第5話

 沈黙を破ったのは、やはりというかなんというか、とりあえず朋美だった。


「あ? え? えええええええ!?」


 しかし、その絶叫に追随する者はなく、ましてや鬼山先輩に注意する者など皆無。だが、再びの沈黙は訪れなかった。未来がすぐに振り向いて、僕にこう問うてきたのだ。


「寛くん、『付き合ってください』って言われた場合、あなたならどうする?」

「ぼ、僕!?」


 まあ、恋愛経験の苦い思い出は二、三あるが、相手から告白されたことはない。そんな僕に答えを求めるのは間違いだ。


「え、えっとね、未来、それは……」


 すると、土下座の低姿勢からカエルのように飛び跳ねてきた鬼山先輩が、僕の胸倉を掴み込んだ。


「ひっ!?」

「寛、てめえ! どうしてこのお嬢さんを気安く呼んでいやがる!? しかもファーストネームじゃねえか!」


 あ、そういえば。どうしてだろう? あんまり世話を焼かれすぎて、うんざりした気持ちから呼び捨てにしてしまったのかもしれない。

 しかしこれまた困った事態だ。僕は為す術もなく、ぐわんぐわんと首から上を揺さぶられている。また鼻血が出たら、余計にあらぬ誤解を招きかねない。


 さて、どうする桐山寛!?

 だが、事態はまたもや思いがけない形で収束した。僕にかかりっきりになっていた鬼山先輩の頭部に、未来の踵落としが炸裂したのだ。と、いうことは自然と僕の目は足を振り上げる未来の方へ向かってしまうわけで――あ、白だ。


 やばい、また鼻血が! と思うより早く、未来はひんやりとした声音でこう言った。


「桐山寛くんから離れなさい、鬼山浩紀。次は頸椎を折る」


 頭を押さえてうずくまっていた鬼山先輩は、『畜生おおおおおおお!!』と叫んで廊下を両の拳を廊下に打ち付け始めた。

 すると、その後ろ襟を引っ掴む手が伸びてきた。


「会長見苦しいのでそのあたりにしておいてください恥ずかしいです」


 淡々と、一呼吸で語るその人物。短めのツインテールに丸眼鏡をかけ、その奥に鋭い光を宿している。ああ、生徒会副会長の室井祐妃だ。


「祐妃! お前は俺の傷心に気づいていないのか!?」

「気づいてはいますがどうでもいいです早くここから立ち去ってください」

「うわあああああああ!」


 こうして、鬼山先輩は廊下を駆けて行った。


「申し訳ありません一年四組の皆さん。わたくしからお詫び申し上げます」


 そう言って、室井副会長もまた、その場から去っていった。

 三々五々、散っていく人たち。それを見ながら俺は未来に声をかけた。


「未来、流石にあれはないよ。踵落としなんて……」

「仕方ないことよ。私は寛くんを守らなきゃいけないから」

「は?」


 僕は呆気に取られた。『守らなきゃ』って、どういうことだ?


「僕にはボディガードがついてるし、この学校にはいじめも何もないだろう? 大丈夫だよ」

「本当にそう思う? 寛くん」


 真顔で真正面から見つめられたせいで、僕は気圧され、唾を飲み込んだ。


「確かに、あなたの言う通り、いじめなんてものはないでしょう。けれど、人によって話しかけやすかったり、気難しかったり、つまり『周りからどう思われるか』という傾向はある。友達を作った方がいいのは、寛くんも承知のはず。それでも引っ込み思案が通用すると思っているの?」


 一気にまくしたてられ、僕は二の句を継げないでいた。

 確かにそうだ。僕は引っ込み思案で、臆病で、真面目過ぎて。今朝、校門から昇降口まで一人で歩いて行けたのも、途中で朋美、すなわち友人の姿を見かけたからだ。それに、皆が(勝手にとは言え)道を空けてくれたのも事実だし。

 平気なつもりでいたけれど、今思えば『清水の舞台から飛び降りる』感覚だったとも考えられる。


「さあ皆さん、そろそろホームルームが開始されます。席に戻られた方が賢明かと存じます」


 実に慇懃な態度で皆を誘導する未来。あれだけのバトルと身のこなしを見せつけられたクラスメイトたちに、未来に逆らうだけの蛮勇を持ち合わせた者はいなかった。

 

         ※


 ホームルームが始まった時、僕はまた小さな驚きに巡り会った。


「はい、それではホームルームを始めます」


 担任は、保健室で僕の治療にあたってくれた赤坂ひとみ先生だった。

 確かに、この学校の人員・設備の充実度からするに、保健の先生が何人いてもおかしくはない。けれど、担任が保健の先生とは。


「ちなみに私の担当教科は理科、生物です。皆さんの頑張りに期待します。それでは、今後の予定表を配りますので、前の席から後ろに回していってください」


 黙々と回されてくる予定表。だが、その時僕は気づいてしまった。

 僕の左隣の席が、未来だということは本人から聞いている。驚きはしない。だが、


「何? あたしの顔に何かついてる?」

「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど」


 まさか右隣が朋美だったとは。

 早くも犬猿の仲となってしまった二人の女子に、僕は左右から挟まれているわけだ。

 普段なら頭を抱えてうずくまってしまうところだが、場所が場所だけにそうしてはいられない。僕はプリント配布を終え、前に向き直った。

 

