第21話

 先輩は実に見事に立ち回り、僕たち三人を誘導した。連れていかれたのは、園内の遊具の操作基盤がある、立ち入り禁止の看板の前。フェンスが張り巡らされたところで、夕日も差してはこない。いかにも遊園地を仕切る、縁の下の力持ちといった場所だろうか。

 僕がふと、まだ消灯中の電灯を見上げると、やはりそこには監視カメラがあった。その下にある毛玉のようなものは、きっと高感度マイクだろう。


「で、どうしたの? 鬼山くん。こんなところに連れ込んで」

「ぷは! まあそう焦るなよ、朋美」


 先輩はクマの着ぐるみの頭部を脱ぎ、暑い暑いと言いながら掌で自分に風を送った。


「ほれ、寛」

「は、はい!」


 いつもの僕なら、ビビッて何もできないだろう。だが、今日は違う。自分の罪の重さを自覚した、今となっては。


「朋美、僕が優柔不断なばっかりに、君には辛い思いをさせてしまったね」

「何? いきなり」


 直立不動でこちらを睨む朋美。しかし、その声が微かに震えたのを、僕は聞き逃さなかった。


「朋美、君とは付き合えない。ごめんなさい」


 僕はごくごく端的に言ったが、朋美には十分伝わるだろう。一昨日、雪乃の住む邸宅で、あれほどの話を聞いてしまったのだから。

 すると、背後を小突かれた。クマの手がある。ああ、そうか。まだ謝罪は済んでいない。


「ごめんなさい」


 と繰り返してから、僕は思いっきり腰を折った。土下座でも何でもしたかったけれど、あまりに気まずくなっては元も子もない。

 などなど考えながら、僕は唐突に馬鹿らしくなった。気まずい? 僕は何を思っている? そんな些細なことが問題か? 

 僕は今、ここで朋美に殺されてもいいと思った。柔術だろうが空手だろうが、人を殺せるだけのスキルを朋美は持っている。数秒後、僕は首を絞められて絶命したとしても、文句を言える立場ではないのだ。


 春の風が、ふわりと僕の頬を撫でる。それが引き金になって、僕は補足事項を述べた。


「僕は華藤雪乃さんと結婚する。もう他の人とはお付き合いしない。両親の――両親の意向に従うつもりだ」


 今後の自分の身の振り方は示しておいた方がいい。だからこそ、というわけではないけれど、その方が朋美も僕に対する未練を断ち切りやすくなるというものだ。


 しかし、思いがけない感情が胸中にせり上がってきた。悔しさと寂しさだ。

 やはり、僕は両親に扱われる駒にすぎないということに対する悔しさと。

 それほど想いが強くても、朋美を拒絶しなければならないという寂しさと。


「ごめん……」


 膝ががくり、と脱力し、地面に着く。今の僕に、自分を支えられるだけの体力は残っていない。ああ、もういい。朋美、僕を殺せ。殺してくれ。


「分かった」


 かけられたのは、思いの外温もりのこもった言葉。僕の視界に入っていたスニーカーが、さっと僕を迂回するように視界から消えた。

 許してもらえたのだろうか? いや、そんな楽観的にはなれない。一生許されないものと思うべきだ。


 結局、今日遊園地にまで出向いてきたのは、一体何だったのだろう。僕は深い、揺れるようなため息をついて、ぺたりと座り込んだ。


「なんだか上手くいったのかどうか、分からねえな」


『すまねえ、寛』と言って、着ぐるみの頭部を被る先輩。朋美がいてくれたら、『えっ!? そこで着るの!?』とツッコミを入れてくれたことだろう。だが、そんな朋美――僕の親友にして元彼女――はもういない。


 僕が地面に手を着いて身体を立ち直らせようとした、その時だった。


「きゃっ!」

「うわっ!」


 突風が吹いた。ちょうど真横からだ。そう言えば、今日は午後から強風に注意するようにと、天気予報で言っていたな。しかし、顔を防御するだけの精神力は残っていない。いっそ、ここで看板か何かが飛んできて、僕に直撃すればいい。僕など、死んでしまえ。


 だが、唐突に響いた悲鳴に、僕は、そして先輩も振り返った。


「きゃあああああああ!!」


 見れば、親子連れの三人組が寄り添うように身を固めていた。そしてその頭上から、何かが倒壊してくる。遊園地に隣接したファミレスの看板だ。父親が、母親と娘を守るべく抱き締めている。

 

