第12話
「未来! おい、未来!」
僕は未来の身体を仰向けにし、両肩を握って揺さぶった。
「ちょっと、大丈夫なの!?」
朋美も駆け寄ってくる。未来は相変わらず両目を閉じ、ぴくりとも動かない。
こういう時、一体どうしたらいいのだろう。僕と先輩がわたわたする中、朋美は果敢にも、救命作業に取りかかった。未来の頭部を持ち上げようとする。
「まずは、気道を確保して……って重っ! どうなってるの、これ!」
『これ』とは未来のことではなく、この状況を指しているのだろう。僕と先輩の苦労を、朋美も味わったわけだ。
「朋美、どうするんだ?」
「寛! 未来の頭を支えて! 先輩も!」
「お、おう」
自分の役割を指示され、やっと先輩は落ち着いたようだ。必死に身を乗り出すような勢いで腹這いになり、腕を未来の後頭部に滑り込ませる。バレーボールか。
かく言う僕も、急いで手を差し入れる。やっぱり重い。
「未来! あんた、聞こえてる? 未来! 未来!」
未来の頬を軽く叩きながら、大声で呼びかける朋美。耳を未来の口元に近づけながら、『呼吸は大丈夫ね』と一言。
すると朋美は、未来の後頭部を叩き始めた。未来の名を呼び続けることも止めない。僕は腕が痺れてきたが、なんとか未来の頭を持ち上げ続けた。
すると、思いの外早く未来に動きがあった。
「げほっ! けほっ、はあ……」
僕たち三人は、協力して未来の上半身を持ち上げ、未来が水を吐き出すのを手伝った。
僕は二人に未来を支えるのを任せ、未来の正面に回った。
「未来! 大丈夫か? 未来!」
「けほ……。あ、寛くん」
「そんな『あ』じゃないよ! 君、本当に危ないところだったんだから!」
「私、一体……」
未来は自力で上半身を持ち上げ、後ろに手を着いて俯いた。
「君は溺れたんだ。勢いよく泳いでいたのはいいんだけど、折り返してすぐに動かなくなって」
「私が、溺れた?」
「うん。そう見えた」
「ああ……」
未来は合点がいったのか、それとも嘆息のつもりだったのか、なんとも言えないため息をついた。
すると、僕の服がびしょ濡れなのに気づいたのか、
「寛くんは、大丈夫?」
「僕? 全然平気だよ」
「よかった……」
そう言って、微かに笑みを浮かべる未来。また俯いてしまったが、少しばかり照れたような表情がとても可愛らしいことに、僕は気づいてしまった。
誰が誰を好きになろうが勝手だろうと思うけれど、僕の心はぐっと未来に引き寄せられたような気がした。鬼山先輩、ごめんなさい。いや、これは恋愛感情だろうか? よく分からない。
そこに割り込んできたのは、やはり朋美だった。
「ちょっと未来! あんたねえ、あたしも先輩もあんたを助けるのに随分骨を折ったんだからね! ちゃんとあたしたちにも感謝なさい!」
高飛車な物言いだが、朋美も安堵したからこそこんなことを言っているのだ。やっと落ち着いた気がした。が。
「……私の性能で溺れるなんて」
「えっ?」
何だ? 今未来は何と言った?
「ねえ未来、『性能』って、どういうこと?」
その時、いかにも『しまった!』という顔をするのを、僕は見てしまった。
「ううん、何でもないの。気にしないで」
すると、さっき溺れていたとは思えない勢いで、未来はすっくと立ち上がった。
「今回は私の負けのようね、朋美さん」
「な、何よ、殊勝じゃない」
「今更だけれど、三人には何か奢るわ。私を助けてくれたんですものね」
「はッ!」
先輩がずいっと前に出て、未来の前にひざまずいた。
「恐れ多いことです! これからも不肖、この鬼山浩紀をお使い潰し下さい!」
まったく、先輩の中二病ぶりには恐れ入る。が、
「ありがとうございます、鬼山先輩。お顔をお上げになって」
「ははッ!」
うーん、こんな絵画、見覚えがあるぞ。美術史には詳しくないけれど、マリア様の恩寵を賜る誰か、みたいな? ごくごく適当な知識。
もちろん、絵画の中の彼らはずぶ濡れではないし、もっと高貴な服装をしているけれど、なんだか雰囲気というか、空気感はこんな類のものだ。きっと先輩には、未来から後光が差しているように見えているのかもしれない。
「じゃ、あたしは着替えてくるから。未来、先輩、寛のことを縛りつけておいて」
「分かったわ」
「ああ、未来さんはそのまま! 俺がやります!」
「って先輩! なにノリノリでロープ握ってるんですか!? 本気で僕を縛るつもりですか!?」
「わっ、馬鹿! 逃げんな寛!」
その時、ふっと未来が笑みを浮かべた。別に彼女が微笑むのは、異様なことではない。だが、先ほどまでの彼女だったら、先輩を止めていただろう。僕を守れという『任務』のために。
『命令』『性能』……。一体未来は、何の話をしていたのだろう?
