第9話 甘い香りに誘われて……
目的を果たした私は森園さんに鍵を返して食堂を出た。結論を言うと、誰の客室にもウシヤマさんの荷物らしきものはなかった。
――もしかして私の推理が間違えていた? いや、そんなはずはない。おそらく別の場所に一時的に隠しているのだろう……
だったら探すしかない。
1階の撮影ルームに食堂、中庭。2階の娯楽室に資料室。3階の礼拝室に展望室――くまなく捜索を行ったが、何の成果も得られなかった。
気がつけば時刻は17時を回っていた。夕食の時間。それを意識すると途端に腹が減ってくる。
「なにか食べるか……」
ひとりごちながら食堂に向かって歩いていると、視線を下に向けてキョロキョロしながらこちらに向かって歩いてくるイヌヅカさんがいた。見るからに怪しい動き。しかも、いつも一緒にいるるイノグチさんの姿はない。
私は気になって彼女に声を掛けた。
「どうかしたんですか?」
「あー、探偵さーん。ネネちゃんの眼鏡入れがなくなったのー」
「なんですって?」
ネネちゃんというのはイノグチさんのことだ。しっかりしていそうな彼女が物を失くすというのはにわかには信じ難い。
先程のことが頭をよぎる。
「もしや窃盗ですか?」
「せっとー?」
イヌヅカさんが首をかしげる。
まさか窃盗という言葉を知らないのか……
「えっと、盗まれたのですか?」と言い直す。
「うーん? 違うと思うー。だってずっと部屋に置いておいたって言ってたしー」
いやいや、ずっと部屋に置いておいたのなら、なおのこと盗まれたと考えるべきだろう。何をもって違うと判断したのか。
しかしこれは妙なことになった。
盗人は未だなお犯行を続けているということだ。どうやら相当に手癖の悪い人間がいるようだ。
「探偵さん、一緒に探すー?」
「ん?」
彼女の真摯な眼差しが私の心を打つ。
ここは夕食に向かうのを一旦諦めるしかないようだ。
「わかりました。協力しましょう」
「わーい。ありがとー!」
彼女の無邪気な笑顔がとても眩しかった。
――――
捜索を始めてから数分、2階の廊下で私と同じような所作で歩くミライさんと出くわした。
「もしかして、ミライさんも眼鏡ケースを探しているんですか?」
「眼鏡ケース……?」
ミライさんは怪訝な顔で私を見返す。
てっきりイノグチさんの眼鏡ケースを探す手伝いをしているのだと思ったのだが違ったようだ。
「もしかして、何か別のものをお探しですか?」
「え? ええ。じつは、主人が財布を失くしまして、それを手分けした探していたんです」
「財布ですか?」
イノグチさんの眼鏡ケースに続きタツオさんの財布まで盗まれたとなると、
「これは事件ですね。窃盗です」
頬に手を当て首をかしげるミライさんに事情を説明する。
「まあ! そんなことが!」
驚きを隠せない様子だ。
タツオさんは花屋敷グループの会長で、その彼の財布ともなれば中身は察することができる。それが本命で、眼鏡ケースはブラフか。
「あの? どうかしましたか?」
「ん? ああ、これは失礼。えっと、タツオさんの財布も探してみますね」
「よろしくおねがいします」
ミライさんは深々と頭を下げた。
彼女と別れ私は眼鏡ケースと財布の捜索を再開する。
夕食がますます遠のいた。
…………
15分ほど探し回って、空腹に勝てなくなった私は夕食にありつこうと食堂に向かった。
すると、私に探し物のお願いを申し付けたイヌヅカさんはイノグチさんと、ミライさんはタツオさんと楽しく夕食を取っていた。その姿を見て私はなんだかやるせない気持ちになった。
「ん? おぉう。すまんのう。ミライから聞いとるが一緒に財布を探してくれてたんだろう? ――まぁ、大した額は入っとらんし、カード求めてしまえばいいだけ出しのそんなに急がんでもいいんじゃ」
タツオさんのいう“大した額”はきっと庶民にとっての大金だと思うが、本人がそう言うならそれでいいのだろう。
「あの。マリエが手伝いをお願いしたみたいで、ほんとにすいません。――なくした眼鏡ケースはそれほど高いものではないので、また買えばいいかと思いまして」
どうやらイノグチさんも半ば諦めたようだ。
「ネネちゃんお金いっぱい持ってるからねー」
「ちょっとマリエ!」
イノグチさんは顔を真赤にしてイヌヅカさんを制する。当のイヌヅカさんは気にした様子なくあははと笑っていた。
万葉学園には経済的に豊かな人間でなければ入ることができないことは知っている。だから金持ち云々は今更だ。そもそもディバインキャッスルに来るための費用だって馬鹿にならないのだ。故に、ここにいる人間は総じて経済的には勝ち組なのである。
なるほど、ディバインキャッスルで盗みを働こうとするものが現れるわけである。
ここでの食事は7度目になる。食事は森園さんが一手に担っているようで、彼女の作る料理は非常に美味しい。結婚したら間違いなくいい奥さんになるだろう。
心のなかで舌鼓を打っているところに、慌てた様子で食堂に入ってくるものがいた。有馬さんだ.
