第8話 僥倖

 ――3日目――


 目を覚まして時計を見ると、時刻は9時を過ぎていた。慣れないことをして疲れていたのか、思ったよりぐっすりと眠っていたようだ。


「しまった……」


 9時過ぎということは朝食の時間は終わっている。どうやら食べそこねてしまったようだ。


 しかし妙だ……


 時間内に朝食の場に顔を出さなかったのだから、コンシェルジュのどちらかが心配して呼びに来てくれてもいいはずだ。


「――まさか!」


 最悪の可能性が頭をよぎる。


 私は慌てて着替えをすませ、勢いよく部屋を出るとコンシェルジュの部屋に向かった。


 そして、名前を叫びながら扉を叩く。しかしコンシェルジュの部屋から応答はなかった。2人ともだ。


「これは……」


 扉を破って中に入るべきかと考えていると、


「おや? 鳥海さん。こんなところでどうしたんですか?」


 ラウンジの方から歩いてきた有馬さんに声を掛けられた。


「はあ、無事だったんですか……よかった」


 ほっと胸をなでおろして、まだ安心できないことに気が付く。


「も、森園さんは!? 彼女は無事ですか!?」


 鬼気迫る私の姿を見て、有馬さんはほんの少したじろいで「え、ええ。彼女は無事ですよ」と答えた。


「一体どうしたんですか? 何かあったんですか?」


「それはこっちのセリフですよ。朝食の時間を過ぎたのに誰も私を呼びに来なかったから、お2人の身に何かあったのかと思いましたよ」


「おや? 変ですね……昨日の今日ですからと言って森園が心配して声を掛けに行ったはずですよ」


「そう、なんですか?」


 私は声を掛けられた覚えがない。


 森園さんはどこにいるのかと尋ねると、食堂にいるということで私は食堂に向かった。彼女は食堂で朝食の後片付けをしているところだった。


 そんな彼女に私が事情を説明する。


「私はちゃんとお呼びしましたよ。そうしたら部屋の中からわかったという返事がありましたけど……」


 自分は返事をした覚えがないが、もしかすると、寝ぼけて返事をしていたのかもしれない。


 それから昨日ニカイドウさんが軽めのものなら個別に注文できるという話をしていたのを思い出し「軽くでいいのでなにか用意できませんかね?」とお願いした。


 …………


 行儀が悪いとわかっていながら、私は大きめのおにぎりを食べながら廊下を歩いていた。ついでになにか手がかりはないかと城内を散策する。同じ場所でも新たな発見があることだってある。

 2階の廊下を歩いている途中、窓から見える中庭で何やらはしゃいでいる人が目に入った。


「あれは……」


 カメラを構えたエトウさんが花壇に植えられた花をバックにアカリさんの写真を撮影しているようだった。


 エトウさんもアカリさんの魅力に取り憑かれたか……


 彼女はとても美しい。被写体としてはこれ以上ないくらい適任であろう。


「だが、彼女を撮影してどうしようというのか……」


 コレクションにするつもりだろうか?


 だったら私も1枚――っと、いかんいかん。


 私は頭を振って邪な考えを掻き消す。


 私はおにぎりを頬張りながらしばらくその撮影風景を眺めていた。すると「犯人はわかりましたか?」と声をかけられた。


 振り返ると、そこにいたのはニカイドウさんだった。彼は片手にワインの入ったグラスを持っていた。


「おや? これはお揃いで」


 などと言ってグラスを掲げてみせる。


 私の持っていたおにぎりを見てお揃いと言ったのだろう。彼の場合本気でそう思っているのか冗談なのか判断に困る。


 ニカイドウさんはワインを一口飲んで先程の言葉を繰り返した。


「犯人はわかりましたか?」


 検討もつかない……というのが正直なところだ。だが、それを口にしていいものかどうか迷った。


 皆が不安に思っていないのは私の存在が大きい――というのは有馬さんの言葉だ。ここで私が下手なことを言えば皆が不安がる恐れがある。


「ま、そう簡単にはわかりませんよね」


「え?」


 言わずともわかると言ったふうにニカイドウさんが言った。


「ですが犯人がまだ城内に潜んでいることは確実でしょう」


 潜んでいる……?


