第6話「さらば、一時の安らぎよ」

 摺木統矢スルギトウヤは混乱していた。

 あまりに多くのことが、突然同時に起こったのだ。

 一時とは言え、働き手として雇ってくれた工場長。無愛想ぶあいそうだが優しかった先輩の整備士。皆、死んでしまった……そして、生きていた以前の仲間、五百雀辰馬イオジャクタツマに拒絶された。


 ――お前はもう、戦うな。


 そう言って、妹を想う兄として真実を語ってくれた。

 一番近くにいた統矢が、気づかなかった……気付けなかった。

 肉体の半分以上が機械の五百雀千雪イオジャクチユキには、定期的な投薬とメンテナンスが必要だったのだ。現実をようやく受け止めた統矢を残し、亡霊のごとき89式【幻雷げんらい改型零号機かいがたゼロごうきは飛び去った。


「辰馬先輩……それでも、俺は! あいつらを守るために戦う。ついでに世界も救って、あいつを倒さなきゃいけないんだ」


 白い息を弾ませ、統矢は自宅であるアパートに走っていた。

 その手には今、辰馬から渡された錠剤の束がある。千雪の苦しみも、この薬があれば少しは楽になる筈だ。そして、義体のメンテナンスだが……すでに統矢は覚悟を決めていた。

 自分が摺木統矢、パラレイドに最も損害を与えた男だと名乗り出る。

 それで統矢は拘束されるだろうが、もう一人の自分である摺木統矢大佐に近付くには好都合だ。それに、連中はDUSTERダスター能力者を欲している。統矢もすぐには殺されないだろうし、千雪もDUSTER能力者ゆえに治療が受けられるだろう。


「でも、れんふぁは……俺じゃないトウヤなら、もしかしてれんふぁを……」


 既にもう、別の世界線から来た自分は普通ではない。

 まさに修羅、戦争の炎で大衆をあおる怪物だ。その狂気と狂奔は、統矢達の時代、この地球を飲み込みつつある。

 それでも、まだ屈せずに戦っている者がいる。

 ならば、統矢の選ぶ道は自ずと示されたに等しかった。

 家路を走る中、何度も消防車や軍の車両と擦れ違う。頭上には、かつてパラレイドと呼ばれたエンジェル級が飛び交っていた。見れば、路上のあちこちに無人型、アイオーン級が展開している。

 戦場と化した廣島ひろしまの片隅で、走る統矢は視界の異変を捉えて加速する。


「なんだ……家の前に警察と、憲兵MP! まさかっ!」


 全身が燃えるように熱い。

 今、かつて広島と呼ばれていたこの第二皇都だいにこうとは、ありえない雪と寒さに覆われている。パラレイドとの戦争は地軸さえ歪め、地球そのものへダメージを刻んでいるからだ。

 そんな中で統矢は、憲兵達の居並ぶ中へと走る。

 その接近に気付いた兵士が一人、ライフルを構えて制止を叫んだ。


「止まれっ! ……また、子供か。どうなってるんだ、この世界は! とにかく、君! 止まりなさい!」

「お前等……千雪を、れんふぁをどうするつもりだ!」

「まさか……クッ、本部! 確認を!」


 兵士は動揺も顕に、インカムに向かって叫んだ。

 そして、血相を変えつつも銃を突きつけてくる。

 止まらず走る統矢は、あっという間に左右から憲兵に取り押さえられてしまった。

 安住の地だったアパートの部屋には今、土足で新地球帝國しんちきゅうていこくの兵士達が出入りしていた。


「はい、はい……ええ、そうです。では、彼が? まさか、DUSTER検体第二号とは、子供なのですか? 馬鹿な……じゃあ、先程の死にかけの少女が……DUSTER検体第三号?」


 統矢と千雪のことだ。

 やはり、予想通り連中はDUSTER能力者を探している。

 だが、末端の兵士達には知らされていなかったらしい。統矢達のような幼年兵ようねんへい、生まれながらに教育課程で戦うことを強いられ、戦場で使い捨てにされる子供達のことを。

 そこには、統矢達となんら変わらない感情を持つ、一人の青年兵士がいた。

 統矢はそれでも、敵意と憎悪を込めてにらむ。

 アパートの奥で悲鳴が響いたのは、そんな時だった。


「やめてくださいっ! 千雪さんはもう……これもおじいちゃんの、曽祖父そうそふの命令なんですかっ!」


 更紗サラサれんふぁの悲痛な叫びが響く。

 そして、アパートから無残な姿で一人の少女が連れ出された。

 歩くのもやっとな千雪は、寝間着姿でよろよろと頼りない。そんな彼女に銃口を突きつけ、男達は無造作に引きずって歩く。捕虜の扱いがどうこうとか、そういう綺麗事は統矢の頭から吹き飛んだ。

 一瞬で消えた、束の間の安らぎ。

 一生終わらない、戦争。

 何一つ変わらぬ日常の中、唯一愛した二人との日々さえ壊されてゆく。


「お前等……やめろっ、俺が! 俺が実験でもなんでも受ける! 殺すなら殺せ! でも、千雪は……千雪とれんふぁは!」


 隊長らしき男が最後に部屋から出てきて、その腕にれんふぁがかじりついた。文字通り、噛み付く勢いで掴みかかったが、彼女は「きゃっ!」と小さく叫んで倒れた。

 制帽を被った憲兵の隊長は、容赦なくれんふぁを殴ったのだ。

 それでも、流れる鼻血を拭いながられんふぁは男を睨む。


「統矢さんと千雪さんになにかあったら、わたし許さない! 今すぐ二人を解放して! わたしなら、おじいちゃんのところに戻るから……なんでも話すし、命令にも従うから!」