「鳥海さん!! 大変です!!」
彼はこれまでの様子からは考えられないような大声を張り上げてた。
その様子から私はすごく嫌な予感がした。
…………
「ここです」
有馬さんに連れてこられた部屋は『008』――エトウさんの部屋だった。
――まさか彼女が……
私のほかに食堂にいたウリュウ夫妻と学生の2人もついてきていた。
「みなさんはここに残ってください」
そう言って、私は1人で部屋に入った。
部屋に入って最初に飛び込んできたのは、椅子に座りテーブルに突っ伏した状態のエトウさんだった。後頭部を殴られたようで、彼女のブロンドの髪が赤く染まっている。それが滴るようにしてテーブルクロスに赤いシミを作っている。目を背けたくなる光景……だが、探偵である以上そうも言っていられない。
念のため声を掛けながら体を揺すってみるが反応はない。
当たり前だが死んでいる。
「なんてことだ……」
思わず嘆く。
しかし、絶望している時間などないと思い直して、私は部屋の様子を確かめることにする。
彼女が伏しているテーブルの上にはノートパソコンだったものが置かれている。閉じられたノートパソコンは上から何かを叩きつけたみたいに破壊されている。そこに繋がったマウスがテーブルの外にだらりと垂れ下がっていた。 そして、床には彼女のトレードマークとも言える大きなレンズが付いたカメラが転がっていた。
望遠レンズの部分には血が付着していて、レンズは割れている。加えて、カメラ自体にもところどころヒビが入っている。
おそらく、テーブルに向かってノートパソコンで作業していたところをカメラで殴られて殺されたのだろう……しかも、カメラ本体にヒビが入るほどの力で、何度も……
――むごいことを……
まさか自分の商売道具が仇になるとは本人も思っていなかっただろう。
ほかにはなにかないかと周囲を見まわして、ベッドの上に置いてある財布が目についた。近づいてそれを手に取る。水墨画調の龍の絵がプリントされた長財布。とても女性が持つものとは思えなかった私は中を拝見させてもらうことにした。
「えっ!?」
中に入っていたクレジットカードを見て驚いた。
――名義がウリュウタツオになっていたからだ。
窃盗犯の目的はタツオさんの財布ではなかったということか?
念のため財布に入っていたものをすべて確認する。ウリュウさんの言っていたとおり本当に現金は少額しか入っていなかった。カードで買物をしているためか、あるいは犯人が現金を抜き取ったか、か。そして、財布の中に入っていたどこかの店のポイントカード。随分庶民的だなと思いながら裏面を確認する。そこには――『瓜生辰雄』と書かれていた。
「これがタツオさんの名前か……」
私は財布を置いて次に怪しいものを探す。するとすぐにそれは見つかった。
床に落ちていた黒色の眼鏡ケース。そこにはデフォルメされたブタのシールが貼られていた。
エトウさんは眼鏡を掛けていない。つまりこれはここにあるはずのない物。デイバインキャッスルにいる人物の中で眼鏡を掛けているのは有馬さんとイノグチさんとアカリさんの3人だけ。ならばこれはイノグチさんが失くしたと言っていた眼鏡ケースに違いない。
そしてさらにもう1つ、白いうさぎが描かれた可愛らしいペンを見つけた。
――見覚えがある。確かこれはアカリさんの物だ。
その後も部屋を探してみたが、それ以上目ぼしいものは見つからなかった。私は部屋で見つけた3つのものを手に持った。
もちろん現場保存はしなければならない。だが、最初の事件同様みんなが勝手にこの部屋から持ち出す可能性は十分に考えられる。どうせ部屋に入って現場を荒らされるくらいならと、それらのものを持ち出すことにした。
部屋を出ると、入る前と同じようにウリュウ改め瓜生夫妻と学生2人と有馬さんがいた。
「あの、どうでしたか?」
イノグチさんが尋ねてくる。
私は神妙な面持ちで首を左右に振った。
そこにいた全員がやはりかというふうに落胆する。
それから私は「もしかして、探していたものはこれじゃないですか?」と、手にしていた眼鏡ケースと財布をそれぞれ持ち主に差し出した。
すると、「これはわしのじゃ!」「確かに私のです!」と声が上がる。
財布は当然辰雄さんのものである。そして、眼鏡ケースはイノグチさんの物で間違いなかった。
私はそれらを2人に返した。
「ネネちゃんのやつここにあったのー? もしかして犯人ー?」
イヌヅカさんが首を傾げる。
「ち、違うよ。何言ってるのマリエ!」
「ですが、どうしてこの部屋に主人のものがあったのかは不思議ですね」
ミライさんが不安げな表情で頬に手を当てた。
「前回と同じですよ。おそらくあなた方のどちらかに罪を着せようとしたということでしょう」
犯人の目的が窃盗である可能性は一旦おいておいてそう説明した。
「言っておくが、わしはやっとらんぞ!」
「私もです!」
現場に落ちていた物の持ち主たちはそう言うが、この2人が犯人である可能性だってなくはない。盗まれたと思わせておいて実は盗まれていなかった……そういう考えだってできる。私は現場に落ちていたうさぎの絵のペンを見つめる。
