第4話
と、思ったのだが。
「ん?」
お辞儀から顔を上げるまでの時間が随分長い。深呼吸でもしているのか? 一体何をするつもりなのだろう。と、思案しかけた次の瞬間、朋美はがばっと顔を上げ、叫んだ。
《皆さん、元気ですかあああああああ!!》
マイクがハウリングを起こし、会場全体の空気が振動する。あの馬鹿、一体何をやってるんだ。
《うわっと!》
これには流石に朋美自身も、マズいと思ったらしい。
《えー、マイク、テステス》
確かに音量調整は大切だが、今やるべきことではないだろう。両耳を押さえながら見上げると、朋美はマイクを外し、電源を切って脇に押しやってしまった。
「こっちの方がいいみたいですね! 皆さんごめんなさい!」
ぺこぺこしながらも、朋美は元気が満ち満ちているようだ。マイクなしでも十分聞き取り得る声量で、改めて答辞を述べ始めた。
「えっと、新入生代表の桑原朋美です! いやー、今日は晴れてよかったですね! ところで皆さん、いろんな服装の方がいらっしゃいますが、華やかでいい感じですね! やっぱり晴れの舞台ですもんね! 随分悩まれたことでしょう!」
いや。僕は使用人に着せられただけ。
「かく言うあたしは、あんまりファッションセンスがないので、梅坂黎明高校の標準装備で参りました!」
装備って、ロボットアニメか。『服装のセンスが、高校デビューの決定的差でないことを教えてやる!』とか言い出さなければいいけれど。
幸い、そんな爆弾台詞は起爆しなかった。それでも、朋美は原稿も見ずにマシンガントークを続ける。これで僕が朋美の幼馴染だとバレてしまったら、僕までも奇異な目で見られることに……ってあれ? さっきも同じようなことを思ったな。
ああ、未来の言動が突飛だったからだ。今は僕の数席後方で朋美の話を聞いているはずだが、僕の周囲にまともな同級生はいないのか?
※
こうして、僕は奇妙な気疲れを覚えつつ、クラスメイトたちと共に一年四組に足を踏み入れた。
予想通り、教室内は眩しいくらいに美化清掃されていた。幸い、ここまでは大理石ではない。だが、自分の顔が映るほど磨き上げられた床の上で授業を受けるのは、なんとも落ち着かない。
だが、それよりも落ち着かないのは――。
「ゆーたか!」
「ぶふ!」
そう、桑原朋美が僕と同じクラスだということだ。未来といい朋美といい、どうして僕の周りには……もういいや。考えるだけ無駄だ。
だが、今ここから脱出する必要はある。朋美は後ろから椅子の背もたれ越しに、僕に抱き着いているのだ。半ばヘッドロックがかけられているような気もする。
百五十センチにも満たない小柄な体躯に、茶色みがかったショートカット。小動物を思わせるつぶらな瞳。笑みを絶やさない頬と口元。そんな朋美のことが、僕は好きだった。飽くまで『友達として』だけれど。
「やっぱり寛も梅坂受かったんだね! おめでとう!」
「い、いや、何を今更……」
とっくに知らせておいたはずだが。まあ、ここ二、三週間は会う機会がなかったから、何かと話すこともあるだろう。僕は鼻血が止まったのを確認して、詰められていたガーゼを取り除いた。すると、それを目に留めた朋美が問うてくる。
「あれ? どしたの? 鼻血なんて」
「いや、さっきそこで転んだ」
「いつ? 『さっき』って」
「二時間くらい前」
「じゃあ、『そこで』っていうのは?」
「昇降口とどこかの間」
「んん? 『どこか』ってどこよ、『どこか』って?」
あ、しまった。僕は未来に連行されていくところだったのだ。どこに連れられていくかハッキリしなかったから、僕も返答に窮してしまう。
「えーっと、それは」
と、言いかけたその時だった。
ストッ、と歯切れのよい音がした。僕はヘッドロックから解放され、軽く咳き込む。
何があったのかと思い、僕が振り返ると、そこには修羅場が展開されていた。
朋美は半回転し、左足を上方へと蹴りだしている。その奥には、同様に回し蹴りを繰り出す女子の姿。まさかと思ったら、やっぱり未来だった。
さしずめ、未来が朋美の側頭部へと蹴りを出し、それを驚異的直感で察した朋美もまた、蹴りで頭部をガードした、というところだろう。
一瞬で静まり返った教室。きっかり十秒経ってから、声を出したのは朋美だった。
「何か用? 此崎未来さん」
未来の胸元のネームで確認したのだろう、朋美が『敵』の名をフルネームで読み上げる。
「ええ。先ほどの体育館での暴力に関してね。桑原朋美さん」
二十センチは差がある頭頂部。朋美は見上げ、未来は見下すようにして、視線をぶつけ合う。火花が散るような勢いで、だ。他のクラスメイトたちは、はっと我に返ったのか、教室の壁に沿うようにして距離を取っている。
言葉のキャッチボールは続く。一往復したから、朋美の番だ。
「体育館での暴力? なんのこと、未来さん?」
「とぼけても無駄よ、朋美さん。あの大音量での演説……。皆の鼓膜を割ろうとしてやったんでしょう?」
「そ、そうだったの、朋美?」
思わず僕は問いかけたが、
「んなわけないでしょ! あのマイクが悪いのよ! スピーカーもね!」
と一蹴された。マイクとスピーカーの件には同意しかねるが。
それはさておき、二人の仲裁をするのは僕の役割になってしまったようだ。どうしよう?
