第18話「戦友と、相棒と」

 万能戦艦、天城あまぎ。その能力は空を飛翔し、星の海をも渡る。勿論もちろん、深い海の底でも行動は可能だ。だが、それは海底でも十全の戦闘能力を発揮するとは言いがたい。

 頭上を【樹雷皇じゅらいおう】に抑えられた今、互いに多くの戦術オプションが奪われた。

 膠着状態こうちゃくじょうたいの中で、摺木統矢スルギトウヤはこれから出撃する。

 母艦である天城自体を囮にした、【樹雷皇】と仲間の奪還作戦へと。


「……やっぱりこいつも無事だったか。なんか……ちょっと細部が改修されてるな」


 天城の艦橋構造物を挟むように、左右に位置する格納庫ハンガーブロック。左舷側さげんがわを訪れた統矢の前に、深海を凝縮したような青いパンツァー・モータロイドが片膝かたひざを突いている。通常のPMRパメラよりも二回りほど大きく、通常の整備ケイジに入らないため窮屈きゅうくつそうだ。

 五百雀千雪イオジャクチユキの愛機、【ディープスノー】である。

 そのいかつい巨体を見上げれば、すぐにコクピットから千雪が顔を出した。


「統矢君、出撃15分前です。いいんですか、油を売っていて。……私は、いい、ですが」

「格納庫が別々だからさ、まあ……顔を見ておこうと思って」

「……っ、そ、それは……ど、どうぞ! 思う存分に見てください! 今、降りますから!」


 トントンと器用にジャンプして、千雪はコクピットから前腕部、膝を経由して床に降り立った。長身の彼女をわずかに見上げれば、やはり普段と変わらぬ無表情だ。澄ました美貌は透き通って、清冽せいれつなまでに凍りついている。

 だが、統矢にはその仏頂面ぶっちょうづらが酷く頼もしくて、愛らしい。

 そういう千雪の普段と変わらぬところが、自分を一番安心させてくれるのだ。


「そういえば、統矢君。【氷蓮ひょうれん】……ラストサバイヴ。どうですか?」

「ああ、調子いいな。以前より動きが軽いし、俺の操縦に完全についてくる。それなのに、さ……ちゃんと感じるんだ。りんなの機体だった、俺が乗り継いだ機体だって」

「あ……は、はい。ええ、はいっ! そうなんです、統矢君!」


 少し意外そうな、ねたような顔を千雪は見せた。

 それも表情筋が仕事をしていないように見えたが、統矢にはわかる。全く感情を顔に出さないかに見えるが、千雪の心の機微きびが最近は少しだけわかる気がするのだ。

 そして、ことPMRの話題になると、彼女は瞳を輝かせる。

 それはもう、あどけない童女こどものように夢中で早口になるのだ。


「先程の戦闘の分析データを見ました。統矢君の操縦は相変わらずですが、Gx感応流素ジンキ・ファンクションの反応係数が上がってるんです。それに、フレームを根本からバランス取りして調整したので、蓄積されてきた小さな歪みも矯正されてました!」

「あ、ああ。その――」

「加えて、【シンデレラ】のものだった外装は、通常の97式【氷蓮】の装甲よりも防御力に優れ、しかも軽い……パラレイドの、新地球帝國しんちきゅうていこくの科学力は恐ろしいですね。でも、パワーウェイトレシオが見直されたことによって、トルクが太くピークパワーだって……そうなんです、瑠璃ラピス先輩は常温Gx炉じょうおんジンキ・リアクターの出力カーブをいじったと」

「待った! 待てって、落ち着け。どうどう、あとで乗せてやるから! な? なあ」


 自分の興奮に気付いたのか、千雪はわずかにほおを赤らめた。

 そして、黙って視線を反らしてしまう。

 急に静かになって、周囲の騒音が戻ってきた。

 行き来するカートが、武器や弾薬を運んでゆく。工具の音がひっきりなしに反響して、作業員たちの声と声とが入り交じる。ここはすでに、戦場……なにも、パイロットだけが戦っている訳じゃない。

