第12話 胸騒ぎ
――4日目――
「ん? 重い……」
朝目が覚めると、胸に圧迫感を覚えた。布団をめくると、明里がわたしの胸に顔をうずめるようにして抱きついていた。
まるで子どもみたいに……
「そう言えばそうだった」
昨日の夜は一緒に寝たんだったと思い出す。
彼女をじっと見つめていると、もぞもぞと頭を上げて目を開けてわたしの視線に気づく。
「あ、八重様……おはようございます」
「おはよ、明里」
わたしたちは不思議な体制で挨拶を交わし朝を迎えた。
パッと着替えを終えたわたしは部屋の外で明里の支度を待つ。
女は準備に時間が掛かるんだよね。
「って、わたしも女だけど……」
それは今は置いといて、昨日の一件を思い出す。
エトウさんが殺されたこと。明里の下着が盗まれたこと、ついでにわたしのペンも盗まれた。
昨日は明里の下着が盗まれたってことにばかり気を取られて、変態がいることにばかり気を取られていたけど、今の状況をよくよく考えてみれば、下着を盗んだ人物は変態とは限らないのだ。
これまで、ディバインキャッスルにいる人たちの持ち物は何かしらなくなっている。そして、それらは事件の現場で発見されている。
――そして、今回はわたしと明里のものが盗まれた。
さらなる殺人事件の予兆と考えられる。もし今後も被害者が出るのであるとすれば、これまでの傾向から考えておそらく被害に遭う人物は――
「お待たせしました。八重様」
「――ん? あ、うん」
わたしの部屋の扉が開き明里が出てくる。
一度考えるのをやめて、2人で朝食に向かった。
…………
朝食を済ませたあと、わたしは明里と一緒にエトウさんの部屋を調べに向かった。だけど、扉には鍵がかかっていた。
「開けますか?」
ピッキングスキルを持っている明里が提案する。だけど下手なことをして明里が疑われるようなことになるのが嫌だったのでコンシェルジュに頼むことにした。
確実に居場所がわかっているのは森園さんだ。明里をその場に残して、彼女のもとに向かった。
食堂を経由し厨房に入ると、森園さんは洗い物をしているみたいだった。彼女に近づいて「すいません」と声を掛けると、森園さんは短い悲鳴を上げて飛び跳ね、あわや手にした皿を落としそうになる。
「ななっ、何でしょうか?」
――なんかデジャヴュ。
最初に驚かせたことに対して謝罪して「エトウさんの部屋に入りたいから鍵を開けてほしい」とお願いした。
だけど――
「え……? 何を言ってるんですか?」
「いや、何をっていうか……だって、わたしは――」
最後まで言おうとしてやめた。森園さんは先程からずっと睨むような訝しげな視線を向けてきている。
もしかして、森園さんはわたしの正体を知らないんじゃないだろうか。
わたしはディバインキャッスルに向かうバスに乗る前の本人確認の際、職業欄に“探偵”と書いた。よくよく考えてみると、あのとき受付をしていたのは有馬さんだけで森園さんはずっとバスの中にいた。ということは、2人の間で情報の共有がなされていないということになる。
そう言えば、ウシヤマさんが殺された後の事情聴取のときわたしがフリーターだと嘘をついたら、それに反応を見せたのは有馬さんだけだった。あれはそういうことだったのか。
「あの――もし変なことを考えているならトリウミさんを呼びますよ」
――トリウミ?
探偵さんのことだろうか……ってことはつまり探偵を呼ぼうとしている?
