第10話 覚醒する頭脳

 ――4日目――


 目覚め……いや、覚醒めざめたような感覚。頭が妙に冴えていた。


 なにか閃きそうな予感――


 ベッドに仰向けになったまま天井を見つめる。しばらくして視線を時計へ。時刻は6時。どうやら今日は朝食に間に合いそうだ。


 …………


 朝食を終えた私はエトウさんの部屋を調べるため彼女の部屋に向かった。


 しかし、部屋の扉には鍵がかかっていた。


「――っと、そうだった」


 昨日ウシヤマさんの部屋を調べる時もそうだったと思い出す。


 私は森園さんに合鍵を借りるため食堂へ戻った。


 ――――


 厨房に入ると、そこで森園さんとイヌヅカさんが何やら話をしているようで、押しの強いイヌヅカさんが森園さんを困らせているようだった。


「どうかしたんですか?」


「あ! 探偵さーん! あのねー、森園さんがねー、おんなじにおいがするんだよー」


「ニオイ?」


 私が彼女に視線を向けると森園さんは顔を真赤にして俯く。


「うん! あー!? 探偵さんもちょっとだけおんなじにおいだー!!」


「え……!」


 森園さんが面を上げ私を見る。彼女はかなりの衝撃を受けているようだった。森園さんも年頃の女性だ、そんな彼女が私のようなおじさんと同じニオイがすると言われてショックを受けないはずがないのだ。


 ここは大人としてイヌヅカさんを注意しなければならない。


「いいですかイヌヅカさん。そういうデリケートな話は口にするのはいけないことなんです。ましてや女性の体臭にあれこれ言うのは感心しません」


「そなのー?」


「そうですよ。だからもう森園さんのニオイのことは言わないであげてください。もちろん他の人にも絶対に言ってはいけませんよ」


「はーい」


「うむ。わかればよろしいのです。ささ、森園さんに謝りましょうね」


「ごめんだよー」


 イヌヅカさんはやや大仰な仕草でな頭を下げ、トタトタと厨房から出ていった。


「あの……ひとつ訊いてもいいですか?」


「ん? 何でしょう?」


「私ってそんなにニオイますかね?」


「ええ!? ああ……」


 私は失礼を承知で森園さんに鼻を近づけ臭いを嗅いでみた。しかし彼女から嫌な臭いなど一切しなかった。むしろほのかに化粧の香りが漂っていた。


「まったく臭いませんね」私は正直に答えた。そして、「あの、失礼ですが私のニオイも嗅いでもらっていいですか?」とお願いした。


 こんな私でも体臭にはそれなりに気を使っているのだ。それなのに臭うと言われれば人並みに傷つく。


 森園さんは私に顔を近づけスンスンと鼻を鳴らした。


「別に何も感じません」


 それを聞いてホッと安堵の息をつく。


 だとすれば謎なのはイヌヅカさんが感じたニオイとは何のことだったのかということ。


 先程森園さんから感じたニオイは私の使っているデオドラントとはまったく別種のものだった。にもかかわらずイヌヅカさんは“同じニオイがする”と言っていた。そもそも彼女は私のニオイを嗅ぐ前から同じニオイがすると言っていなかっただろうか? ――ならばそれは何と比較して同じだったのだろうか?


「うぅむ。わかりませんね」


「もしかしてイヌヅカさんは鼻が利くのかもしれませんね」


「鼻が利く? どういうことですか?」


「え? あ、いえ、別に大したことではないんですが、イヌヅカさんだけに鼻が利くのかなと思いまして……」


 森園さんが照れ笑いを浮かべた。


 イヌヅカ……犬。だから鼻が利く。ダジャレというやつだ。


「はっはっは。なるほど、そういうことですか。はっはっは――」


 ……ん? 待てよ?


 私は昨日から服のポケットに入れっぱなしにしていたウサギの柄のペンを取り出した。


 ウサギ……犬。そして瓜生さんの名前は辰雄。


 これはもしや、そういうことなのか!?


