第23話

 ウィン、カシャカシャと音を立てて、未来の右腕に仕込まれたキャノン砲が格納される。まさか身体に武器を仕込んでいるなんて。『あのエネルギー光弾は、未来に内蔵されているものではなく、たまたま持っていたものである』――そんな甘い考えは、通用しなかった。未来は自分の右腕に異常がないか、肘を曲げたり指をポキポキ鳴らしたりしている。


「さて、先生方、少し寛くんをお借りしますわね」


 頭上にクエスチョンマークを浮かべる教諭陣にボディガードたち。すると未来は、遊園地で見せた滑空で一気に僕と距離を詰め、抱き着いてきた。


「ちょっ、何!?」

「任せて。大丈夫だから」


 そう告げられた直後、あろうことか、未来は断崖絶壁から森林へと飛び降りた。


「う、うわあああああああ!?」

「口と目を閉じて!」


 見る見るうちに、高度は下がっていく。やがて針葉樹林帯に突っ込む直前、僕の頭部は未来の胸に押しつけられた。ラッキースケベがどうだとか、言っている場合ではない。このままでは僕も未来も地面に身体を打ちつけられてしまう。そう思ったのだが、事実、そうはならなかった。


 ゴオッ、という音がした。これは未来の、足元からのジェット噴射の音だ。地面に対して逆噴射することで、落下の衝撃を和らげるつもりなのだろう。

 やがて僕は、いつかのように未来にお姫様抱っこされる形で地面に降り立った。


「寛くん、大丈夫? 怪我はないわよね?」

「……ぁ」


 そんな掠れた音を出すだけでも、僕の喉にとっては精一杯だ。今のところは。

 僕はゆっくりと、足元から地面に下ろされた。しかし、腰が抜けてしまってその場で尻餅をつくことに。


 はっとした未来が僕の腕を引こうとしたが、僕は掌を突き出し、このままで大丈夫だと意志表明した。


 未来は一通り周囲の状況を目視確認した。

 今ここで会話をしても、誰にも聞かれはしない。そう判断したのか、未来はそばにあった切り株に腰を下ろした。背筋をピンと張り、手を太腿に遣って、いかにもお姫様然としている。


「もう分かっちゃったわよね、寛くん。私がロボットだってこと」

「な……!?」


 確かに以前から疑ってはいたし、鬼山先輩の予想を支持していた僕に驚きはない。

 そう思っていたのだけれど、いざ本人の口から告げられてしまうと、現実感は湧かなかった。

 先ほどのキャノン砲を目の当たりにした、今となっても。


「そんなに驚かないでよ。それよりも、朋美さんの方がすごいんじゃないの? 私と互角に戦ってきたんだから」


 確かに。それは一理ある。だが、今は未来の話だ。


「ぼ、僕に近づいた、も、目的は何だ?」

「そんな、強盗犯を相手に向かうような口調はやめてよ」

「あ、ご、ごめん」


 未来はいつものように、淡い笑みを浮かべている。しかし、切れ長の瞼の奥の瞳は笑っていない。


「もうここまでバレてしまったんだもの、きちんと話さなければね」


 そう言って、未来は以前、雪乃の部屋で語られたことを繰り返した。

 

「そうか。やっぱり君は、僕から自由な恋愛を奪うために……?」

「残念だけれど、そう言われても仕方ないわね」


 大袈裟に肩を竦める未来。

 風で木の葉が触れ合う音と、鳥の羽ばたく音だけが、しばし僕たちを包み込んだ。


「でもね、寛くん」


 沈黙を破ったのは未来だった。


「ロボットだって恋をするものなのよ」

「は?」


 いきなり何を言い出すんだ、彼女は?


「私はロボットだから、自分のこの気持ちに気づくのは大変だったし、それを『恋』という言葉にするのにも苦労した。けどね、寛くん。まだ私の茨の道は続いているのよ」


 何を言いたいのか、さっぱり分からない。


「なあ未来、もっとはっきり言ってほしいんだけど」

「あなたのことが好きよ、寛くん」


 瞬間、僕は背後から槍で心臓を射抜かれたような気がした。


「そ、それは――」


 それはロボットにはあり得ないことではないのか。いや、しかし先輩からの手紙には、ロボットの思考傾向までは記されていなかった。もしかして、本当に未来は僕のことを……?


