第20話

《なるほど。まあ、お前の親父さんやお袋さんからすれば、確かにそこまでやりかねんわな》

「分かってもらえましたか?」

《ああ。今からそっちへ行ってもいいか?》

「え? ええ、構いませんけど」

《了解だ。十分待ってろ》


 すると、一方的に通話は切れた。


 きっかり十分後。


《失礼致します、お坊ちゃま。お友達がいらっしゃいました。鬼山浩紀様と》

「通してください」

《かしこまりました》


 僕は上半身を起こし、ドアがノックされるのを待つ。少ししてからコンコン、と固い音が響いた。


「よう、寛」

「どうも、先輩」


 すると、先輩が入室するのに合わせて扉が閉じられた。


「あ、あざーっす。お前んちは本当にキッチリしてるよなあ。で、俺はどこに座ったらいい?」

「適当にどうぞ」


 先輩は、ベッドの足側にある勉強机用の椅子に腰を下ろした。僕も先輩と対面するように身体をずらす。


「寛、大丈夫……じゃなさそうだな。ひでえ顔してるぜ」

「それはどうも」

「おいおい、俺は皮肉を言ってるんじゃねえんだ。心配してんだよ」


 手をひらひらさせる先輩。くだけた挙動だが、その目は真剣だった。


「そうだな。やっぱり遊園地作戦でどうにかするしかねえだろう」

「こだわりますね、先輩」

「まあな」

 

 先輩は机からペンを手に取り、弄び始めた。


「何か作戦でもあるんですか?」

「お前は朋美に謝れ。とにかく謝れ。そしてその姿を未来に見せつけるんだ」

「じゃ、じゃあ先輩は、僕に両親に負けろ、って言うんですか!?」


 僕は勢いよく立ち上がった。しかし先輩は余裕の体勢を崩さず、『そうだな』と一言。

 

「俺んちは随分規則が適当だからな。許嫁なんかもいねえし。お前の気持ちが分かるとは言えねえ。けどな、お前は朋美を傷つけたのは紛れもない事実だ。お前もあいつも、俺にとっては大事なダチで後輩だ。その仲違いを見てるのは、俺も辛い」


 僕は初めて、先輩が『目を伏せる』所作を取るのを見た。


「聞きたくなかったですよね。こんな話」


 僕は立ったまま、『すみません』と頭を下げた。すると、軽い衝撃が後頭部に走った。先輩がチョップを喰らわせたらしい。


「馬鹿野郎、誰にも話せなかったら、お前一人が苦しむことになるだろう? 俺もしんどい気にはなっちまったが、誰かがお前の片棒を担いでやらなきゃな。こんな時には男同士、手を取り合うもんだ」


 視界にすっと手が差し伸べられた。先輩の右腕だ。僕はおずおずと、その手を握り返す。


「まあ、顔上げろや。作戦について説明すっから」


         ※


 翌日、金曜日。作戦決行は明日だ。

 僕は困りに困っていた。両側からのプレッシャーに、縦に圧縮されそうな勢いだったからだ。

 未来は余裕を振りまくかのように語りかけてくるし、朋美はこちらに目もくれない。当然だろうな、と僕は思う。『圧縮される』とはただの比喩だが、本当に彼女たち二人にだったら、恨みだけで圧殺されても文句は言えまい。


 などと考えていると、右側の机から何かが落ちた。擦り減った消しゴムが一つ。『あっ』という声がする。僕は反射的に屈みこみ、消しゴムを拾う。すると、ちょうど相手の手が伸びてきたところだった。僕の手の甲に、相手の指先が触れる。朋美だ。

 再び漏れる『あっ』という声。いつもの朋美なら、『ありがと』とでも言うところだろうが、そこまでの言葉は続かなかった。


 朋美のいつもとは違う言葉遣いや、仕草の端々さえ、僕の胸に刺さる。心臓が貫かれ、引きずり出されるようだ。

 未来は未来で、僕にとっては彼女の言葉は左耳から入って右耳から出ていく状態だった。

 全身を業火に焼かれるようなプレッシャー。僕はそれほどの悪行を為したのだろうか?


