第6話「さらば、一時の安らぎよ」
あまりに多くのことが、突然同時に起こったのだ。
一時とは言え、働き手として雇ってくれた工場長。
――お前はもう、戦うな。
そう言って、妹を想う兄として真実を語ってくれた。
一番近くにいた統矢が、気づかなかった……気付けなかった。
肉体の半分以上が機械の
「辰馬先輩……それでも、俺は! あいつらを守るために戦う。ついでに世界も救って、あいつを倒さなきゃいけないんだ」
白い息を弾ませ、統矢は自宅であるアパートに走っていた。
その手には今、辰馬から渡された錠剤の束がある。千雪の苦しみも、この薬があれば少しは楽になる筈だ。そして、義体のメンテナンスだが……
自分が摺木統矢、パラレイドに最も損害を与えた男だと名乗り出る。
それで統矢は拘束されるだろうが、もう一人の自分である摺木統矢大佐に近付くには好都合だ。それに、連中は
「でも、れんふぁは……俺じゃないトウヤなら、もしかしてれんふぁを……」
既にもう、別の世界線から来た自分は普通ではない。
まさに修羅、戦争の炎で大衆を
それでも、まだ屈せずに戦っている者がいる。
ならば、統矢の選ぶ道は自ずと示されたに等しかった。
家路を走る中、何度も消防車や軍の車両と擦れ違う。頭上には、かつてパラレイドと呼ばれたエンジェル級が飛び交っていた。見れば、路上のあちこちに無人型、アイオーン級が展開している。
戦場と化した
「なんだ……家の前に警察と、
全身が燃えるように熱い。
今、かつて広島と呼ばれていたこの
そんな中で統矢は、憲兵達の居並ぶ中へと走る。
その接近に気付いた兵士が一人、ライフルを構えて制止を叫んだ。
「止まれっ! ……また、子供か。どうなってるんだ、この世界は! とにかく、君! 止まりなさい!」
「お前等……千雪を、れんふぁをどうするつもりだ!」
「まさか……クッ、本部! 確認を!」
兵士は動揺も顕に、インカムに向かって叫んだ。
そして、血相を変えつつも銃を突きつけてくる。
止まらず走る統矢は、あっという間に左右から憲兵に取り押さえられてしまった。
安住の地だったアパートの部屋には今、土足で
「はい、はい……ええ、そうです。では、彼が? まさか、DUSTER検体第二号とは、子供なのですか? 馬鹿な……じゃあ、先程の死にかけの少女が……DUSTER検体第三号?」
統矢と千雪のことだ。
やはり、予想通り連中はDUSTER能力者を探している。
だが、末端の兵士達には知らされていなかったらしい。統矢達のような
そこには、統矢達となんら変わらない感情を持つ、一人の青年兵士がいた。
統矢はそれでも、敵意と憎悪を込めて
アパートの奥で悲鳴が響いたのは、そんな時だった。
「やめてくださいっ! 千雪さんはもう……これもおじいちゃんの、
そして、アパートから無残な姿で一人の少女が連れ出された。
歩くのもやっとな千雪は、寝間着姿でよろよろと頼りない。そんな彼女に銃口を突きつけ、男達は無造作に引きずって歩く。捕虜の扱いがどうこうとか、そういう綺麗事は統矢の頭から吹き飛んだ。
一瞬で消えた、束の間の安らぎ。
一生終わらない、戦争。
何一つ変わらぬ日常の中、唯一愛した二人との日々さえ壊されてゆく。
「お前等……やめろっ、俺が! 俺が実験でもなんでも受ける! 殺すなら殺せ! でも、千雪は……千雪とれんふぁは!」
隊長らしき男が最後に部屋から出てきて、その腕にれんふぁがかじりついた。文字通り、噛み付く勢いで掴みかかったが、彼女は「きゃっ!」と小さく叫んで倒れた。
制帽を被った憲兵の隊長は、容赦なくれんふぁを殴ったのだ。
それでも、流れる鼻血を拭いながられんふぁは男を睨む。
「統矢さんと千雪さんになにかあったら、わたし許さない! 今すぐ二人を解放して! わたしなら、おじいちゃんのところに戻るから……なんでも話すし、命令にも従うから!」
「大佐は既に、貴様の命など問題にしておらん。だが、身内というならそうだなあ……
その男は屈むと、手袋をしたままれんふぁのおとがいを
敵意の視線すら
統矢も必死に抵抗するが、DUSTER能力者といっても身体能力は一般的な子供でしかない。軍事教練で鍛えていても、本職の軍人とは格が違うのだ。
ここで、終わりなのか?
