第4話「芽吹く花は悲しみの色」
その夜のことを、
未成年なのに飲酒をするという、非日常への脱却。戦争が常態化していたので、不思議と統矢にはこっちの方がドキドキした。パラレイドの戦列を超える時よりも、砲火の中へ突撃する時よりもだ。
一夜明けて朝、出勤と同時にトラックのエンジンルームを開けて統矢は
「俺は……酒が、弱かったんだな……なんか、ちょっと、情けなかった」
あのあと三人でワインを飲んでみたが、そんなに
一杯で統矢は、ぐんにゃりしてしまった。
一時でも、過酷な現実を忘れられるのは、いい。
「ま、当面は細々と暮らして情報収集だ、がっ! ……ってえ。あ、おはようございます」
「ん」
突然、後頭部を硬いものが直撃した。
振り返ると、そこには長身の男が立っている。彼は、統矢に押し当てた缶コーヒーを差し出してきた。受け取れば、熱くて持っていられない。毎度のことで、事務所のストーブに直接載せて温めたのだろう。
その男、
彼はいつも、仕事の合間に裏の倉庫でなにかをやっている。
そして、社長はそれを黙認してたし、陰ながら見守っているようにも思えた。
「凱さん、奥でいつもなにを……あ、おやっさん、おはようございます」
「おはよう、統矢君。……ちょっとちょっと、統矢君。ここ」
「へ?」
「いやあ、はは……うんうん、若いモンはそうでなきゃ、年寄りも面白くないってもんだ」
統矢に向かって、社長は首筋を指差す。
なんだろうと思って触れてみたが、なにがある訳でもない。トラックのサイドミラーを覗き込んで、統矢は思わず「げっ!」と声を上げてしまった。
――キスマークだ。
千雪かれんふぁか、その両方か。
多分、先程凱にも見られたと思う。
慌ててこすって、消えたような消えないような。
だが、社長はほがらかに笑って仕事に戻っていった。
この寒さの中、統矢は
「あいつ等……っと、なんだ? 今日はまた、随分と騒がしいな。……南極もケリがついて、いよいよってこと、なのか?」
今日は朝から、空が騒がしい。
大型の輸送機が行き交い、
そのうちの何割かは人型へ変形して、
イザークと呼ばれる、緑色の一つ目も普段より多い。
今朝はなんだか、空気が張り詰めているようだ。
まるでナイフの刃に座っているような、緊張感。
確かにいつもの朝と違う、そう統矢が感じていたその時だった。
「統矢君! 今すぐ帰りなさい! 今日はいい、臨時休業! 休みだから!」
慌てた様子で事務所から、社長が転がり出てきた。
彼はすぐに統矢の横まできて、声を
いつもの穏やかな口調が一転、緊迫感に満ちて怯えた声音だ。
「静かに、統矢君……今、
「憲兵? 新地球帝國の!」
「茶でも出して帰ってもらうが、まあ、今日は工場にいないほうがいいだろう」
「でも、それじゃおやっさんや凱さんが」
「……君はいい子だな、統矢君。さ、うちに帰りなさい」
目を細める社長の言葉が、普段にも増して優しかった。
そして、
外見年齢こそ違うが、統矢は連中の
だが、殺気立つ憲兵達は統矢を
「調べはついてる、隠し立てすると容赦はしない。我々の
「まあまあ、憲兵さん。中でお茶でも」
「
「はは、憲兵さんは無理難題を
「……こういう時代だ。地球を守るため
心底
どうやら突然のガサ入れというやつで、この工場が疑われているらしい。
統矢は、迷った。
社長を守るためなら、名乗り出るか?
だが、先程はまだ気付かれていないようだった。
ここで捕まったら、誰が千雪とれんふぁを守る?
数秒の間に、脳裏を無数の自問自答が行き交う。
そして、苦悶に満ちた瞬間が一瞬で過ぎ去った。
「……おやっさん、すんません。ちょっと組合の方に部品を――!?」
工場の裏から、凱が出てきた。
彼は普段のぼんやりした印象を、一瞬で脱ぎ捨てる。
統矢の目にも、はっきりとわかった。
それは、危機に際して反応してしまった、訓練された人間の動作だった。
同時に、突然社長は憲兵の隊長に
「凱君、逃げなさい! 早く!」
「ッ! やはり敗残兵を匿ってたか! 小隊、奴を捕らえろ! ええい、御老人! 放してもらおうか! こうはしたくないのだが!」
銃声が響いた。
ゆっくりとスローモーションで、社長が倒れる。あっというまに彼を中心に、赤い同心円が広がっていった。それは流れ出る鮮血で、どんどん零れ落ちてゆく。
それは、凱が踵を返して走るのと同時だった。
工場の裏手へと、凱は消えてゆく……それを追う憲兵達も、この場から去っていった。
なにが起こったか、理解できない。
理解できても、納得などできそうもない。
抱き起こせば、苦しげに浅い呼吸を
「おやっさん!」
「……ああ、統矢、く……凱君、は……」
「今、憲兵に追われてる! で、でも……逃げたよ、逃げ切ったと思う! あれは大丈夫だ。だから、今すぐ救急車を」
「いい、んだ……いいのさ。もう……妻と息子の、ところへ……」
「おやっさん!」
悪夢だ。
そして、統矢のすぐ側を危機は通り過ぎた。
自分が助かった、気付かれなかったのはただの幸運だ。
しかし、その代価が優しい老人の命なら、統矢はどんな幸運だって拒絶するだろう。犠牲など、あっていいものではない。犠牲がなければなしえぬ全てを、統矢は否定するために戦ってきたのだから。
そっと統矢は、社長の視界を優しく閉ざす。
聞き覚えのある駆動音が鳴り響いたのは、その時だった。
「くっ、気をつけろ! 奴は武装している! この音……
「手近な機体を回してもらえ! 都市戦闘、市街戦になるぞ!」
腹の底に響く音は、
急いで裏手へ回った統矢は、見た。
崩れて
その姿に統矢は、見覚えがあった。
「なっ……凱さんなのか!? あれは、97式【
カラーリングは、かつて自分が乗っていた機体ではない。
大半の機体が生産ラインごと失われたと聞いているが、ここは
ダークグレーに塗られた【氷蓮】は、耳障りな異音を巻き上げ踏み出した。
凱は、この機体を隠して修理していたのだろう。
そして、社長はそれを知ってて
もしかしたら、死んだ社長の息子は凱に似ているのかも知れない。
そんなことを一瞬、考えていると……
『許さねえ……許さねえぞ、パラレイドォ! 俺から妻と娘を奪い去って、奪い尽くして! その上でまだ、奪い終えることなく社長まで! 許さねえッ!』
特徴的なツインアイに、怒りの炎が灯る。
すぐに周囲に、エンジェル級が集まり始めた。
ここが戦場になる……再び戦火が、この町のド真ん中で始まるのだ。
「くっ、凱さん! なにか……俺にできることは、なにかっ!」
敵は多数で、あっという間に大通りから銃口が向けられる。
凱の【氷蓮】は武装も持たず、明らかに整備不十分で調子が悪い。何一つとして、有利な材料などない……なのに、もはや搭乗者の怒りはそれを問題にしていなかった。
死に場所を求めるように、【氷蓮】は巨大なエンジェル級イザークへと突進していった。
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