第22話

《寛へ。今は時間がない。字が汚のは勘弁してくれ。さっき、お前も見たと思うが、此崎未来の身体能力は人間離れしている。彼女は人間じゃない。ロボットだ》


 そんな馬鹿な、と思った。こんなに飛躍した考えなど、普段なら一蹴するところだろう。だが、そんな油断を許さない緊迫感が、先輩の手紙からは感じられた。


《うちの親父の専門はロボット工学、お袋の専門は人工知能だ。もしお前の行動を見張ったり、制限したりするために試作品を造って送り込だとしたら。考えられない話じゃない》


 いつの間にか、僕は先輩の文面を目で追いながらごくり、と唾を飲んでいた。

 確かに、先輩の両親と僕の両親は交流があった。まさか、先輩のうちまで問題に絡んでくるとは思わなかったが。


《気をつけろ、寛。これはもう、お前と朋美だけの問題じゃなくなっている。何かあったら、どんな些細なことでも教えてくれ。俺もこっそり調べてみる。じゃあな》


 僕は手紙を封筒に戻し、こっそりと勉強机に仕舞った。

 こんな回りくどい方法で、先輩が俺に情報共有を求めた理由。それは簡単だ。LINEや電話などは盗聴されているだろうし、露骨に手紙を渡そうものならすぐにバレて没収されてしまう。先輩はそれを見越して、僕が気づかないうちに封筒を滑り込ませたのだ。


 僕は、今までの未来の言動について考えてみた。真っ先に思い出したのは、三つのキーワード。『命令』『性能』『調整』。これらは確かに、未来がロボットだと仮定すれば出てきそうな言葉だ。


 僕を監視・護衛しろという『命令』。

 自分の身体について語っていた『性能』。

 赤坂先生の口から語られた『調整』。


 先輩の手紙には、赤坂先生のことは出なかったが、彼女が連中とグルであることは明白だ。

 それに、未来が『調整』されたとすれば、翌日に急に機嫌がよくなったのも納得がいく。

 そして何より、人間離れした身体能力。あのレストランの看板を蹴り飛ばした姿は、しっかりと僕の目に焼き付いている。

 それなのに、どうして僕は未来が『人間ではない』と疑わなかったのだろう? いや、疑いたくなかったのだ。僕を不良から救ってくれたから、という負い目もあったことだし。


 それに、学校生活を送る上で、朋美のことも気になる。未来やその背後にいるであろう両親の狙いが何であれ、朋美は僕にとって――何だろう? だが、大切な存在であることに変わりはない。いや、それを言ったら雪乃だって……。


「くそっ!」


 僕は両腕で勉強机を叩いた。分からないのだ。

 僕は世間から好かれているのか、嫌われているのか。幸福なのか不幸なのか。

 いいや、そんな理屈はどうでもいい。


「畜生……」


 僕は机に突っ伏し、拳を振るい続けた。


         ※


 翌々日の月曜日。

 早朝から、僕は体操着を着てバスに揺られていた。やや小さめのリュックサックを抱っこしている。


 今日は、新入生対象イベントである『登山』があった。登山と言っても、なにも急勾配を登ったり、断崖絶壁を歩いたりするわけではない。言ってみれば、ややきつめのピクニックといったところか。

 一つ気になる点があるとすれば、昨日は雨が土砂降りだったということだ。岩肌で足を滑らせたら危険だろうが、しかしそこは梅坂黎明高校。教職員が、昨日雨が止んでから実際に登ってみて、危険はないと判断したそうだ。生徒を守るためとはいえ、ご苦労なことである。


 僕は窓側の席に座っており、隣席では、名前も知らないクラスメイトが舟をこいでいる。窓の外を見ようとしたが、なんだか暗い。防弾仕様ということだろう。

 仕方ない、僕も寝よう。そう思ったが、こういう時に限って眠れないものだ。僕はスマホを取り出し、明後日(明日は疲労回復のための休日だ)に提出予定の宿題に目を通し始めた。どうしてこんなに日常的な行為をしているのか、自分でもよく分からない。


 学校出発から一時間、午前七時。バスは予定通りに山の麓に到着した。結局、一睡もできなかったが、寝ていようがいまいが頭がぼんやりしていることに変わりはなかっただろう。

 リュックサックを背負い、バスを降りる。今日は迷彩柄の服を着たボディガードたちが、あたかも自衛隊員であるかのように立ち回っていた。彼らは僕のボディガードというより、学校で雇ったボディガードだ。聞こえてきたのは、


「今日の夕方からの天候は?」

「帰りのバスの手配、再度確認しろ」

「緊急時用の照明弾の予備、持ったか?」


 などなど。随分と物々しい空気を演出している。

 僕は改めて周囲を見回した。広葉樹と針葉樹が混ざり合い、日光を浴びて緑色に輝いている。早朝ということもあって、空気はややひんやりしているが、歩いていれば身体が温まってちょうどいいだろう。