「まさか! いや確かに、この城のどこかに隠れているという可能性もありますね!」


「ありませんよ」


 ニカイドウさんは私のひらめきをきっぱりと否定してみせた。


「この城の中には隠れる場所がありませんからね」


「ではやはり犯人は宿泊客の中にいるってことですか」


「でしょうね。あと、言っておきたいことがあるのですが、仮にも探偵ならこんなところで油を売っていないで現場となった部屋を調べてはどうですか?」


 その言葉に嫌味のようなものは感じなかった。むしろ助言のようなニュアンスだった。


 彼がどういう意図を持ってそんな事を言ったのかはわからないが、私は彼の言葉を素直に受け取ることにした。


 …………


 一度自分の部屋に戻って休憩し、昼食を取るため食堂へ向かった。中に入るとニカイドウさんとタイガさんが食事をしていた。2人は距離を開けて座ってそれぞれが1人で黙々と料理を口に運んでいた。


 私は彼らと同程度の距離を開けてテーブルに座ると、タイミングよく厨房から森園さんが現れせっせと昼食の準備をしてくれる。


「えっと、これを……」


 配膳が終わったあとで森園さんが私に見せたのはワインだった。


「昼からですか?」


 従来ならばそれもこのディバインキャッスルのサービスの一環なのだろう。現にニカイドウさんもワインを飲みながら食事している。しかもボトルを独り占めするようになくなれば自ら注ぎ足しを繰り返し、まるで水を飲むかのようだ。


「この料理はワインがよく合うんです。どうですか?」


 差し出されたワインは馬のラベルが貼られた赤ワイン。ウシヤマさんの部屋にあったもの、事情聴取の際にニカイドウさんに出したもの、資して今現在ニカイドウさんが飲んでいるものもまたこれと同様。


「これはどういったワインなんですか?」


「えっと、これは、有馬さんが立ち上げた自社ブランドのワインでして」


 有馬だけに馬のラベル。なるほど……仕事に熱心な彼のことだ、どこかに自分の手柄である証拠を残したかったのかもしれない。


 となると、もしかするとノルマのようなものがあるのかもしれない。そう考えると無碍にはできず彼女の申し出を受けることにした。


 グラスに注がれる赤い液体はグラスの3分の1程度で止まる。それにしてはボトルの中身は結構減っているようだった。


 今回の客の中には彼がいるからか……と、ニカイドウさんの方に目を向ける。


 目が合った。


 ニカイドウさんはグラスを持って私に向かって掲げ、ニッと白い歯を見せた。さっきのやり取りのことが頭をよぎりちょっとだけ気まずい気持ちになる。だからといって無視するわけにもいかず、私も苦笑いを浮かべてグラスを軽く持ち上げた。


「いただきます」


 これはニカイドウさんではなく森園さんに対する言葉。


 グラスを近づけると、ほんの僅かだが甘い香りが鼻腔をくすぐる。口をつけ一口を味わう。普段ワインなど飲まない私でも飲みやすいと感じるほどにすっと喉を通る。アルコールもそれほど感じない。これならば昼からの捜査に支障をきたすことはないだろう。


 …………


 ウシヤマさんの部屋を調べるため彼の部屋にやってきた。しかし扉には鍵が掛かっていた。


「ん?」


 なぜ……?

 コンシェルジュの2人がスペアキーを持っていると言っていたのを思い出し2人を探すことにする。確実なのは食堂で後片付けをしているであろう森園さんだ。私の予想通りそこに彼女の姿があった。事情を説明して鍵を貸してもらえないかと言うと快く了承してくれた。


 一度2人で森園さんの部屋へ行き、私は部屋の外で待たされる。そして、彼女が部屋から出てくるとその手には鍵束が握られていた。大きめのキーリングにすべての客室の鍵が付いていた。加えて、客室以外の部屋の鍵もすべて付いているようだった。私はそれを借り受けると、森園さんは仕事の続きがあるのでと食堂へ向かう。私は鍵束を手にウシヤマさんの部屋へ向かった。


 鍵を開け部屋に入る。一番最初に目がいったのはウシヤマさんの死体だった。死体が放置された状態で一日が過ぎた。まだ臭いはしていない。

 空調が行き届いているといっても夏場は当然腐敗の進行が速い、いつまでこのまま放置して置かなければならないのかわからないが、なるべく早くなんとかしてやりたい。だが、橋が落とされているのではそれも無理だ。最悪の場合どこか別の場所に移すことも考えなければならない。