この言動から察するに、どうやら森園さんは完全にわたしの正体を知らないみたいだ。
「えっと、今の話はなかったことにしてください。――それじゃ」
わたしはそそくさとその場をあとにした。去り際に皿を持つ彼女の手が視界に入った。普段は薄手の手袋つけているけどさすがに洗い物のときは外している。
左手の薬指――
――あれって……ウシヤマさんの……
…………
森園さんを諦めて有馬さんを探し始めてからしばらくして彼を発見した。
エトウさんの部屋を調べたいから鍵を開けてほしいとお願いすると有馬さんは笑顔で対応してくれた。森園さんとは真逆の反応。本来なら規則にうるさい有馬さんなら、例えわたしが探偵だと知っていても拒絶しそうなものだがそうはならなかった。そして2人の間で情報の共有がなされていないというわたしの考えは正しいとみて間違いないようだ。
有馬さんは合鍵を取りに自室へと向かう。わたしは一足先にエトウさんの部屋へ向かった。
「ずいぶん時間がかかりましたね」
エトウさんの部屋に着くなり、そこで待っていた明里が言った。
そんな明里に事情を説明すると、「そうでしたか」と納得してから「じつは――」と話を続ける。
「ここで八重様を待っているとき探偵の方に名前を教えてくれとお願いされました」
「名前……? それって、事情聴取のときに教えたよね」
わたしは探偵さん――改めトリウミさんが明里のことを名前で呼んでいるのを何回か耳にしている。
「どうやら字を教えてほしかったらしく、ノートに名前を書かかされました。そして、八重様の名前も書いてくれと言われたので勝手に書きました」
「うん。それは別に問題ないけど……」
トリウミさんはどうしてわたしと明里の名前を知りたがったんだろう……わたしたちの名前が直接事件に関係あるとも思えないし。
「それと、これなんですが――」
そう言って明里がわたしに差し出したのは、ディバインキャッスルに来る前に明里に貸したペンだった。
「見つかったの? 失くしたって言ってなかったっけ?」
「そうなんですが、探偵の方が『現場に落ちていた』と言って渡してきたんです」
「現場?」
現場っていうと思いつくのはウシヤマさん部屋。だけどあのときはまだこのペンはなくなっていなかったはずだ。――ってことはエトウさんの部屋に落ちてたってことになる。
だけどあれだけ現場の保存にこだわっていた彼が勝手に持ち出すなんてあり得るだろうか。
「お待たせしてすみません」
考え事をしていたところに有馬さんが遅れて到着した。有馬さんはすぐに部屋の鍵を開けてくれた。彼をその場に残しわたしと明里は部屋の中に入った。
最初に飛び込んできたのはイスに座った状態でテーブルに伏したエトウさんの姿だった。後頭部には出血の痕がある。
「凶器は……」
あたりを見回す。
「これでしょうか?」
しゃがんで、床にあるカメラを見ていた明里が言った。
「多分違うと思う」
「そうなんですか?」
とわたしを見上げる。
「そのカメラで後頭部を殴ってエトウさんを殺せると思う?」
「……やろうと思えば」
真顔で答えられると少し怖い。しかも明里ならできそうな気がした。
「いや、まあ、わたしが言いたいのは、エトウさんが肌身離さずの状態だったカメラを奪い取って殴ったならこういう状況になってないんじゃないかなって話」
大切にしてたカメラを無理やり奪おうとすればエトウさんは必ず抵抗したはずだ、だけどエトウさんの遺体の状態からは特に抵抗した様子は見受けられない。
「カメラが凶器じゃないとすると、この状態から判断してノートパソコンで仕事か何かをしていたところを後ろから何か別の物で殴ったんじゃないかと……で、あとからカメラでもう一回殴ったんじゃないかな。本物の凶器は持ち去ってしまえばカメラが凶器だと勘違いする……みたいな」
「ですが、このカメラを凶器に見せるだけなら、カメラがこんなになるまで破壊する必要があるんでしょうか?」
地面に落ちているカメラは大砲みたいな望遠レンズが装着されている。その部分は割れていて、本体の部分にもかなりヒビが入っている。そして、テーブルの上にある破壊されたノートパソコン。この2つの要素から導き出される答えは……
「たぶん、カメラでエトウさんの頭を殴ったあとノートパソコンに叩きつけたんだと思う。おそらく犯人の目的はエトウさんを殺すことよりもカメラを破壊することが目的で、もっと言えば“写真”を消したかったんだと思う」
「写真を……消す?」
カメラの中にあるデータはカメラを破壊すればいい。そして、そのデータがノートパソコンに移してある可能性も考えてパソコンを破壊した……
「――ですが、犯人はなぜ写真を消したかったんでしょう?」
「それは簡単だよ。エトウさんが撮影した写真の中に犯人にとって都合の悪いものが写ってたんだよ。まぁ、それが何なのかはわからないけどね」
