくさびとなって、不意をつく形で突進してゆく。


『これでっ、五つ目! ああもうっ、れんふぁ! この、マーカー・スレイブランチャーっての、いったいいくつあるのよ!』


 ラスカ・ランシングの声が、遥か後方へと遠ざかってゆく。真っ赤な機体は今、見えない宙空の大地を疾駆しっくしていた。その両手に握った大型のダガーナイフで、次々と【樹雷皇】の放つ使い魔を撃墜している。

 だが、あまりに数は多い。

 それでも、統矢たちが振り返らずに飛べるのはラスカのおかげだった。

 ラスカにとって、自分一人より多数の統矢たちを狙われる方が、戦いやすい。露骨に背中を狙おうとするマーカー・スレイブランチャーは、動きが単調になって破壊されてゆく。

 統矢のひざの上で、更紗サラサれんふぁが見えない背後を振り返った。


「ご、ごめんなさいっ、ラスカちゃん! マーカー・スレイブランチャーは、フル装備で48基装備されてるの」

『上等じゃないっ! これで七つ目? それと、八つ目! ハン、全部叩き落としてやるわ! いいからアンタは前だけ見て進みなさい! 統矢がドジ踏んだら、尻を蹴っ飛ばすのがアンタの仕事なんだから!』


 言ってくれる、と統矢は苦笑を禁じ得ない。

 そう思っていると、四機編隊で飛ぶ一角が減速した。

 渡良瀬沙菊ワタラセサギクの乗る、89式【幻雷げんらい改型伍号機かいがたごごうきだ。


『ラスカ殿を支援しつつ、この場で滞空。後方からの援護砲撃をするであります』

『ちょっと、沙菊っ! アタシ、手を貸せなんていってないっ!』

『ラスカ殿はブランクがあるからでありまして。自分はあくまで、桔梗キキョウ殿の救出作戦成功の確率が高い行動を』

『……フン! だったらさっさとそのデカい大砲、ブッ放しなさいよ』


 増加装甲で膨れ上がった改型伍号機の全身が、次々と開いてゆく。増設された装甲は同時に、火力を満載したウェポンベイだ。あっという間に周囲に、マイクロミサイルが解き放たれる。

 その爆発の光を背に、沙菊は必殺の48cm砲を展開した。

 改型伍号機は、己に倍する巨砲を両肩に構えて発射する。


『兄様、沙菊さんからの砲撃です。【樹雷皇】、こちらへ回頭中』

『避ければ前の雅姫マサキ一尉と俺たちとで、挟み撃ちだからな。先に少数のこっちを潰しつつ、グラビティ・ケイジを集束させて亀になる……そんなこったろ!』


 五百雀兄妹イオジャクきょうだいの声は、あまりにも普段通りだった。

 辰馬タツマに気負った様子は感じられず、いつもの軽薄な笑みが入り交じる。千雪チユキも、全く呼吸の乱れぬ清水のような声音だ。

 この兄ありて、この妹あり。

 身震いする程に頼もしい。

 そして、不意に千雪の【ディープスノー】が突出する。深海を凝縮したような青い機体は、暴力的な加速力を爆発させた。以前の改型参号機かいがたさんごうきならば、【ディープスノー】はにも等しい。コンセプトは同じだが、その差は明白だった。


『先行します。完全にこちらへ振り向く前に、ふところに入ればっ!』


 【樹雷皇】は、戦艦並の図体の割りには、俊敏しゅんびんで運動性が高い。だが、その小回りは『戦艦に比べれば機敏』という程度に過ぎない。高速で飛ぶ統矢たちを振り返るには、わずかな時間の隙ができた。

 その間隙に、千雪は迷わず飛び込んでゆく。

 フル加速で雲を引く【ディープスノー】は、統矢が操縦していれば失神していただろう。

 必死で食らいついていくが、どんどん距離が離される。

 そして、【樹雷皇】のウェポンコンテナから垂直に無数のミサイルが打ち上がった。

 それは、泣き叫ぶような声が響くのと同時だった。


『――げて、ください……逃げてくださいっ! 皆さん! 辰馬さんっ!』


 悲痛な声は、御巫桔梗ミカナギキキョウだ。

 彼女は今、この光景をどのような想いで見つめているだろうか? とらわれの姫君は今、高い塔の中で特等席に座らせられている。自分を閉じ込める要塞は今、かつての仲間たちを苦もなく蹂躙じゅうりんしようとしているのだ。

 だが、広域公共周波数オープンチャンネルで叫ばれる声に、伊達男だておとこが言葉を返す。


『よぉ、桔梗……待ってな、今すぐ助けてやる!』

『辰馬さん……無理です! 人類の通常兵器で、この【樹雷皇】は』

『無理じゃねえ! 俺に無理なことはっ、お前を諦めることだけだ!』

『そんな……辰馬さん。死にます! 死んでしまいます!』

『死なせねえよ。おとなしく待ってな、お姫様。へへっ、騎兵隊の到着だぜっ!』


 統矢はアラート音と共にレーダーの映す敵意を、最小限の動きで回避する。対ビーム用クロークをはためかせる97式【氷蓮】ラストリバイヴは、上空でひるがえって分裂したミサイルの、その制圧火力の中をんだ。