 だが、どうやら周囲にはメカニックの佐伯瑠璃はいないようだ。

 そして、もじもじと小声で千雪がしゃべり出す。

 なんだか、悪戯いたずらとがめられた幼子おさなごのようだ。


「……その、確かに私は……PMRのことになると、ちょっぴり、少しだけ、おとなげないですね。反省です」

「ちょっぴり? 少し、だけ? まあ、いいけどさ。それより【ディープスノー】はどうだ?」

「あっ、はい! 完璧な整備です! 細部の変更は、今までの戦闘データを元に小改修をほどこし、私の武術の腕を完璧に――あ、ん、んんんっ! ……凄く、いいです」


 咳払せきばらいをして、千雪は簡潔にいいと呟いた。

 ならば、統矢はなにも心配することはない。

 武芸百般ぶげいひゃっぱん文武両道ぶんぶりょうどう……無手での格闘術を極めた千雪が駆る【ディープスノー】は、拳で地を割り空を裂く。既にもう、武装は必要ない……両手両足が最強の武器だ。

 なにより、千雪の体調が凄く良さそうだ。

 どうやら、新しい義体の調整と投薬で、痛みもないようである。

 見目麗みめうるわしい痩身そうしんのプロポーションも、いささかも損なわれていなかった。


「じゃあ、俺は戻るからさ。……また、作戦のあとで、会えるよな?」

「はい。必ず統矢君は守ります」

「またお前は……程々にしろよな。まず自分、次に母艦、このふねだろ」

「それは当然です! 私も……また、統矢君と話したいです。まだ、統矢君と一緒にいたいですから」

「ん、だな」


 統矢は少し背伸びして、千雪の視線にひとみを並べる。

 つやめく黒髪の頭をポンと手でで、白い頬に触れて体温を拾った。千雪もその手に、自分の想いを閉じ込めるかのように手を重ねてくる。

 言葉はなくとも、互いに生還を誓った。

 そして、思い出したように千雪は目を細める。


「【ディープスノー】は……この子は、完調状態です。フルに力を発揮できます。だから……グラビティ・エクステンダー、使えますので」

「ああ。お前の力を借りるぞ、千雪」


 グラビティ・エクステンダーは、統矢の【氷蓮】だけに装備された特殊兵装だ。

 基本的に陸戦兵器であるPMRは、重力制御が可能な機体へと登録済みならば、そのグラビティ・ケイジの範囲内でだけ空間機動能力を得る。意図的に機体を無重力状態にして、全身のスラスターで翔ぶことができるのだ。

 そして、千雪の【ディープスノー】はそのホスト機なのだ。

 天城のグラビティ・ケイジでも可能だが、今回は別行動のため範囲内にいることはできない。

 そして、統矢はグラビティ・エクステンダーで千雪のグラビティ・ケイジを借りることができる。重力制御システムを搭載するより遥かに小型で軽量、そして使い勝手がいい。阿吽あうんの呼吸で以心伝心な千雪との連携は、今や自然に思うことさえ忘れるレベルだった。


「ん? ああ、そういえば」

「どうかしましたか? 統矢君」

「いや……今回は【樹雷皇】のグラビティ・ケイジは借りれない訳だ」

「はい。最大で通常の二倍……天城のものも得れば、三倍のグラビティ・ケイジを操ることが可能ですが。【樹雷皇】は今、敵が」

「ああ。けど……、って」

「……へ?」


 珍しく千雪が、目を丸くした。

 自分でも口にして、統矢も確信がある訳じゃない。

 だが、もし……もし、敵の首魁しゅかいであるスルギトウヤ大佐が【樹雷皇】の設定を変更していなければ、統矢の【氷蓮】が登録されているはずである。勿論、トウヤが統矢へとグラビティ・ケイジをゆだねてくることはないだろう。

 基本的に統矢は受信側で、送信側の操作がなければ力場を借りられないのだ。


「ま、いっか。ちょっと気になったが……試してみるさ」

「試してみる、って……あ! 統矢君っ! 無茶はダメです、よ? めっ、です!」

「無茶くらいするさ。無理じゃないなら、なんだってやる……今回はある意味でチャンスだ。桔梗キキョウ先輩を助けて、トウヤは俺が殺す。のこのこ前線に出てきたことを後悔させてやるさ」