「なるほど、素晴らしい推理だね!」
突然入口の方から声が聞こえてくる。
有馬さんにしてはちょっとキザっぽい喋り方だと思って振り返ると、
「ニカイドウさん!?」――がワイングラスを持ってそこに立っていた。
ワイングラスの形状がいつもと違うような気がするけど、それはまあどうでもいい。
「なんで勝手に入ってきてるんですか? ってか有馬さんは?」
「ちゃんと彼に断って入ってきたから大丈夫さ」
ニカイドウさんがウインクした。
「えぇー」
わたしはガクッと肩を落とす。
明里はニカイドウさんを真顔で見ている。
――睨みつけてるつもりかな……
「おっと、これ以上君のジャマをするつもりはないよ。では……」
なぜかわたしにではなく明里にそう言って部屋を出て行った。
「ってか、なにしに来たんだ……」
気を取り直してエトウさんの部屋の調査を再開するため、テーブルに伏すエトウさんに視線を戻す。
さっきのパソコンで作業をしているときに後ろから殴られたという推理は完璧な推理じゃない。
理由は、いくら集中していたとしても部屋に誰かが入ってきたら絶対に気がつくはずだからだ。
遺体の状態に抵抗した様子はないし、どこからか引きずられてきた様子もない。なら、考えられるのは侵入者に気付かなかったということだ。おそらく眠っていたんだろう。そして、エトウさんが眠っているときにタイミングよく犯人が部屋を訪れたとは考えにくい。より確実な方法を取るならエトウさんを意図的に眠らせることだ。そしてそんな芸当ができる人間は限られている。
「こんなもんかな」
自分の考えがまとまったタイミングで、わたしたちは調査を切り上げることにした。
部屋を出ると有馬さんは部屋の鍵を締めてわたしたちのもとを去ろうとするのをわたしは呼び止めた。
「まだなにかごようですか?」
「ウシヤマさんの部屋の鍵もお願いできますか?」
「ええ、構いませんが」
そうしてわたしはウシヤマさん音部屋に入った。ここでやることはひとつだけわたしはウシヤマさんの遺体の左手の薬指を確認した。そこには最初にこの部屋に入って確認したときと同じで指輪がはめられていた。
それだけを確認して部屋を出て行こうとしたところであることに気づく。
「ワインがない……」
テーブルの上にあったはずの飲みかけのワインが消えていた。床に転がったりしている様子もない。
「ま、いっか」
特にこの事件に関わることでもないだろう。
わたしは部屋を後にし、外で待っていた有馬さんに話しかける。
「最後にいいですか?」
「何でしょう?」
わたしが気になっていたのは“名前”だ。トリウミさんがわたしたちの名前を知りたがった理由……それを知りたいと思った。だからダメもとで「名簿って見せてもらうことできます?」と尋ねた。
「名簿……?」
有馬さんは首を傾げる。
「えっと、ここに来る前にわたしたちは身分を証明するために名前と職業を紙に書いたと思うんでうすけど、それのことです」
「ああ、あれですか。――別に構いませんよ」
有馬さんはすんなりと許可してくれた。
わたしと明里が彼のあとに付いて行くと、部屋の前でしばらく待たされて、有馬さんは数枚の紙を持って部屋から出てきた。それを受け取って検める。受け取った紙は全部で8枚。どうやらペアで予約を入れた人は1枚に2人分記載されているようだ。
「なるほど……」
「何かわかりましたか?」
明里が聞いてくる。
「うん、まあね」
トリウミさん――いや、鳥海さんが知りたがっていたことが何なのかわかった気がした。そしてもう1つ、わたしは重要な情報を手に入れた。
「有馬さん。これって嘘を書くことってできるんですか?」
「そうですね、これは事前の予約情報と同じかどうかを確認する作業上の署名ですから、事前の予約段階で嘘をついていた場合は私どもにはそれを見破るすべはありません」
チケットを予約するときの予約者の個人情報と、集合場所に現れた人物の個人情報が一致しているかどうかってことだ。つまり、チケット予約の段階で嘘をついていて集合場所でもその嘘を突き通せれば、有馬さん側は本人で間違いないと判断してしまうということだ。
「ありがとうございました。大変参考になりました」
「いえ。こちらも協力できて幸いに思います」
有馬さんは笑顔で言った。
すると「あ、ここにいらしたんですか――」わたしたちに向かって呼び掛ける声が聞こえてきた。森園さんだ。
「どうかしましたか?」
有馬さんが尋ねると、
「はい、鳥海さんが全員を食堂に集めてくれとおっしゃいまして。ほかの人たちにはもう声を掛けましたので」
わたしと明里は顔を見合わせる。
新たな事件が起きたという話は聞いていない。ということは、どうやら、そのときが来たようだ……
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