「森園さん。もしかして犯人がわかったかもしれません」


「え? そそそ――そうなんですか!?」


 私の唐突な発言に森園さんがひどく動揺する。


「はい。ですが確証を得るために今からあることをしなければなりません。ですので失礼します」


 私は厨房をあとにした。


 …………


 まず最初に見つけたのはニカイドウさんだった。謁見の間を模した部屋で王座に座って足を組んで座っていた。相も変わらず手にはワイングラス。ただ、私の勘違いかもしれないがいつも持っているグラスと少し形状が違うような気がした。それにズボンの膝の部分に擦れたような汚れができていた。


「おや? ずいぶんと慌てているみたいだけど。――まさかまた犠牲者が出たのかな?」


 ニカイドウさんの目つきが鋭く光る。


「いえ、事件解決の糸口が……見つかったので、それで、走ってきたんですよ」


 肩で息をしながら、私は持っていたノートとペンを彼に差し出す。


「ほう、ぜひ聞かせてもらいたいな……」


「はい。ですから……ここに名前を書いてください」


「なぜかな?」


「それが事件解決に繋がるからです」


 ニカイドウさんは「そうか」と言って、ペンを走らせる。


「…………」


 彼がノートに書いたものは、絵のような記号のような解読不能なサインだった。自前のサインを持っていることに少し驚いた。彼はひとりでサインの練習とかしてそうではあるが……


「あの、できれば楷書で正しく書いてもらえませんか?」


「ああ、サインが欲しかったわけではないのか。それならそうと言いたまえ」


 そう言いながら、今度はちゃんとした字で書いてくれた。


「ありがとうございます!」


 と、私は頭を下げその場をあとにした。


 ――


 2階に上がるために玄関ホールに向かう途中で、エトウさんの部屋の前に美しい女性がひとりで佇んでいるのを見つけた。アカリさんだ。


 こんなところで何をしているのか気にはなったが、今はそれを聞いている場合ではない。私は彼女に近づいて「すいません」と声を掛ける。


「なにかご用でしょうか?」


「ええ、実は――」


 事情を説明して、ノートとペンを差し出す。彼女はとても綺麗な字で自分の名前を書いた。


「ありがとうございます。それから……」


 いつも一緒にいる彼女のことだから、おそらくニレガネさんの名前も知っているだはずで、彼女の名前もついでに書いてもらうことにした。アカリさんは断ることなくニレガネさんの名前を書いてくれた。これで彼女を捜す手間も省けた。