 鳥のさえずり、植物の匂い、小川の流れる音。それらが全て、遠い昔に体感した懐かしさのようなものを感じさせる。それだけ『家』や『学校』という箱に入れられて生活してきたということだろうか。自然物に対する感性が鈍っている、というか。


「はい皆さーん、注目してくださーい」


 なんとなくクラスごとに並んでいた僕たちに向かい、赤坂先生が声を上げた。


「皆さんの安全確認のため、GPSの発信装置を身に着けてもらいます。今から配りますから、体操着の左胸にピンで留めてくださーい」


 クラスごとに、担任教諭が手渡しでGPSを渡していく。僕の番が来て、赤坂先生が足を止める。


「はい、桐山くん。気をつけてね」


 穏やかに微笑む先生。しかし、何か気をつけねばならない事象など発生するのだろうか? 嫌なフラグが立ってしまったような気がする。


「それでは、一年一組の生徒から。二列に並んで歩道を歩いてくださーい」


 配り終わった赤坂先生が、全体に向けて呼びかける。緩やかな、しかし未舗装の山道に、ぞろぞろと生徒たちが歩み入っていく。

 何も危険はなさそうだよなあ……。僕はリュックサックを背負い直し、列に加わった。隣に並んでいたのが誰なのかについては、頓着しなかった。


 そのためだろう、僕は列から外れていた。隣を歩いているのは、クラスメイトではない。後続のクラスの生徒だ。まったく、ただでさえ歩幅は小さく、体力もない僕に、こんな苦行をさせるからだ。見る見るうちに、僕は一年八組(最後のクラスだ)の生徒にも抜かされて、僕同様に体力のないメンバーのグループに加わった。

 先生たちは僕らを急かすことなく、ボディガードたちも僕らの速度に合わせてくれている。しかし、体力的なことはわきに置くとしても、僕は異様に遅かったんだろうなと思う。考え事がグルグルと脳内を掻き回し、どうしても足元が覚束なくなってしまうのだ。


「はいはい皆さーん、ここだけは注意して歩いてくださーい。一人ずつでーす」


 その教諭の言葉に、僕は足を止めて先を見た。二メートルほどの幅の道がある。しかし、両端が断崖絶壁だった。右側には岩肌がそそり立ち、左側には何もない。落ちたら森林部に真っ逆さまだ。赤坂先生が心配していたのはこのことか。


「さあ、ゆっくりで構いませんから、慌てずに渡ってください」


 これはきっと、一種の度胸試しだろう。僕たちが将来、リスクを恐れて、大胆な研究や論文の執筆ができなくなるのを危惧して。


「次は君だ、桐山くん。さあ」

「あ、はい」


 ぼんやりしているうちに、僕の番になってしまった。僕は左側から目を逸らしつつ、指示通りにゆっくりと歩き始めた。――その時だった。

 微かに地鳴りがした。ゴロゴロと低い音が響き渡る。と同時に、目の前に砂が落ちてきた。そして、上を見上げると、


「!」


 岩が僕の頭上から降ってくるところだった。ゴトン、と鈍い音を立てながら、僕の全身を一瞬で叩き潰しそうな大きさの岩が落ちてくる。


「桐山くん!」

「桐山様!」


 ボディガードや先生たちが、僕を突き飛ばそうと殺到する。だが、こんな狭い場所では逃げようがない。

 昨日はひどい雨だった。そのせいで地盤が緩んでいたのか。そこに微弱な地震が発生し、もともと不安定だった岩石類が落ちてきたのだろう。


 誰かの故意によるものでもなく、ましてや悪意によるものでもない。それで死ねるなら、僕はあまりにも幸運であると言わざるを得まい。自分が朋美をあんな形で悲しませてしまったことは、誰かに殺されてもいいくらいの罪だと思っていたのだから。

 しかし、事はそう簡単には運ばなかった。


 僕が咄嗟にしゃがみ込み、頭を守ろうと丸くなった直後のこと。

 妙な音がして、あたりが静まった。『妙な音』――強いて文字で表すとすれば、キュイイイイン、というチャージするような音と、バシュン、とエネルギー光弾が発射されるような音だ。その間、約二秒。


 それから気づいた。


「……あれ? 生きてる……?」

「桐山くん! 大丈夫か!」


 大柄な男性教諭が寄ってきて、僕を支えようとする。

 よろけながら立ち上がろうとして、見てしまった。やや離れたところにいる、異形の人影を。

 右腕が拳の先端から四つに展開している。その中央にあるのは、いかにもSFじみた、しかしそれとはっきり分かる銃口。

 そして、その人物が誰なのか。


「未来……」


 僕の後頭部から踵までに、ざっと電流が走った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る