第24話【第四章】

 この登山での出来事の後、事態は沈静化したかに見えた。朋美と未来は相変わらず喧嘩ばかりしているが、どこかじゃれ合っているような空気だし、朋美と縁を切れなどというお節介を焼く奴もいなくなった。僕が朋美と『付き合っている』と言えるのかどうかは微妙なところだが。


 一つだけ変わったのは、未来が僕に寄りつかなくなったということだ。僕をシカトしたり、わざと避けたりしているわけではない。だが、少なくともベタベタしたり、積極的に話しかけたりしてくることはなくなった。


『調整』されてしまったのか。そう思うと、僕は居ても立ってもいられない気分になる。未来は自分の意志を曲げられてまで、平静を保っている。自分が桐山寛という少年の恋路を左右するために造られた、ということが既に明らかになってしまった以上、もう僕に手出しはできない。暴力に訴えることもできるだろうかと思ったが、流石にそこまではできないだろう。僕や鬼山先輩の両親の世間体を考えれば。


 そうして、登山から一週間が経った放課後。


「ねえ寛、今日も一緒に帰ろ?」

「うん、いいよ」


 さり気ない遣り取りだが、僕の朋美への思いは日に日に増していくのが自分でも感じられた。思わず、互いの口元が綻ぶ。そうか。これが本当の恋というものか。

 校門を出たところで、僕は思い切って朋美に声をかけた。


「ね、ねえ、朋美」

「何?」


 こくりと首を傾げる朋美。その無邪気な瞳に吸い込まれそうになりながら、僕は勇気を振り絞ってこう言った。


「手、繋いでもいいかな」


 すると、朋美の顔に瞬時に緊張が走った。しかし、その瞳だけはしっかりと僕を捉え続けている。やがて真っ赤になり、熟れたトマトのような頬をしながら、朋美は一言。


「いいよ」


 僕はふう、と息をついた。手を繋ぐ。幼い頃はなんともなかったその所作を取るのに、こんなにも緊張を強いられるとは。それでも僕は安堵して、自分の左手をそっと朋美へと差し出した。

 間もなく朋美の右手が僕の左手に接触する。一体僕はどうなるだろう。喜びのあまり跳び上がってしまうのではないか。そう思っていた、最中のことだった。


「がッ!?」


 僕の背後に、痺れを伴う激痛が走った。目の前が一瞬真っ白になり、全身があらぬ方向に捻じ曲げられるような感覚に囚われる。前方に倒れゆく僕を支えたのは、ボディガードの腕。

 意識が遠のく中、僕は朋美の声を聞いた。『何すんのよ!』とか『寛を放して!』とか。それから数回、格闘技の技がぶつかり合うような音が数回響いたが、きっと多勢に無勢だったのだろう、すぐに収まってしまった。もし僕のボディガードたちが、全勢力を動員して朋美を確保しようとしたならば、朋美とて長くは戦えまい。


 そうか。このあたりは人通りが少なかったな。歩行者を襲うには、最適と言える。僕が手を繋ごうと朋美に提案する前、恥ずかしさのあまりこの道を選んだのが間違いだったのだ。

 薄れゆく意識の中、僕は必死の抵抗を試みた。右腕を前方に伸ばし、思いっきり曲げて肘を振るったのだ。エルボーの原理で、僕を支えているボディガードに肘鉄を見舞う。

 まさか僕から反撃されるとは思っていなかったのだろう、そのボディガードは短い呻き声を上げた。しかし、大きく体勢を崩すには至らず、僕は余計に強く羽交い絞めにされた。それでも。


「おい、朋美を放せ! 命令だぞ! でなけりゃお前ら全員、クビにしてやる! お前たちにだって、家族はいるだろう? それがこんな目に遭ったらどう思うんだ? 答えてみろよ!」


 一瞬、ボディガードたちの動きが鈍った。ここぞとばかりに、朋美が空中回転蹴りを見舞う。だが、すぐに正気に戻ったらしいボディガードたちは、朋美までも地面に突き飛ばし、手錠をかけてしまった。僕にも同様の処置が取られるだろう。

 僕は暴れるだけ暴れたが、周囲のボディガードたちはいつもの淡々とした調子に戻っている。今度は後頭部に鈍痛が走った。さっきの肘打ちのお返しか。


「畜生、朋美には手を出すな……」


 地面に押しつけられながら、僕はそう言ったような気がする。言い終えるか否かといったところで、僕の意識はブラックアウトした。


         ※


「……たか、寛! 寛ってば!」

「ん……」


 混沌とした意識から、聴覚を刺激する鋭い声が浮かび上がってくる。朋美の声だ。次に自覚されたのは、後頭部に残る軽い鈍痛。床からは微かに振動が伝わってきて、僕たちが車で移動中であることが察せられる。少し腕を動かしてみると、ジャラリ、という嫌な音がした。僕も手錠をかけられているのだ。


