第7話 事件発生

 礼拝堂を出て自室に向かって歩いていると、2階の廊下でマリエちゃんを見つけた。マリエちゃんは1人で、視線を落としながらキョロキョロと廊下を確認するように歩いていた。


「何してるの?」と声を掛けると、マリエちゃんは困ったような表情でネネちゃんからもらった大事なシュシュを失くしてしまったと教えてくれた。


 シュシュ……女の子が腕につけたり、髪留めに使ったりするあれだ。でも、わたしはマリエちゃんがシュシュを付けているところを一度も見ていない。


「どこで失くしたか検討は付いてるの?」


「あたしここに来てから一度もシュシュをつけてないよー。持ってきたのはたしかなんだけど。……それでネネちゃんがあたしはおっちょこちょいだからどこかで落としたんじゃないかって探してるのー。でもあたしはつけてないんだよー」


 なんか独特な表現だ。


 要はネネちゃんはマリエちゃんがどこかでシュシュを落としたんじゃないかと疑って2人で手分けして探しているということだろう。


 どうせ暇だし一緒に探してあげようと思った。わたしが明里の方に顔を向けると彼女は何も言わずにうなずいた。


「ちなみにネネちゃんはどこを探してるの?」と聞くと反対側の廊下だと返ってくる。なので、わたしは1階を明里は3階を捜索することにした。


 1階はすでに探したと言われたけど見落としている場合だってあるので気にせず1階に向かった。1階に降りる階段は玄関側にしかない。わたしは娯楽室前の階段を降りながらふとマリエちゃんの言葉を思い出した。


 ――ここに着いてからは一度も身に着けてない……


 おっちょこちょいってことは、ここに持ってきたつもりだけど実は家に……なんてこともあるかもしれない。だけどそうじゃないとするなら、考えたくはないけど盗難の可能性も視野に入れなければならない。

 利用客のうち女性は6人だ。そのうち、失くした本人とわたしと明里を除外すると3人。ネネちゃんが自分であげたものを自分で盗るとは考えにくい。ミライさんに関してもそんなことをしそうな感じはしない。じゃあエトウさん……これもしっくりこない。


「うーん」


 立ち止まって考え事をしていると、食堂で見かけたポロシャツのおじさんが1階の方から上がってくる。


 そう言えば、あの人って昼食のときわたしたちのことチラチラ見てたけど……


 ――まさか……ね?


 わたしは自分の頭の中の嫌な想像をかき消すように頭を振った。おじさんがわたしの横を通るときものすごい怪訝な顔でこっちを見てきた。


 急に頭を振ったりしたらそりゃそういう反応になるだろう。


「あっ――そうだ!」


 わたしは思わずポンッと手を叩いた。


 背後から「何だ!?」と驚く声が聞こえてくる。


 振り返ると、こっちを見ているおじさんと目が合った。


 わたしは作り笑いで頭を下げた。おじさんは首を傾げながら向き直りスタスタと歩いていった。


 わたしは急いで今思いついたことを実行することにした。


 ――――


 森園さんを見つけたのは1階の明里の部屋の正面に伸びる廊下だった。


「すみません!」


「はっ、はひっ!」


 森園さんは体をビクつかせた。


 背後から声を掛けたせいで驚かせてしまったようだ。振り向いた彼女の頬がほんのりと赤くなっていた。


 驚かせてしまったことを軽く謝罪して「あの? 落とし物とか届いてませんか?」と尋ねた。


 もしかして誰かが拾ってコンシェルジュに届けたのではないかと考えたのだ。


「いえ、特にそういった物は。何か失くされたんですか?」


「はい。マリエちゃ――イヌヅカさんがシュシュをなくしたみたいで」


「シュシュ、ですか? ちなみにどういったデザインですか?」


「……あ」


 そう聞かれて、わたしはそれがどんなデザインなのか知らないことに気が付いた。


「いや、えっと、シュシュはシュシュだからデザインとか関係なくわかると思います」


 適当に誤魔化した。


 ほかのお客さんがシュシュを持っているとも思えないしたぶん大丈夫だろう。


「わかりました。もし届けられたらイヌヅカさんに返しておきますね」


「ありがとうございます」


 これで一応の保険はできた。それから、わたしは念の為1階を探し回って、結局見つけることができなかったのでマリエちゃんのところに戻ることにした。


 …………


「ここにいたんだ」


 娯楽室の扉を開け、ようやくマリエちゃんを発見した。


 そこには彼女のほかにネネちゃんとウリュウ夫妻がいた。


 なぜか4人は部屋の隅にあるテーブルに腰掛けていた。初めて見る組み合わせ。しかも一様に表情が暗い。


 そんな4人の傍に寄り、マリエちゃんにシュシュが見つからなかったことと、森園さんに話したことを伝えてから、暗い表情をしている理由を尋ねた。


「実は、ストールをなくしまして……気が付いたら失くなっていたんです。それを主人に指摘されて初めて気が付いて、先程まで主人と一緒に探していたんです」


「そこでばったりこのお嬢さん方と会ってな。聞けばこのお嬢さんもシューシューとやらをなくしたそうじゃないか」


「シューシューじゃなくて、シュシュだよーおじさん」


「おう、そうじゃったそうじゃった」


 これは結構な大事じゃないだろうか。


 マリエちゃんだけでなくミライさんまで……これって偶然? ――偶然じゃなかったら必然ということになるけど、もし誰かが意図的にやってるんだとしたら。誰が、何のために……


「ところで、卯佐美さんもシュシュをさがすの手伝ってくれているんですよね?」


 ネネちゃんに言われて、明里がこの場にいないことに気が付いた。


「まだ探してるのかも……呼んでくるよ」


 4人にそう言って、わたしは娯楽室を出た。部屋を出たタイミングで、1階から階段を上がってくる明里が視界に入った。いつもより歩みが速い。慌てているようなそんな感じだ。