 最後に私はポケットからうさぎのペンを取り出して「エトウさんの部屋に落ちていたものです。返しておきますね」と彼女に手渡した。


 それを受け取った彼女は特に表情を変えるでもなく首を傾げていた。彼女に礼を言って、次の人のところに向かった。


 ――


 2階廊下を仲良く歩く2人組を見つけた。イヌヅカさんとイノグチさんだ。2人に事情を説明して、名前を書いてくれと頼むと、素直に従ってくれた。

 イヌズカさんは若い女の子に見られがちなちょと下手な丸文字。イノグチさんは大人顔負けの整った丁寧な字を書いた。


「ねぇー。だれが犯人なのー?」


 名前を書き終わると、イヌヅカさんが尋ねてくる。


「それはまだわかりません。ただ、もうすぐそれがわかると思います。それでは失礼します」


 2人から離れる。去り際に、イノグチさんが「頑張ってください」と声を掛けてくれた。


 ――


 タイガさんは3階廊下を1人で歩いていた。


「すいません。タイガさん」


 その背に呼び掛けると、彼は振り返った。


「なんか用か?」


 彼の前に立つと、背の高さの都合上見下みおろされる形になる。嫌でも威圧感を感じてしまう。だが、今の私に怯んでいる暇などない。


「ここに名前を書いてほしいんです」


 そう言って、開いたノートとペンを差し出す。


「名前? 俺の名前は教えたはずだがな」


「そうではなくてですね、字を知りたいんです。これは犯人を見つけるために必要なことなんです」


「……そうか、わかった」


 少し悩んで、ノートに名前を書いてくれた。角ばった実に男らしい字だった。私はありがとうございますと礼を言って、次の人物を探す。


 ――


 瓜生夫妻は礼拝室にいた。

 ミライさんは最前列の席に座り両手を組んで祈りを捧げるような体制をとっていた。この状況で神に祈りたくなる気持ちはわからないでもない。

 後方の席でミライさんをじっと見守っている辰雄さんに声を掛ける。


「すいません」


 こちらを振り返った辰雄さんが目を丸くする。


「なっ、なんじゃ!?」


「実は名前を教えてもらいたくて――」


「名前じゃと? バカ言っちゃいかんよ。事情聴取のときに教えたじゃろうが」


 そこで私は持っていたノートを開いてペンと一緒に差し出した。


「あのときは口頭でしか教えてもらっていませんよね。今回はここに名前を書いてほしいんです。もしかしたら犯人がわかるかもしれないんです」


 辰雄さんの名前は既に知っているが、ミライさんの名前だけを尋ねたら変に勘ぐられそうなので2人の名前を要求することにした。


「そうか……そういうことなら協力せにゃならんな」と辰雄さんはノートに名前を書いてくれた。


「それからミライさんの名前も教えてほしいんですが……」


 ミライさんに顔を向けると、こちらに気付いた様子はない。それだけ集中しているのだろう。


「わしが書いても構わんかの?」


「はい。お願いできますか」


 辰雄さんはミライさんの名前も書いてくれた。


「ありがとうございます」


 私は頭を下げてお礼を述べて静かに礼拝室をあとにした。


 ――


 すべての人物の名前が揃った。廊下を歩きながら同じページに乱雑に書かれた8人の名前を眺める。


 ――二階堂申彦。卯佐美明里。楡金八重。犬塚真理絵。猪口ねね。大河虎次郎。瓜生辰雄。瓜生未来。


 そして、これに有馬悟と森園かな子を加える。


 私の考えは真に迫っていた。


 より完璧を増すために、ウシヤマさんとエトウさんの名前も確認しておく必要がある。私は森園さんに協力を求めるべく食堂に向かった。


 森園さんに鍵を借りる際に彼女からニレガネさんの様子が変だという話を聞かされた。なんでも、エトウさんの部屋に入りたいから鍵を貸してくれと言ってきたらしい。彼女の言動は一貫して怪しさ満点だ。しかし、今の私にはその理由がなんとなく想像できていた。


 情報を提供してくれたことと鍵を貸してくれたことに対してお礼を言って、まずはウシヤマさんの部屋へと向かった。

 しかしそこではたと思い出した。彼の部屋には荷物がないのだ。これでは彼の名前を知ることはできない。


「どうしたものか……」


 安直な考えではあるがウシヤマと言われてまず思い当たるのは“牛山”ではなかろうか。


 私は手にしていたノートに視線を落としそこに牛山の名を並べてみた。すると私が考えている推理に矛盾はないことが確認できた。それで私はウシヤマさんの部屋の捜索を切り上げエトウさんの部屋に向かった。


 彼女の荷物はすぐに見つけることができた。一応彼女の亡骸に断りを入れて荷物を検める。エトウミカ――江藤巳佳。


「やはり……」


 私が探していた最後のひとりは予想通りその字が名前に含まれていた。


 ――私の予想は正しかった。どうや自らの推理を皆に披露するときがやってきたようだ。


 …………


 森園さんと有馬さんに協力してもらってすべての人を食堂に集めた。彼らは無言で椅子に座っていた。静かすぎて時計の針の音が聞こえてくる。その音が緊張する私の心音と重なって聞こえる。