絶望に屈して、心が折れそうだった。
それでも
これが迎えるべき未来、決められた運命だとしても……抗うことをやめない。
覚悟と決意が燃え
「ん? おいおい、そこの君……お嬢、ちゃん? とにかく、下がりなさい。ここは今――」
ヒュン、と空気が
しんしんと降る雪の音だけが、広がる静寂の中で鳴っているような錯覚。
真っ白な世界に鮮血が散って、一人の兵士がドサリと倒れた。
統矢も見た……誰もが振り返る先に、小さなコート姿が立っている。
「なっ……隊長!
「
「で、でも……子供です! また、子供なんです!」
統矢の目にも、
彼女は……そう、年頃もそう違わない少女が、コートを脱ぎ捨てる。その下には、
そして、統矢は気付かなかった……気付けなかったのだ。
その女の子は、子犬のようにじゃれついてきた後輩の顔をしていなかったから。
「――千雪殿を、れんふぁ殿を、放すであります。統矢殿も。さもなくば」
くぐもる小さな声に対して、銃口が火を吹いた。
投げ捨てられたコートが
だが、その時にはもう……地を這う影のように少女は疾駆していた。新雪を踏み込む彼女の両手に、
裸にも等しい、ホットパンツにサスペンダー、そして胸元のみを隠す薄布。
長い長い真っ赤なマフラーだけを
次々と憲兵達が切り裂かれてゆく。
そして……統矢は
「ぐぇ!? こいつ、まだこんな力が……」
「DUSTER検体第三号が!? クソッ、逃がすかぁ!」
「れんふぁさん、こっちに! 統矢君も! ……あれは……あれはっ、
耳を疑った。
信じられなかった。
だが、千雪の視線を目で追う先では、容赦のない刃が踊っている。まるでキリングマシーンのように、
確かに、顔立ちや体格に
しかし、あの人がいい、
周囲の雪よりも冷たい、氷の様な無表情だ。
驚き惚ける統矢の手を握って、れんふぁが走り出した。千雪と一緒に三人で、混乱しながらも統矢は身体を動かす。
追いかける銃声が遠くなるまで、息せき切って統矢は走った。
「嘘だ……沙菊だっていうのか? 今のが……いや、辰馬先輩が生きてたんだ、なにも不思議じゃ……でも、あれは! 今のは!」
「統矢君? あの……ック! あ、っぁ……うっ……」
「千雪さん! しっかりしてください、千雪さん!」
千雪はついに、走れずに
端正な表情は苦痛に歪んで、汗が玉と浮かんでいる。
こうしている間にも、背後に敵が迫っていた。
振り返れば、自分達の足跡を覆うように雪はいよいよ降り積もる。
逃げなければ……統矢は自分に
「千雪は俺が
「統矢、君……私、重い、ですから」
「知ってるさ! 知ってる! でも、絶対に置いていかないからな。ほら、
肌を重ねて共に寝る
だから絶対に、千雪を置いてはいかない。それは、手伝ってくれるれんふぁも同じだった。どうにか背に負う千雪は、金属の義体もあって重い。
それが愛する者の命の重さだと、統矢は全身に刻むように言い聞かせた。
急ブレーキの音が響いたのは、そんな時だった。
「いたっ! 統矢、乗って! 早く、兵達が来る! 急いで!」
突然、目の前にオフロード仕様の
その運転席には、以外な人間が座っていたのだった。
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