ちなみにその後、僕は先輩に掴まって、あっという間にぐるぐる巻きにされた。
※
その後、未来の奢りで僕たちはアイスクリームを食べた。正確には、未来のボディガードが財布を出してくれたのだが。
ちなみに、市民プールは僕たちが借り切ってしまっていたので、アイス屋さんはやっていなかった。やむを得ず、僕たちは最寄りのコンビニまで歩き、そこでアイスを購入した。
それと悟られない距離に離れたボディガードたちに囲まれ、アイスを口にする。うーむ、ウーロン茶味は……『甘い』としか言いようがないな。
ちなみに僕たちがアイスを食べているのは、コンビニ前の公園のベンチだ。右から鬼山先輩、未来、僕、朋美の順で並んでいる。僕が何故か女子二人に挟まれたところで、先輩が未来の右側に陣取った形だ。
「夕日、綺麗だねー」
ぼんやりと朋美が俳句でも詠むかのように語る。
「それには同意するわ、朋美さん」
「あ、そう」
突然未来に肯定されたのが気に障ったのか、ぼそりと呟く朋美。
「ですよね! 夕日、綺麗ですよね未来さん!」
先輩は何故か、というかいつの間にか、未来に敬語を使っている。
そんな中で、僕は沈黙を貫いていた。考え込んでいたのだ。ずばり、『未来は何者なのか』について。
「どうしたの、寛? 難しい顔しちゃって」
朋美が僕の頬を指でつついてくる。正直邪魔だったが、あまり気にならないので無視を決め込む。
「何よ、シカトなんて寛らしくない」
「……」
そんな沈黙を破ったのは、未来の珍発言だった。
「寛くん、私の抹茶アイス食べる?」
朋美と先輩が、勢いよく噴き出した。
「未来! あんた、なっ、ななな……」
真っ赤になっている朋美に対し、先輩は、最早蒼白な顔で気を失いかけている。
「うん。じゃあ一口もらおうかな」
何も考えていなかった僕は、流れに任せてそう言ってしまった。
「はい、寛くん」
差し出されたアイスを口に含み、ようやっとそれが烏龍茶味でないことに気づく。
「あれ?」
自分のアイスを見下ろそうとして、僕は鼻先から抹茶アイスに突っ込んだ。唐突に意識が現実に戻る。
「うわ! ど、どこのドッキリだ!?」
「あら、寛くんのほっぺたに抹茶クリームが」
そしてあろうことか、未来は僕の頬についたクリームを舐め取った。
流石にこれには、誰もが沈黙せざるを得なかった。未来を除く僕たち三人の手元から、ぽとり、とアイスクリームが落ちる。
「あら? どうしたの、皆?」
熱を帯びる頬の扱いに困る僕。顎が外れた状態の朋美。先輩に至っては、白目を剥いてぐらん、ぐらんと上半身を揺らしている。
「なあああああああ!!」
叫んだのは、朋美だった。そのまま立ち上がる。
「なんじゃこりゃあああああああ!!」
これには流石の未来も、何らかの脅威を覚えたらしい。さっと立ち上がって臨戦態勢、否、耐ショック姿勢を取る。だが、相手をきちんと定めて攻撃をするほどの理性は、今の朋美には残っていないらしい。
どすんどすんと足を踏み鳴らし、ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしり、挙句、仰向けに倒れて滅茶苦茶に手足を振り回し始めた。
「何だ!? 何が起こっているんだ!?」
先輩はそう呟きながら劇的に立ち上がり、後ずさった。上半身は相変わらず安定しない。
「ちょ、皆、一体どうしたの……?」
僕は自身の羞恥心を感じる間もなく、『二人を正気に戻さねば』という使命感の基、行動を開始した。
「朋美、落ち着いてくれ! 今のはただのスキンシップ――」
「じゃないでしょうが! ほっぺた舐めるなんて! うぎゃあああああああ!」
僕は反対側を見遣る。
「せ、先輩、鬼山先輩は大丈夫ですよ、ね?」
「……」
「先輩? ってうわあ!」
こちらに倒れ込んできた先輩を、僕はなんとか受け止めた。重い。けれど、先ほど未来を救出した時に比べれば、まだ楽な気がした。まあ、しんどいことに変わりはないのだけれど。
結局のところ、僕など焼け石に水だった。未来とボディガードたちの力を借りて、僕たちはなんとかその場から解散した。
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