 それだけ言って、そっと統矢は千雪から手を放した。

 握った拳の中に、恋人のぬくもりと柔らかさを閉じ込める。

 そうして右舷うげんの格納庫に戻ろうとした、その時だった。

 背を撫でる千雪の声が、僅かにひそめられる。


「気をつけて、統矢君。それと……れんふぁさんをお願いしますね」


 更紗サラサれんふぁは、統矢にとって千雪と同じくらい大事な恋人だ。二人は、どちらがどうという存在ではない。統矢と千雪とれんふぁ、三人は自分以外の二人を同時に同じだけ愛しているんだと思う。

 そのれんふぁをよろしくとは、どういうことだろうか?

 思わず足を止め、肩越しに統矢は振り返る。


「あのなあ、千雪。れんふぁも多分、お前を頼むって言うぜ? そういうの、やめろよな……お前は、死なない。俺が死なせない。よろしくもなにもない、またここに戻ってくる。必ずだ」

「はい。それでも……よろしくお願いします。では」

「あ、おいっ! お前、ちょっとさあ、なあ!」


 だが、千雪は長い黒髪をひるがえして愛機に戻ってしまった。

 なにがなんだかわからぬまま、統矢は釈然しゃくぜんとせず右舷側へと移動する。

 既に出撃準備を終えたPMRの熱気で、格納庫の空気は燃えるようにけていた。その中で、統矢の【氷蓮】がケイジ内で待っている。

 作業員と出撃前のチェックを手早く済ませ、狭いコクピットへ滑り込もうとした。

 しかし、ハッチを開けた瞬間に固まる。


「……なにやってんだ? お前……おいおい、なんだよもう」


 そこには、統矢と同じパイロットスーツを着たれんふぁが座っていた。

 彼女は、エヘヘと硬い笑みを浮かべて、統矢の腕をつかむ。引っ張られれば、すぐにハッチが閉じて暗闇が満ちた。その中でモニターやインパネ周りに光が走る。

 少年少女とはいえ、PMRのコクピットに二人は狭い。

 統矢が小柄こがらで、れんふぁがスレンダーでもだ。


「統矢さんっ、座ってください! よいしょ、っと」

「い、いや……降りろって。あっ、ハッチをロックしやがった! おいおい」


 統矢をシートに押し込んだ上で、れんふぁはその上に腰掛けてきた。

 千雪と違って小振りな尻が、膝の上で密着してくる。

 ここ最近になって普及し始めたPMR用のパイロットスーツは、こういう時にドキリとするほど身体のシルエットを浮かび上がらせてくる。

 統矢はあせって、脳裏の煩悩ぼんのうから意識を遠ざけた。


「統矢さん、わたしも一緒に行きます!」

「いや、ダメだろ普通に。ってかなあ、れんふぁ。遊びに行くんじゃないんだ。お前」

「そうです、戦いですっ! これは、わたしの戦いでもあるから……わたしは、【樹雷皇】の正式なオペレーター、統矢さんの相棒ですっ!」


 直ぐ側に振り返る精緻な小顔があって、ショートカットの髪からいい匂いがする。

 すぐに統矢は察した。

 れんふぁは、自分の【樹雷皇】を取り戻すつもりだ。

 物理的に彼女を、【樹雷皇】のコクピットへみちびく……それは、【樹雷皇】を破壊せずに中のトウヤを無力化するという意味だ。そして、統矢でもそれがベストな結末だとわかっている。

 困難だが、不可能ではない。

 無茶を通せば道理は引っ込む……無理だと諦めない限り、道は開けると信じたい。


「……しっかり掴まってろよ、れんふぁ」

「う、うんっ!」


 首に細い腕がしがみついてくる。

 操縦には支障はないが、やはり密着感がむずがゆい。

 それでも統矢は乱れる心をりっして、愛機【氷蓮】ラストサバイヴを起動させるのだった。

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