「あれ? 明里じゃん。でもなんで1階に?」


 明里は3階を探していたはずで、3階に続く階段は反対側だ。


「3階にはシュシュは見つからなかったので、1階で八重様を捜していたんです」


 どうやら明里も見つけられなかったらしい。


「それより……大変なことが……」


 そういう彼女の表情はいつもと違って神妙な顔つきだ。嫌な予感がする……


「どうしたの? 急に」


 明里がこっちへ来てくれと言うので、わたしは明里に従って1階の玄関ホールのすぐ隣にある客室――『001』へ移動した。明里はその部屋の扉を開ける。


「え!? 勝手に開けちゃまずいんじゃ……」


 明里はわたしの言葉を遮って横に振る。


 ――あれ? そう言えばなんで鍵開いてんだろ……


 そして、部屋の中に入るように促され、わたしはそれを見た。


「――ッ!」


 ベッドの上で仰向けになっている男性。胸にはナイフが突き立てられ、服とシーツに赤いシミを作っていた。


 例のネルシャツの男性だ。ただ、遺体はマスクとサングラスを付けてなかった。口を開け、目を大きく見開いて苦悶の表情を浮かべている。明らかに死んでいる……


「八重様を捜しているときにこの部屋の扉が開いていたので、悪いとは思ったんですが中を覗いたら……こういう状態でした」


「そっか……」


 まずはとにかくコンシェルジュの2人に連絡するために、ベッドのヘッドボードにある緊急連絡用のボタンを押した。


「それじゃあコンシェルジュが来るまでに……」


 できるだけ部屋の中を調べておこうと思ったところで、開けっ放しになった扉の外からさっきまで娯楽室にいた4人の声が聞こえてくるのがわかった。


「まずい! 一旦出よう!」


 わたしと明里は部屋を出て扉を閉めた。今は騒ぎを大きくすることは避けたいし。学生の2人にはこの部屋を見せられないと判断したためだ。


 部屋の前で2人で立っていると、4人がこっち来る。


「ん? ここで何をしとるんじゃ?」


 タツオさんが尋ねてくる。その横で明里がマリエちゃんにシュシュは見つけられなかったことを伝えていた。


「いや、まぁ。コンシェルジュの人を待ってまして……」


「なんじゃ? 部屋で待てばいいんじゃないのか?」


 答えにあぐねいていると、森園さんと有馬さんが2人そろって現れた。明里に目配せしてうなずいてみせると、察した彼女は4人を少し離れた場所へ誘導する。


 それを確認して、わたしは有馬さんと森園さんに事情を説明しながら『001』の部屋に入った。


「これは……」


 それを見た有馬さんが小さく声を発し、森園さんは両手で口元を抑えて驚愕の表情をしていた。


「ほかの人たちにどう説明するかは2人に任せます」


「え、ええ……わかりました」


 有馬さんが動揺しながら答え、部屋の外に出ていった。森園さんはショックを受けているのか、遺体に釘付けでその場を動こうとはしなかった。



「一旦外に出ましょうか」


 森園さんに声を掛けても動こうとしないので、わたしは彼女の肩を叩いて、もう一度同じ言葉を言った。未だ信じられないといった表情の森園さんと一緒に部屋を出た。

 外に出ると、離れたところで4人――いや、よく見ると、そこにはさっきまでいなかったポロシャツのおじさんが加わっていた――が有馬さんから説明を受けていた。どうやら有馬さんは早速この状況を話しているみたいだった。


「何じゃと!?」とタツオさんが一際大きな声を上げる。タツオさんが驚くのも無理はない。人が死んでいたと聞けば普通はそうなる。


 すると、有馬さんの説明を受けていた一団を抜け出しこちらに向かって走って来る人物がいた。ポロシャツの男性だ。


 彼はこちらまで来ると「失礼」と言って部屋の中に入ろうとする。


「え? ちょっと! 部屋に入るんですか!?」


「ああ、そうだ」


「なんで――」


 わたしの話を最後まで聞かずおじさんは部屋の中に入ってしまった。


 ――どういうこと?


「お待ちください!!」


 今度は有馬さんの静止の声が廊下に響いたかと思うと、目の前をタツオさんとマリエちゃんが走っていく。


「次は何!?」


 2人の行き先は入り口だった。2人の後を追いかけるように有馬さんが走って行く。さらにその後ろをネネちゃんとミライさんが追う。


「いけません!」


 有馬さんが扉にすがりつく2人を注意する。


「何が駄目なんじゃ? 人が死んだのであろう? ならすぐに警察じゃ!」


「そーだよー。それに人が死んじゃったら中止だよー!」


 2人が有馬さんに詰め寄る。


「規則ですからそれはできません!」


「はぁ? 規則じゃと!? こんなときに何を言っとるのかね君は!?」


 有馬さんと2人のやり取りを眺めてると、明里がわたしのところに来て「どうしますか?」と尋ねてきた。


「うぅん……こうなったら身分を明かして混乱を収めるしかないかな」


「そうですね」


 わたしは玄関ホールで問答を続ける3人とそれを不安気に見つめるミライさんとネネちゃんのところに歩いていく。


 そして、みんなに声をかけようとしたところで――


「み、みなさん。聞いてください!」


 背後から声が聞こえた。その場にいた全員の視線がそこに集まる。声を発したのはさっき『001』の部屋に入っていったはずのポロシャツのおじさん。


「心配しなくても大丈夫ですよ! なぜなら……私は探偵ですから!」


 彼の発言で玄関ホールがざわついた……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る