 ミサイルの近接信管きんせつしんかんが作動し、あっという間に爆発に包まれる。

 近くを飛んでる辰馬を気遣う余裕も、今の統矢にはない。

 ただ黙って、目まぐるしく降り注ぐ殺意の雨をくぐり抜ける。

 途切れ途切れに聴こえる桔梗の声は、泣いていた。


『もう、やめて……辰馬さんも、統矢君も。私、もういいんです……死ねないと思った、そのことが間違いなんです』


 そう、この状況下で桔梗は生きている。生き恥をさらしていると見られても、きっと構わないと思えるなにかがあるのだろう。

 そして、そのことへの後悔が彼女をさいなんでいた。


『私なんかのために、もうやめてください……そんな価値なんて、私にも――』

『ゴチャゴチャうるせぇ!』


 珍しく辰馬が桔梗に怒鳴どなった。

 桔梗が息を呑む気配だけが、爆発音に満ちて沸騰ふっとうする空気に広がってゆく。


『黙って聴いてりゃ……私なんか、だぁ? ! それ以上言ってみろ、三日三晩腰が抜けるまでヒィヒィ言わすぞ! ああ? いいから黙って見てろ!』


 胸の中で、れんふぁが真っ赤になるのが感じられた。

 因みに、辰馬の声も広域公共周波数で響き渡っている。

 この空域どころか、全世界で受信できる愛の告白だった。

 そして、追いすがるミサイルを全て避け、統矢は愛機に背の大剣を構えさせる。緑色に透き通る【グラスヒール・アライズ】を突きつけ、そのまま前を飛ぶ千雪へ向かって叫んだ。


「千雪っ! お前の力を貸してくれっ!」

『ええ、統矢君!』


 【氷蓮】の背中に、特殊兵装が展開してゆく。それは、普段はたたまれているグラビティ・エクステンダーだ。その能力は、友軍機が持つグラビティ・ケイジを、一時的に借りることができる。

 すぐに【ディープスノー】の重力波を受信しようとした、その時だった。

 嫌に冷静が声が、冷たく差し込まれる。

 それは統矢にとって、忘れられぬ人物だった。


足掻あがいているな、ククク……そうこなくては、面白くない』

「……スルギトウヤ。やはりそこにいるのかっ! 貴様ぁ!」

『その声は、摺木統矢。この世界の弱い私か。どうした? 本気でかかってこなければ、お前たちの作った玩具おもちゃは壊せないぞ?』

「俺も気持ちは辰馬先輩と同じだ……黙って見てろ! 桔梗先輩を助けた上でっ、お前をそこから引きずり出してやるっ!」

『ほう? できるかな? 弱いお前に……しかし、なつかしい。かつて私が駆り、強さを求めて捨てた姿。そう、私の【氷蓮】の装甲を着せたか。私の抜け殻では、私には勝てない!』

「抜かせぇ!」


 露骨ろこつな挑発だが、統矢の意識が白く燃える。

 だが、密着してくるれんふぁの視線が、かろうじて統矢を冷静にさせてくれた。彼女はタブレットで情報を確認しつつ、自分の体温で冷たい殺意を温めてくれる。

 しかし、トウヤの声はより悪辣あくらつに狂気を帯びて、芝居しばいがかった台詞せりふを口にする。


『こちらの世界線の御巫桔梗も、美しい……私の世界では、五百雀辰馬、お前のかたきを討とうと私に歯向はむかってきたがね。殺してしまうには惜しい女だったが、よもやこういう形で私のものになるとは』

「黙れっ!」

『よせ統矢、安っぽい挑発に乗るんじゃねえよ。私のものだぁ? 桔梗はものじゃねえ! 女をもの扱いする奴ぁ、死ぬまでブッ殺してやる』


 冷静を呼びかける辰馬の声も、隠しきれぬ怒りに震えていた。

 だが、トウヤはさらに憤怒ふんぬの炎をあおるように、のどを鳴らして笑った。


『しかし、この女は重度のPTSDをわずらっている。コクピットの圧迫感に耐えられない体質だが……愛する男のため、薬と心療療法を駆使して戦ってきた。だが……私が閉じ込めてからすでに一昼夜。どこまで精神が持つかな?』


 統矢の怒りは沸点に達した。撃発げきはつする憎悪ぞうおが、統矢の中で燃え盛る。統矢自身を激昂げきこうの炎へと変えてゆく。

 より強く加速する【氷蓮】の中心で、統矢は声にならない叫びを張り上げていた。

 しがみつくれんふぁだけが、柔らかくて温かい……そこだけが、人間としての自分の境界線ボーダーラインのように感じられた。


『そうだ、怒れ。憎悪をたぎらせろ! ……五百雀辰馬、貴様も私に殺意を向けるがいい。なに、抱いてみて驚いたよ。転生を繰り返した子供の肉体でもやることは同じだが、フフフ……まさか御巫桔梗が――』


 既にもう、辰馬は言葉を発することはなかった。

 一人の男である以上に、一匹の獣になってしまったかのようだ。

 そして、すすり泣く桔梗の声が、消え入るように響く。


『ごめんなさい、辰馬さん……私、汚れてしまいました。それでも……死ねなかった。死んではいけないんです。もう……一人の身体じゃ、ないから。だって、お腹には辰馬さんの――』


 完全にこちらへ向き直った【樹雷皇】の巨体へ、統矢は愛機を押し出す。

 千雪の声と共に、その背に揺らめく闇の翼が広がっていった。グラビティ・エクステンダーによって、【ディープスノー】の力を駆りた重力場は……まるで怨嗟に燃える堕天使だてんしの翼のように天を引き裂いた。

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