 きっと、そうなのだろう。取り分け朋美の心境を察するに、いくらぼんくらな僕でも分かった。僕以上に、朋美の方が傷ついているのだろうと。皮肉なことに、『僕の方がマシだ』という気持ちが、僕に落ち着きを与えていた。


 休み時間になった。今日の朋美は、休み時間になるとそそくさと教室から出て行ってしまう。僕がそんな彼女の後姿を見て、ため息をついた時だった。


「やあ、桐山くん」

「あ、や、やあ」


 僕に声をかけてきたのは、以前『朋美とは縁を切れ』と忠告してきた目の鋭い男子だ。

 

「桑原さんとはその後、どうなのかな?」

「どうって……」


 肩を組んで、教室端に僕をいざなう男子。


「この前言ったじゃん? あんまり付き合わない方がいいって。分かってもらえたようだね」


 危うく僕は、その男子の顔面にパンチを喰らわせるところだった。何故思い止まったかと言えば、喧嘩などしたことがないからだ。要は、僕は臆病なのだろう。

 こんな日が、明日の『鬼山浩紀による遊園地作戦』で終わってくれればいいのだが。


 そして、迎えた土曜日。

 前日の時点で、僕は未来にLINEを送り、遊園地に誘った。もちろん、『二人きりで』という体を装って。未来からの返信は、


《本当に? 二人で? 嬉しいわ! じゃあ、また明日ね!》


 とのことだった。

 また、先輩からは


《朋美と俺とで遊ぶ計画を立てた。上手くいきそうだ》


 だそうだ。ここまでは順調、と。

 後は先輩の力量に頼る部分が大きいが……。ここは彼を信じるしかあるまい。


 などなど考えているうちに、遊園地最寄の駅についた。車で移動する気にはなれず、電車でやって来たのだ。もちろん、ボディガードつきだけれど。

 改札を出ると、すぐに未来の長身が目に入った。白のツーピース姿で、とても清楚な姿をしている。もし、一昨日の一件がなかったら――未来がうちの政略結婚に加担していなければ――、僕は思わず心惹かれていたことだろう。


「やっほー、寛くん!」

「やあ、未来」


 大手を振ってこちらを迎える未来と、軽く手を挙げながらそれに応じる僕。『できるだけカジュアルな服装にしてくれ』と使用人には頼んだのだが、この服装はどうなのだろう? 長袖シャツの上にライフジャケット、それに青いジーパンだ。まあ、使用人はプロ中のプロだから、変な目で見られることはあるまい。


「それじゃ、行きましょっか」

「っておい!」


 未来は僕と腕を組んで歩み出した。そんな、恋人でもあるまいに。

 などと思いつつ、どうにも僕は、未来の言動の移り変わりが把握しきれない。そんな自分がいることに気づく。

 やはり、『未来は天然なのだ』という一言では語り切れない。ただ、今考えるべきは、いかに上手く鬼山先輩の立てた作戦を進めていくか、だ。余所見をしてはいられない。


 遊園地の入り口に着くと、朋美の姿があった。一瞬、足が止まりそうになる。だが、ここで怯んではいられない。まだこちらに気づかない朋美に向かい、声をかけたのは未来だった。


「あら、桑原さん!」


 なんとも白々しい。


「奇遇ですわね! いかがなさったのかしら?」

「あんたたちこそ……」


 未来は目を丸くしている。

 朋美は半袖のシャツの上に薄手のパーカーを着込み、膝丈くらいのパンツを穿いていた。よく似合っている。


「あ、あたしは、鬼山くんから頼まれてきたの。チケットを売り終わらないと自己負担になるから、半額でいいから買ってくれって言われてね」


 まったく、先輩も苦労するな。


「それじゃ、早速遊びましょうか」


 先頭に立った未来。すると横から、もふもふしたものが飛び出してきた。クマの着ぐるみだ。両腕を頭上でパチンと打ち合わせ、陽気に絡んでくる。作戦通り。

 クマは僕たちの今日の案内人だ。正体を先に言ってしまえば、誰あろう鬼山先輩である。


『俺がいいアトラクション巡りをさせてやるから、リラックスした時を狙ってさり気なく朋美に謝れ』というのが、先輩の掲げた作戦だった。

 幸い、今日は晴天。お陰で気が晴れ晴れとする。しかし反面、入場客も多い。一体どこで、朋美に詫びればいいのだろう。


 まあ、それは作戦段階で言えばまだ少し先のこと。まずはアトラクションを楽しんで、皆が気分を軽くするのが先決だ。それから、人通りは少ないけれどちゃんと監視カメラが設置されている区画に入り、僕が朋美に謝る。監視カメラの映像から、赤坂先生たちは、僕が諦めの境地に至ったことを知るだろう。これで、許嫁である僕と雪乃の婚約は(まだ先とは言え)確定的なものになる。

 結局、僕は両親を見返すことなどできないのか。僕は俯き、自嘲的な笑みを浮かべてすぐ引っ込めた。


 クマさんもとい先輩は、いろんなアトラクションに僕らをいざなった。ジェットコースター、ホラーハウス、観覧車もろもろ。だが、僕は終始無表情。朋美は朋美でため息ばかりついているし、盛り上がっているのは未来だけだ。

 散々遊びつくした挙句、時刻は夕方四時をまわるところだった。いい加減飽きてきたな。そろそろ例のポイント――僕が朋美に謝るための場所まで移動しなければ。

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