 そして、昨日タイガさんが言っていた通り、遺体からナイフが抜き取られていた。


 しかしまあ、よく遺体からナイフを引き抜こうと思ったものだ……


 ほかにも、床に落ちていたはずのシュシュ、椅子にかけてあったストール、それからワインのコルク抜き……それらは確かになくなっていた。昨日みんなが証言した通りだ。


「いや、待てよ……」


 テーブルの上のワインボトルは昨日の状態のままそこにあった。空の状態で。見間違いかと思い近づいてよく見てみると、やはり中身が空になっていた。昨日は確かに中身が残っていたはずだ。

 部屋に入った誰かが誤ってこぼしたのかと思いしゃがんで床に敷かれた絨毯を確認してみるが、ワインのシミのようなものはできていない……ということは中身をこぼしたわけではなさそうだ。

 そもそも、そうだとしたら事情聴取の際に証言しているはずか。――いや、部屋に入ったことを隠そうとしていたところを見ると、まだ嘘をついている人物がいる可能性は十分に考えられる。

 しかし、ワインボトルを空にした人物がいたとして、それを隠す理由はなんだ?


 謎を解くためにこの部屋に来たはずなのに、また謎が増えてしまった。


「はぁ……」


 自然と深い溜め息が出た。


「んん?」


 立ち上がろうとして、絨毯に黒いシミのようなものがあるのに気付いた。例えるならワイシャツに飛んだソースのシミのような感じだ。


「昨日はあっただろうか……」


 そのシミは間隔を開けて扉の方に向かって続いている。


 私はしゃがみ歩きでそのシミを追いかける。


 扉を開けて、さらにそのシミは廊下の絨毯にまで続いている。


 そのシミを追跡していくと……


 私は食堂の前にたどり着いていた。


「これはどういうことだ……」


 シミになりそうなもので思い浮かぶのは食べ物だ。だとするならばウシヤマさんの部屋に誰かが食事を運んだということか、あるいはその逆でウシヤマさんの部屋から食べ物を運んだ?


 謎は増すばかりだ。


 とりあえず部屋に戻って現場の捜査を再開する。


 ……とは言えども、正直素人の私にはこれ以上何をどう調べて推理していけばいいかわからない。


「困った……」


 不安な気持ちが口をつく。


 ダメ元で、手がかりはないかともう一度室内を見て回る。そして、私はあることに気がついた。


「ない……」


 どういうわけか、部屋の中にウシヤマさんの荷物がなかった。何も持たずにここに来た……ということはないはずだ。ここでの宿泊期間は3泊4日で、その間ずっと同じものを着続けるなんてことはないはずだから。


「ならばどこにある?」


 考えられる線としては盗難だ。だが、死んだウシヤマさんの荷物を盗んで何になる?


「いや、違うな……」


 死んでから盗んだのではない。その前に犯行に及んでいたとしたら?


 例えば、部屋に泥棒に入ったところを偶然本人に見つかってしまい殺害した。盗みに入る技があるなら他の人間の部屋にも容易に入れるだろう。そこでそれぞれの所持品を盗み出し、それらを殺害現場に残すことで誰が犯人かわからなくした……


 いや、それだとウシヤマさんを殺害した凶器がタイガさんの持っていたナイフであることの説明がつかない。


 なら、順序を逆にしてはどうだろう。


 犯人はそれぞれの部屋に忍び込んで金目の物を漁っていた。そしてウシヤマさんの部屋に忍び込んで部屋を物色しているところに本人が帰ってきた。部屋でも見合いになり、犯人はタイガさんの部屋で盗んでいたナイフでウシヤマさんを刺してしまった。

 その後で偽装工作のために他にも盗んでいたものを室内にバラ撒かざるを得なくなった……


「――これだ!」


 私はポンッと手を打つ。我ながら自分の才能が恐ろしい。


 問題は、窃盗犯が誰なのかということだ。


 ウシヤマさんの部屋の捜索を切り上げて、彼の部屋に鍵をかけた。そして、森園さんに鍵を返しに行こうとして私は足を止めた。


 手に持った鍵束を見つめる。


「待てよ……」


 ――ここには今すべての部屋の鍵がある。


 ということはつまり、私はほかの客の部屋も調べることができるということだ。


 盗んだものを隠すなら自分の部屋が最も安全な場所だ。それを確認するなら今この時以外にない。


 廊下を見て誰もいないことを確認する。もちろん部屋の中でくつろいでいる者がいる可能性だって十分考えられる。


 私は静かに歩いて目的の部屋の前に立つ。部屋の扉を二度ノックする。反応はない……


「よし――ならばっ」


 急いで鍵を開け部屋の中に入った。

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