「ふぅ……」
彼女が犯人であってほしくはないが、彼女が犯人である可能性も疑わなくてはいけないことに辟易してため息を付く。そして、それをシャツの胸ポケットにしまった。
「有馬さん全員を食堂に集めてもらえませんか?」
そう言うと有馬さんは「はい」とうなずいて、ほかの者たちを呼びに行った。残った私を含めた5人は食堂へと移動するのだった。
…………
食堂のテーブルに向かって8人の人間が座っている。コンシェルジュの2人は少し距離をおいたところに並んで立つ。
私は全員が見える位置に立って話をする。
「まず有馬さんに聞きます。何がきっかけでエトウさんの部屋に?」
「エトウさん部屋の扉が開いていたんです。ですから部屋の扉を閉めてあげようと思い部屋に近づいたところで中の様子が見えて、それで鳥海さんに伝えようと思いました」
「なるほど」
またも部屋の扉は開いていた。誰にでも犯行が可能な状況。
「まず、私がエトウさんを最後に見たのは昼食時間で、場所はここです。それ以降にエトウさんに会った、あるいは見かけた人は教えてください。できれば時間も」
そう言って全員を見る。
誰も何も言おうとしなかった。
「そうですか……そうなるとエトウさんは13時から17時頃までの間に殺されたことになりますね。そして、今回もまた誰が犯人であってもおかしくないということです」
「おい! ふざけるなよ! だいたい探偵のお前がさっさと犯人を見つけていればこんなことにならなかったんじゃないか?」
「う……」
そう言われるとぐうの音も出ない。
「まあまあ、落ち着きましょう」
ニレガネさんがタイガさんをなだめようとする。
「はぁ? 馬鹿かお前は。人が2人も殺されてんのにどうして落ち着ける。――そうか、なるほど貴様が犯人だから自分は絶対に死なないとわかってるってことか?」
タイガさんはかなりピリついているようだが、彼の指摘には一理ある。なぜこの状況で落ち着いていられるのか。そして、落ち着いていると言えば、ニカイドウさんも静かな笑みでワインを楽しんでいる様子だった。この2人は昨日もこんな感じだった。よほど神経が図太いか、あるいは……
「今日は1日私はずっと八重様と一緒にいました。ですから八重様は犯人ではありません」
「お前ら2人が犯人だとしたらどうだ?」
「やめましょう。もしかして、こうやって仲違いさせることも犯人の計算のうちかもしれませんよ」
イノグチさんが2人の会話に割って入った。
「ところで探偵さん……犯人の目星みたいなもんは付いとるんか?」
正直言って目星は付いていない。だが犯行理由だけはわかっている。しかし、それを今から説明する気分にはなれなかった。
「ええ、ある程度は……」
と、私は言葉を濁すに止めた。
…………
部屋に戻った私は「はぁ……」と深く息を吐いて、私はベッドの上で仰向けになった。途中になっていた食事物度を通らなかった。
私は自分は探偵だと言ってしまったことを後悔していた。
名乗り出なければ客の1人として、誰の期待も背負わず、皆から責められることもなかったのかもしれないと……
だが、吐き出した言葉はもう飲み込むことはできない。
嫌な意味で非常に濃い2日間だった。本来であれば、明日の正午にはこの城を出て帰途に付く予定となっていた。しかし、城に繋がる唯一の道が絶たれていてはそれもかなわない。
――私たちは一体これからどうなってしまうのか。
盗みが目的ならば盗ませてしまえばいい。どんな高価なものでも命には代えられない。そして、犯人と鉢合わさなければ殺されることもない。
その時、トンと扉に何かが当たるような音がした。
「何か?」
人が訪ねてきたのかと思い返事をする。だが、応答はない。
私はベッドから起き上がり扉を開けた。廊下の左右を確認するが人影はない。
「気のせいか」
どうやら音がしたと思いこんでいただけのようだ。
私は再びベッドに横になる。そしてヘッドボードに置いたそれを手にした。
自分の気持ちを落ち着かせるため、私は深く大きく息を吸い込んだ。
「ん――ッ!」
匂い……甘い匂いが私の肺を満たしていく。
――これは!
これまでに経験したことのない、嗅いだことのない甘い匂いが私の鼻腔をくすぐり、閃光となって脳髄を駆け巡る。
麻薬――そう、麻薬だ!
当然、私はこれまでの人生で麻薬を使用したことなどない。だが、噂に聞く麻薬の性質が真であるならば、これは麻薬に等しいと言える。
現に私の鼻が、脳が――もっと、もっと、とその匂いを求めて止まない。
破滅……その先に待つものは破滅だ。これ以上この匂いを求めることは私の身を、人生を滅ぼすことになる。だが、わかっていても止めることはできなかった。
「くっ……はっ……」
再度、甘い匂いを求めて、深く深く肺いっぱいに吸い込んだ。
脳裏に浮かぶ“あの人”の姿。
そして、私は甘い匂いに満たされながら意識を失った……
その間際に再び扉を叩く音が聞こえたような気がした。
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