「大佐は既に、貴様の命など問題にしておらん。だが、身内というならそうだなあ……我輩わがはいが個人的に取り次いでやっても構わん。……ククク、伝説のエース更紗りんな……我輩も幼少期に記録映画で見たが、まさに瓜二うりふたつの可憐かれんな美貌」


 その男は屈むと、手袋をしたままれんふぁのおとがいを鷲掴わしづかみにする。

 敵意の視線すらたのしむように、いやらしい笑みを浮かべていた。

 統矢も必死に抵抗するが、DUSTER能力者といっても身体能力は一般的な子供でしかない。軍事教練で鍛えていても、本職の軍人とは格が違うのだ。

 ここで、終わりなのか?

 絶望に屈して、心が折れそうだった。

 それでもなお、統矢は諦めずにあらがう。

 これが迎えるべき未来、決められた運命だとしても……抗うことをやめない。

 覚悟と決意が燃えさかる、たける闘志が血液を沸騰させる、そんな時だった。


「ん? おいおい、そこの君……お嬢、ちゃん? とにかく、下がりなさい。ここは今――」


 ヒュン、と空気がいた。

 しんしんと降る雪の音だけが、広がる静寂の中で鳴っているような錯覚。

 真っ白な世界に鮮血が散って、一人の兵士がドサリと倒れた。

 統矢も見た……誰もが振り返る先に、小さなコート姿が立っている。


「なっ……隊長! 八坂ヤサカが! あ、いや、八坂軍曹が!」

狼狽うろたえるなっ! 反乱分子だ、撃て……容赦するなっ!」

「で、でも……子供です! また、子供なんです!」


 統矢の目にも、華奢きゃしゃ矮躯わいくが見て取れた。

 彼女は……そう、年頃もそう違わない少女が、コートを脱ぎ捨てる。その下には、裂傷れっしょう火傷やけどの治りきらぬ傷が生々しかった。

 そして、統矢は気付かなかった……気付けなかったのだ。

 その女の子は、子犬のようにじゃれついてきた後輩の顔をしていなかったから。


「――千雪殿を、れんふぁ殿を、放すであります。統矢殿も。さもなくば」


 くぐもる小さな声に対して、銃口が火を吹いた。

 投げ捨てられたコートがはちの巣になる。

 だが、その時にはもう……地を這う影のように少女は疾駆していた。新雪を踏み込む彼女の両手に、逆手さかてに握られた雌雄一対のナイフが光る。

 裸にも等しい、ホットパンツにサスペンダー、そして胸元のみを隠す薄布。

 長い長い真っ赤なマフラーだけをひるがえして、死神が血の六花りっかを咲かせた。

 次々と憲兵達が切り裂かれてゆく。

 そして……統矢は勿論もちろん、千雪もこの隙を逃さなかった。


「ぐぇ!? こいつ、まだこんな力が……」

「DUSTER検体第三号が!? クソッ、逃がすかぁ!」

「れんふぁさん、こっちに! 統矢君も! ……あれは……あれはっ、沙菊サギクさん!」


 耳を疑った。

 信じられなかった。

 だが、千雪の視線を目で追う先では、容赦のない刃が踊っている。まるでキリングマシーンのように、剣舞けんぶに躍動する手練てだれの暗殺者。それが、あの渡良瀬沙菊ワタラセサギクだというのだ。

 確かに、顔立ちや体格に面影おもかげがある。

 しかし、あの人がいい、人懐ひとなつっこい笑顔はそこにはなかった。

 周囲の雪よりも冷たい、氷の様な無表情だ。

 まゆ一つ動かさず、淡々と憲兵達を殺している。

 驚き惚ける統矢の手を握って、れんふぁが走り出した。千雪と一緒に三人で、混乱しながらも統矢は身体を動かす。

 追いかける銃声が遠くなるまで、息せき切って統矢は走った。


「嘘だ……沙菊だっていうのか? 今のが……いや、辰馬先輩が生きてたんだ、なにも不思議じゃ……でも、あれは! 今のは!」

「統矢君? あの……ック! あ、っぁ……うっ……」

「千雪さん! しっかりしてください、千雪さん!」


 千雪はついに、走れずにひざをついた。

 端正な表情は苦痛に歪んで、汗が玉と浮かんでいる。

 こうしている間にも、背後に敵が迫っていた。

 振り返れば、自分達の足跡を覆うように雪はいよいよ降り積もる。

 逃げなければ……統矢は自分にかつを入れるように両頬りょうほおを叩いた。


「千雪は俺が背負せおう! れんふぁ、行くぞ!」

「統矢、君……私、重い、ですから」

「知ってるさ! 知ってる! でも、絶対に置いていかないからな。ほら、つかまれ!」


 肌を重ねて共に寝るたび、離れたくないと願ってきた。

 だから絶対に、千雪を置いてはいかない。それは、手伝ってくれるれんふぁも同じだった。どうにか背に負う千雪は、金属の義体もあって重い。

 それが愛する者の命の重さだと、統矢は全身に刻むように言い聞かせた。

 急ブレーキの音が響いたのは、そんな時だった。


「いたっ! 統矢、乗って! 早く、兵達が来る! 急いで!」


 突然、目の前にオフロード仕様のいかついワンボックスが停車した。

 その運転席には、以外な人間が座っていたのだった。

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