「まあまあ二人共、落ち着いて! 喧嘩するような野蛮な奴が入学したとあっては、梅坂黎明高校のブランドに傷がつく。最悪退学処分されるかも」
「そうかも、ねっ!」
「え? うわあ!」
僕は朋美に、思いっきり後方に突き飛ばされた。椅子につまずきながらも、なんとか体勢を立て直す。その拍子に、朋美のスカートの中が見えかけたので、慌てて目を逸らした。鼻血を出すのはもうこりごりだ。
すると、僕の一つ後ろの机を乗り越えるようにして、朋美が攻勢に出た。ただ乗り越えるのではない。未来の足を無理やり弾き飛ばし、机に両の掌を着いて、アクロバティックな前転をする要領で未来に接敵したのだ。
斜め上方から迫る、朋美のシューズの裏。未来はこれを軽いサイドステップで回避。それを読んでいたのだろう、朋美も屈みこんで牽制のジャブ&ストレートを放ち、着地の隙を最小限に留める。
二人は既に、一番後列の机を乗り越えて戦っていた。机の間で戦うよりは楽だろうが、狭いことに変わりはない。となると、小柄な朋美の方に分があるのか? しかし、やはりリーチは未来の方が断然上だ。
さて、二人共どう出るつもりなのか。クラスメイトも野次馬たちも、教職員たちまでもがごくりと唾を飲んだ、その時だった。
ヴロロロロロロロ!!
と勢いよくエンジンを噴かす音に混じり、ガラスの破砕音がした。
な、なんだ? 不良が荒れ狂っているのか? これがいわゆる学級崩壊という奴か!?
格闘少女二人は互いに構えを解き、何が起こっているのかと廊下に顔を出す。僕も同じく。
すると、そこにいたのは――。
「あーあーまったく、入学式当日から暴れんなっての。俺たち生徒会員が困るじゃねえか」
自転車。飽くまで自転車だ。バイクでもなければ原付ですらない。バイクのものらしき騒音は、自転車の荷台に積まれたメガフォンから響いている。ガラスの破砕音も同じ。そして運転席に座しているのは――。
「鬼山先輩!?」
「鬼山くん!?」
僕と朋美は同時に叫んでいた。
「おう、桐山に桑原じゃねえか! お前らも梅坂か! よく受かったな!」
鬼山浩紀。彼もまた、僕や朋美の幼馴染だ。だが、学年が違う。彼の方が、二歳年上なのだ。しかし、今の彼は、僕たちの記憶通りの姿を留めてはいなかった。
背は随分と伸びた。それに制服でもないのに学ランを羽織っている。ボタンは全開で、内側のシャツは迷彩柄だった。それに、髪は金色のオールバックで、顔の上半分には真っ黒なサングラスを着用している。
「久しぶりだね、浩紀く……じゃなくて、鬼山先輩」
僕が俯きがちにそう告げると、鬼山先輩は
「そうかしこまるんじゃねえの! こういうエリート族の中にいるからこそ、突飛なことをやらなきゃ損だぜ! 例えば喧嘩の仲裁とかな!」
『どうだ、少しは収まっただろ?』と得意気な鬼山先輩。まあ、朋美も未来も臨戦態勢は解いたようだが。
「そうそう、俺、これでも模範生なんだわ。喧嘩してた奴の記録を報告する義務があるんだが、誰と誰だ?」
「も、模範生!?」
とツッコミを入れようとしたら、後頭部にチョップを喰らった。朋美だ。これ以上事態をややこしくするな、と言いたいらしい。
「一人はあたし。桑原朋美。久しぶりね、鬼山くん。覚えてる?」
「おう! あたぼうよ。で、相手は?」
「私です」
人波からすっと出現した未来に、皆がドン引きする。忍者かこいつは。しかし、一人だけまったく異なるリアクションを取った人物がいた。誰あろう、鬼山浩紀先輩だ。自転車の上で固まること、約十五秒。
そして目にも留まらぬ速さで自転車から飛び降りると、なんとその場で土下座した。正面にいるのは此崎未来だ。
「ちょ、浩紀くん、一体何を……!?」
と僕が止める間もなく、浩紀はこう言い切った。
「お嬢さん、俺と付き合ってください!!」
場が、一瞬の間に凍り付いた。
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