「危ない!」


 と僕が叫ぶと同時、脱兎のごとく飛び出した人影があった。朋美だ。

 ラグビーのタックルの要領で、三人を思いっきり突き飛ばす。親子連れは、倒れくる看板の魔の手から逃れた。

 しかし朋美はと言えば、タックルの反動でその場に倒れ込んでいる。足でも挫いたのか、立ち上がろうとして失敗している。


「朋美!」


 この状況では、朋美が看板の下敷きになってしまう。僕はそちらに駆け出そうとして、足を妙な方向に捻ってしまった。


「痛っ!」


 バチン、バチンと看板を吊っていたケーブルが切れていく。重力に囚われた看板は、容赦なく朋美に迫る怪物のようにすら見えた。

 咄嗟に目を背ける僕。その時、僕の鼓膜を打つように、ドオッ、という短い爆発音が響き渡った。


「な、なんだ!?」


 先輩の声に顔を上げると、朋美の元へ迫っていく何者かの姿が見えた。

 未来だ。駆け出したのではない。滑空している。地面から二、三十センチのところを、足を着くことなく猛スピードで突っ込んでいく。その先にあるのは、倒れかけた看板と、必死に頭部を守ろうとしている朋美。

 まさに朋美が叩き潰される直前、看板が消えた。否、蹴り飛ばされた。未来の強靭な脚部によって。


 はっとして目を上にやると、看板は呆気なく、明後日の方向に吹っ飛んでいくのが見える。いや、未来は計算していたのだろう。そのまま看板は、落ちて、落ちて、落ちて、誰もいない中央広場に叩きつけられた。広場は、倒れてくる看板から逃れるべく、誰もいない空白地帯になっている。やはり、未来は狙ったのだ。


 だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。僕は多少の痛みを訴える足を無視して、朋美の元に駆けつけた。すぐそばでは、未来が朋美に手を差し伸べている。


「朋美!」


 走る。とにかく走る。


「朋美!!」


 僕は駆けつけた勢いそのままに、立ち上がった朋美に抱き着いた。はっと息を吸う気配がしたが、構うものか。とにかく僕は、朋美の名を連呼しながら腕に力を込めた。

 何を喚いていたのか、自分でも分からない。とにかく、先ほどまでの生と死を巡る葛藤はどこへやら。僕の心は、朋美が無事であったという喜びと安堵感で一杯になった。


「皆さん、怪我はありませんか?」

「今日は閉園とします。直ちに園外へ!」


 遊園地のスタッフの声に、ようやく僕は正気に戻った。そして、腕の中の朋美の目を見つめる。何が起きたか分からないようでぼんやりしているが、多分僕も同じような顔をしているだろう。


「大丈夫だね?」

「あ、うん」

「よかった……」


 僕は朋美の肩から手を離した。周囲の人間からすれば、やっとのことだろう。


「あー、盛り上がってるところ悪いんだが、お二人さん」

「はい?」


 振り返ると、クマさんと未来が立っていた。クマさんはまだしも、未来までもが無表情なのはどういうことだろう。昨日の未来だったら、素直に大喜びしてくれるだろうと思うのだが。


「俺たちも戻ろうぜ。俺はこの着ぐるみ置いてくるから、入場口で待っててくれ」


 先輩の言葉に、僕は首肯してみせた。


「じゃあ朋美、一緒に――」


 と言いかけて、僕ははっとした。朋美にとって、僕はもはや友人ですらないのだ。何を言おうとしているんだ、僕は。朋美の顔にも影が差している。


「ごめん、僕は先輩と帰るよ。朋美は一本先の電車で帰った方がいいと思うんだ」


 こくり、と頷いて、朋美は軽く足を引きずり始めた。これではいけないと思った僕は、ボディガードに近づき、


「すみません、人員を割いて、彼女を家まで護衛してください」


 とお願いした。彼は『かしこまりました』と頷き、パチンと指を鳴らして数名の黒服を指差し、朋美の元へと駆け寄った。残されたのは、僕と未来とボディガード数名、それに着ぐるみを脱いだ鬼山先輩。


「未来、ありがとう。朋美を助けてくれて」


 しかし、未来の顔色は晴れない。


「私も先に帰るわ。それじゃ」

「えっ? あ、ああ」


 足早に去っていく未来。引き留めるだけの理由がなかったので、僕はただ見送ることしかできなかった。


「二人はもう帰ったのか?」

「ええ。先輩、結構時間がかかりましたね」

「ん? まあな」


 後頭部に手を遣る先輩。すると、やけに馴れ馴れしく肩を組んできた。


「ど、どうしたんですか?」

「ん? まあ、気にすんな」


 僕は先輩に絡まれながら、電車と自動車を介して自宅へ帰った。緊張感がぶり返してきて、暑い。気温はそんな高くはないはずだけれど。

 前襟をパタパタさせながら上着を脱ぐ。一枚の手紙がぱさり、と落ちてきたのはその時だった。


「何だ?」


『鬼山浩紀より、桐山寛へ』と書かれている。肩を組んだ時に仕込まれたのだろう。僕はすぐに封を切り、文面に目を通し始めた。

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