 私はこれから話す内容を頭の中で組み立てていく。


「あの? 犯人がわかった、ということでよかったですよね?」


 静寂を破りイノグチさんが尋ねてきた。


「ええ、まぁ」


「なんじゃ? ずいぶんと歯切れが悪いのぅ」


 犯人はもうわかっている。ただ、どういう順序で説明していくべきか迷っていた。しかし、あまり待たせるのはみんなにも悪いだろう。私は自分の考えを整理しながら話すことにした。


 空咳して、話を始める。


「まず最初に、今回の事件は非常に難解でした。理由は、ウシヤマさんが殺されたときもエトウさんが殺されたときも、全員にアリバイがないからです。しかも、両方とも部屋の扉の鍵は開いていた……ということはですね、この中の誰が犯人でもおかしくない状況だったわけです。しかし、犯人は致命的なミスを犯しました。それは現場にあった遺留品です」


「ちょっと待て。 俺は犯人じゃないぞ」


 タイガさんがそう言うと、それを皮切りに「あたしもだよー」「わしもじゃ」「私もです」と自分が犯人にされると思ったのかほかの人も口々に声を上げる。


「落ち着いてください。犯人は自分以外の人間に罪をなすりつけるために皆さんの持ち物をわざと現場に置いたということはわかっています。ただし、それが逆に犯人を特定する切っ掛けになってしまったのです」


「うん? どういうことじゃ?」


「いいですか皆さん。私は先程皆さんにこのノートに自分の名前を書いてもらいました」


 私は全員の名前が書かれたページを開いて、みんなに見えるように掲げた。


「実は、今回ここに集められた人間にはある共通点があります!」


 宣言すると、数人から驚きの声をが上がる。


「その共通点というのは……です!」


「あぁ、やっぱり……」


 ニレガネさんが額に手を当て首を左右に振る。彼女がそういう反応をするのは無理もないだろう。


「これから、わかりやすくみなさん名前を読み上げます。――瓜生辰雄の『辰』。瓜生未来の『未』。犬塚真理絵の『犬』。猪口ねねの『猪』。二階堂申彦の『申』。大河虎次郎の『虎』。卯佐美明里の『卯』。そして、コンシェルジュの2人はネームプレートにも書いてあるように、有馬悟の『馬』、森園かな子の『子』となります。そして亡くなった2人の名前は、牛山さんの『牛』、江藤巳佳さんの『巳』です。ちなみに私の名前には『鳥』という字が入っています。そして重要なのはここから、それぞれの事件現場に残されいたものが、どういうわけか皆さんの名前を示すものばかりだったんです」


「どういうことでしょうか……」


 アカリさんが言う。心なしか私を見るその表情はいつにもまして冷たい感じがした。


「例えば、凶器となったタイガさんのナイフには虎の意匠が掘られたいました。同じ要領でコルク抜きには猿の人形、シュシュの模様は犬。財布には龍の墨絵、そしてうさぎのペンに豚のシールが貼られた眼鏡ケースといった具合です」


 各持ち物の持ち主を順に指さしながら語る。


「そして、未来さんのストールですがこれはおそらくマフラーの代用です」


「マフラー?」


 未来さんが首を傾げる。


「はい。マフラーと言えばウールですウールは羊の毛。――それからおそらく、犯人はコンシェルジュの2人の部屋には侵入できなかったんだと思います。だから、馬は馬の絵のラベルが貼られたワインで、子はパソコンのマウスで代用したんだと考えられます」


「ふむ。なるほど。それで?」


 ニカイドウさんが指すような言葉で次を促す。


「これまで私が言った十二支の中でまだ出てきていないのは牛、巳、鳥ですが、牛と巳は被害者ですから当然で、鳥は私の名前ですから無くて当たり前。探偵が犯人なわけありませんからね」


「結局何が言いたいんだ?」


 腕を組んだ大河さんが低い声を出す。


「つまりですね、犯人は十二支とは無縁な人間ということですよ」


 私が指摘する前にみんなの視線が彼女に集中する。


「そう、皆さんの考えている通りです。犯人は、あなたですよ――」


 私は彼女指さした。


 決まった――


 事件解決の瞬間だった……

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