 目を擦ることも叶わず、僕は素早く瞬きを繰り返した。先ほどの声の方を見ると、朋美が体育座りをしている。手錠をされたままで。僕たちが乗せられているのは、手狭なコンテナのような箱。窓はなく、天井から豆電球がぶら下がっている。

 改めて周囲を見回すと、ここにいるのは僕と朋美、ボディガードが一人(腰にスタンガンを差している)、それに未来だった。


 はっとして僕が未来に声を掛けようとすると、その前にボディガードが立ち塞がった。しかし、そこに高圧的な雰囲気はない。それよりあろうことか、そのボディガードは腰を下ろし、僕に向かって土下座をしたのだ。


「申し訳ございません、寛様!」

「な……?」

「ご承知かと存じますが、わたくし共はあなたのご両親の命で動いております。あなた様のご指示を優先することはできません!」


 申し訳ございません、と繰り返す彼。


「ど、どういうこと、ですか……?」


 ボディガードは正座したまま、額の汗をハンカチで拭った。


「はッ、わたくし共はあなたのお父様・お母様に雇われておりますので……」

「そんなことじゃない!」


 僕は、自分でも驚くほどの声を張り上げた。


「あなたたちは僕や朋美をどこに連れていくつもりなんだ? 何をしようっていうんだ?」

「……ご両親に会っていただきます、寛様。桑原様にもご同行していただくようにとの命令です」


 僕は喉の奥で、ひっ、という音を鳴らした。最後に会った、というより今の住まいに僕が送り出されてから面会するのは初めてだ。

 両親、あるいはそのどちらかと顔を会わせるのは、今までは一週間に一度ほどだった。会わせたくもない顔だったが。それが、半ば育児放棄するよう僕をこの高校に投げ出しておいて、久々に会おうだと? それも、朋美同伴で? 嫌な予感しかしない。


「じゃ、じゃあ、未来がここにいるのはどういうわけだ?」

「それは……」

「朋美さんが暴れ出したら、彼らでは敵わないからよ、寛くん」


 この場で初めて未来が口を開いた。


「ちょ、ちょっと! 何よそれ! 人を猛獣みたいに言って!」

「あら? 私はあなたのそんなところ、称賛に値すると思っているのだけれど。中途半端な鍛錬で身につけられる技能じゃないわよ、朋美さん」

「誤魔化さないで! ロボットのくせに!」


 その時、僕の角度から見えてしまった。未来の頬がピクリ、と引き攣るのが。だが、その後に未来の顔に浮かんだのは、怒りではなく悲しみ、寂しさのようなものだった。


《間もなく現着》

「コンテナ、了解」


 スピーカーからの声に、ボディガードが答える。と同時に、未来は先ほどの無表情に戻った。


「まったく、どこに着いたっていうのよ……」


 朋美はぐいっと顔を逸らし、『うざったいのよ、これ』と言いながら手錠をジャラジャラ鳴らしている。車の穏やかな振動が止まり、やがて車自体も停車した。僕が座っていた対面側が開き、夜風が吹き込んできた。


「現在時刻、二〇一五。予定通り」


 とボディガード。なるほど、今は午後八時十五分か。


「寛様、桑原様、どうぞこちらへ」

「うう、まだ寒い……」


 朋美は怒りの矛を引っ込め、自分の肩を抱くようにしながら荷台から飛び降りた。


「うわあ、昔と変わりないみたい。すごいお屋敷ね」


 嫌味には聞こえなかったが、その事実が余計に僕の胸を締めつけた。着いたのが茨城県つくば市の僕の実家だとすれば、待ち構えているのが僕の両親だという事実はもはや確定的である。


「さあ、寛様」

「ほら、寛くん」


 ボディガードと未来に促され、僕は立ち上がった。誰がこんなところ、来たがるものか。そう思ったけれど、抵抗の仕様がない。腕でバランスが取れないことで、よたよたと歩いていく。途中からボディガードに肩を貸してもらいながら、ようやく鉄柵状の門の前に立った。

 その奥にあるのは、僕の今の邸宅を二段重ねにしたような建物だった。真昼のように灯りが煌々と灯っている。


 門をくぐり、艶やかな木製の扉の玄関前に来ると、タキシード姿の白髭の執事が深々とお辞儀をして僕らを迎えた。

 ここから先は、敵地だ。僕はぎゅっと瞼を閉じ、深呼吸して歩み入った。

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