「明日の午前中は早速授業があります。午後は新入生歓迎会……もとい部活動紹介ですね。我が校は、皆さんに充実した高校生活を送ってもらえるよう、部活動への参加を推奨します。明日以降、どんどん見学に行ってみてください。以上です」


 すると先生は、朋美と目を合わせて頷いた。


「起立! 礼! さようなら!」


 朋美に合わせて『さようなら』を復唱するクラスメイトたち。そうか、朋美は学級委員長も兼ねているのか。ご苦労なことだ。

 周囲は再び、体育館に入った時のような喧噪に包まれた。やっぱり、頭がいい連中というのは、友達作りも上手いのだろうか。

 僕はふっと息をつき、鞄を提げて帰ろうとした。まあ、迎えのロールスロイスが来ているだろうから、ほんの僅かな距離だけれど。


 僕が立ち上がると、右隣から声をかけられた。朋美だ。


「ねえ寛、一緒に帰らない?」

「え? 朋美、自転車じゃないの?」

「今日の帰りくらい送ってよ。あのかっこいい車でさ。明日は徒歩で学校来るから」

「まあ、いいけど」


 そういえば。

 僕と朋美が幼馴染なのは、当然ながら同じ場所で産まれ育ったからだ。茨城県つくば市。ということは、アクセスの関係上、朋美も一人暮らしをしていることになる。

 こんな簡単なことなのに、今更気づくとは。それはいいとして。


「じゃあ私も途中まで送ってもらおうかしら。寛くん、構わない?」


 ずいっと未来が出しゃばってきた。


「ちょっと! あたしが先に寛に声かけたんじゃん!」

「それは『私が同乗できない』という理由にはならないわ。ね、寛くん?」

「ん? あ、ああ、まあそうだけど……」

「ちょっと寛! あんたどっちの味方なの!」


 み、味方? その言い方からするに、やはり二人は互いを目の仇にしているということか。

 僕は露骨にため息をついて、二人をロールスロイスへいざなった。


         ※


 ロールスロイスの車内はぎゅう詰め、ということにはならなかった。後部座席に僕と、僕を挟むように右に朋美、左に未来。登校時に僕の両脇にいたボディガード二人はといえば、自転車で車と並走している。確かに、下校時も学校周辺は混雑していた。しかし、この通りを抜けて道が空いたら、二人のボディガードはどうするつもりだろう。まあ、身体は頑丈だろうから、自転車でも車について来られるのか。


「へー、寛はボディガードなんて雇ってるんだねー」

「父さんと母さんが勝手につけてくれただけ……あっ、ごめんなさい」


 俺は委縮してしまった。こんな言い草では、ボディガードに失礼だ。いざとなれば僕を守ってくれるというのに。

 だが、待てよ。そういう『保護者』がいるからこそ、僕は今まで成長できなかったのではないだろうか?

 先ほどから感じていた違和感、クラスに馴染めなさそうな雰囲気は、女子二人によるものばかりではない。自分が同年代の若者たちよりも過保護に扱われてきたから、ということもあるのだろう。これは、登校してみて初めて気づいたことだ。


「寛様、まずはあなたをご自宅へお送り致します。その後、桑原朋美様と此崎未来様をそれぞれご自宅へ。よろしいでしょうか?」

「あ、は、はい」

「かしこまりました」


 と、話がまとまりかけたちょうどその時。


「あ、すみません。私の家、ここです」


 緩やかにブレーキがかかり、とある一軒家の前に停車する。ちょうど高校と僕の家との中間地点くらいだ。

 降りる未来の背後から、その一軒家を覗き込む。が、『一軒家』と呼ぶには、それは奇妙な建物だった。


 大きな鉄柱が一本、裏手から生えている。屋根は平面になっていて、これまた大きなパラボラアンテナが設置されている。ゆっくりと基盤から回転しているようだ。家屋というより、研究所のように僕には見えた。


「じゃあね、桐山寛くん、桑原朋美さん」

「じゃあ、また明日」


 と、僕は声をかけたけれど、朋美はあっかんベーをしただけだった。

 すると、深いお辞儀と共に、自転車組だったボディガードが一人、左側から乗り込んできた。ヘルメットを外し、律儀にシートベルトを締める。


 それから朋美と何を話したのか、僕はよく覚えていない。だが、一つ決意したことがあった。

 明日はこっそり、一人で登校してみよう。

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