「なっ、ど、どうして? どうして僕なんかを?」

「さあ」


 僕は未来が返答に窮するのを初めて見た。


「命令とはいえ、私はあなたに酷いことばかりを言い続けてきたわね」


 それはどれも真実なのだけれど、と言い添える未来。だが、一番信じられない真実は、彼女がロボットとして僕のことを好いている、ということだ。

 現在の人工知能が、どこまで発展しているのかは正直、分からない。だが、未来の思考回路は、僕に関する『命令』から大きく逸脱することとなった。僕への恋愛感情、という形で。


「寛くん、あなたは私のこと、好き?」


 この突然の問いかけに、しかし僕は即答することができた。小さく頷くという形で。だが、そんな中途半端な気持ちでは、また女性を傷つけることになる。だから、僕は大きく息を吸って、再び頭を下げた。今度は大きく、目をつむりながら。


「ごめん、未来。僕は君とは付き合えない」

「当たり前じゃない!」

「へ?」


 あまりにあっさりとした返答に、僕は呆気に取られた。


「あなたはただでさえ、雪乃さんと結ばれるか、朋美さんとの将来を築くか、ひどく悩んでいる。そんな人に、ロボットが手出しできるわけないじゃない。こんな人間もどきの、ロボット風情が」


 驚いた。未来がこんなに酷く自分を卑下するなんて。彼女の口元には、寂しさとも無念さとも取れる曖昧な笑みが浮かんでいる。


「ぼ、僕が言いたいのはそういうことじゃなくて、あの……」

「無理しなくていいのよ、寛くん」


 立ち上がった未来は、微かに笑みを深くしながら近づいてきた。それから僕の頬を両手で掴み込み、囁くように言った。


「今日は赤坂先生に頼んで、この恋愛感情を抹消してもらうから」

「何だって!?」


 僕は息を飲んだ。そうまでして自分を律するつもりなのか、未来は。


「未来、君はそれでいいのか!? 誰にも恋せずに生きていくなんて!」


 それは寂しすぎる、と言いかけて、僕ははっと口をつぐんだ。そんなことを安易に口にすべきでない、と思ったのだ。


「いいのよ、寛くん。私はあなたが元気でいてくれればそれで充分。他の人が――私よりも大事にすべき人がいることを、私は知っているから」


 そうか。そうまで言ってくれるのか。だったら――。


「ねえ、未来」

「なあに? 寛くん」

「もし僕が、『僕を殺せ』って言ったらどうする?」

「何もしないわ」


 何もしない? どういう意味だ?


「私の命令の主は、飽くまであなたのご両親。ある程度はあなたの命令で動くことができるけれど、ご両親の意見の方が、私にとっては尊重すべき事項になる。だから、ご両親が二人共『あいつを殺せ』と言わない限り、私はあなたを攻撃したり、傷つけたりしない」

「そっか」


 僕はやや安堵した。今の僕なら、衝動的に『殺してくれ』といいそうな勢いだったのだ。あのキャノン砲で上半身を消し飛ばしてもらえれば、即死で痛みも感じないだろうし。

 だが、皮肉なことではあるが、僕の命は両親が守ってくれている。それを思い、僕はふっと短いため息をついた。


「さて、そろそろ戻りましょうか」

「戻る、って?」

「登山に決まってるじゃない。順路に戻らないと」

「ああ……」


 まったく律儀だなあ。


「さあ、私がおんぶするから」

「うん」


 恥ずかしくないといえば嘘になる。だがそれよりも、今の未来を気遣う方が、僕にとっては大切だった。

 僕は未来の首に腕を巻きつけながら、『大丈夫だよ』と一言。


「分かったわ。振り落とされないように気をつけて」


 そう言って、未来は崖の正面へと向き直った。そして、ドオッと足元からジェット噴射をしながら、一気に崖を登り切った。


「桐山くん! 此崎さん!」

「寛様、ご無事ですか!?」

「おい、救急医療チーム、準備はいいか?」


 矢継ぎ早に言葉が伝播していく。だが生憎、僕も未来も負傷してはいない。それに、学校関係者の反応を見るに、赤坂先生だけでなく、全員が未来の正体を知っているようだ。

 一体どれほどの人間が関与しているのだろうか、僕の周りには。


 それはさておき、未来の様子はと言えば、随分と落ち着いたものだった。幸い、件のキャノン砲は、僕以外の生徒の目には入らなかったらしい。僕と未来が最後尾だったということか。


「それじゃ、歩きましょうか、寛くん」

「そうだね、未来」


 僕たちは手を繋ぐでもなく、これ以上の会話もなく、再び森林へと分け入った。


         ※


「寛ぁあぁあ!!」


 集合場所で待ち構えていたのは、朋美だった。涙で濡れた顔を僕の肩に押しつけ、わんわんと泣き始める。


「あんた、落石で死んじゃったって……!」

「あ、ああ、偶然助かったんだ。大丈夫だよ」


 他のクラスメイトの視線など全く無視して、泣きじゃくる朋美。もしかしたら僕は、彼女を守りたいのかもしれない。誰から、何からということはないが、それでもこれだけ心配してくれたのだ。恩を返したい。

 未来の方に目を遣ると、一瞬、目が合った。未来は穏やかな笑みを浮かべ、すっとクラスメイトたちの波の向こうへ消えていった。

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