第29話
「先輩! 鬼山先輩!」
呼びかけながら、僕は自分の足から力が抜けていくのを感じた。先輩はあのひっくり返った装甲車の中で潰され、炎に巻かれている……。
「いやよ鬼山くん! あなたがこんなことで……ッ!」
朋美も息を詰まらせる。
その時、炎と煙の手前に、人影があるのを見つけた。よろよろとこちらへ向かってくる。片腕をもたげる人影。ゆっくりと、片足を引きずりながら距離を詰めてくる。僕は、肩がびくり、と跳ね上がるのを感じた。
逃げたい。隠れたい。でも、朋美にはもう戦う余力はない。僕が立ち向かわなければ――。
しかし、それは杞憂だった。
「俺だ! 鬼山だ!」
「せ、先輩!」
僕は思わず駆け出した。朋美もゆっくりとついてくる。先輩は肩の高さに上げた片腕を眼前に突き出し、『俺に触るな!』と一喝。
「身体中いてぇんだ。たぶん、あちこち擦りむいてる。頭は大丈夫だが、右足の具合が妙だ。早く救急車を呼んでくれ」
聞けば、装甲車の前輪を緊急停止させてから、脇のハッチを開け飛び降りたらしい。
「朋美は? 無事か?」
「ああ、鬼山くん! 生きてたのね!」
朋美が僕を追い抜き、先輩に抱き着いた。
「お、おい! 朋美!」
妬けるシチュエーションである。が、先輩はきちんとそれを察し、『いてぇ! いてぇんだよアホ!』と言って朋美から離脱した。
「ったく、ヘッドフォンが壊れたくらいで人を死んだもんだと思いやがって……」
その時、僕は一つの可能性に至った。
「先輩、あの、未来はどうなったんですか?」
「多分、装甲車でペシャンコだろう。まあ気の毒だが、俺はロボット少女には萌えないんでな」
口内を切っていたのか、先輩はプッと血を吐き捨てた。
その時、思いがけないことが起こった。
《……くん、ゆた……》
沈黙する僕。
「どうしたの、寛?」
「静かに!」
《ゆた……か、くん……》
僕は自分のヘッドフォンを指で突いた。この声は、まさか。
ゆっくりと、装甲車とコンテナ、それに明々と燃える炎に近づく。
「お、おい、寛?」
「どうしたのよ?」
罠かもしれない。標的である僕を引きつけるために、声を上げているのかもしれない。だけど――未来、なのか? でも、どうやって声を届けているんだ? とにかく、僕には義務があると思った。未来の最期を見届ける義務が。
「危険だ、戻れ!」
先輩が声をかけてきたが、僕は無視。このまま僕が殺されてしまったら、朋美や先輩の努力は水の泡だ。しかし、未来に対する何か、恋愛感情とは異なる強い感情が、僕を突き動かしていた。
未来の姿を発見するのは、思いの外容易だった。仰向けに倒れている。なんとか装甲車を回避しようとしたのか、上半身は無事だった。しかし、腰から下は金属の塊でぐしゃり、と潰されている。
右腕のキャノン砲は装甲車のタイヤに踏みにじられ、口元からは内蔵器官の損傷したスパークが見える。
「未来……」
よく見れば、先輩が装着していたヘッドフォンが、未来のそばに落ちていた。だから未来の声が聞こえたのか。
いずれにせよ、今の未来に殺傷行為は行えまい。僕は未来の顔のそばにひざまずき、そっと頬に手を当ててみた。
「未来、今も僕の命令、覚えてる?」
微かに頷く未来。
「今もできれば僕を殺そうと思ってる?」
これには、未来は首を左右に振る代わりに顔を逸らした。
「寛くんのご両親の厳命に反することになるわ。あなたを守らなきゃ」
今更ながら気づいた。『命令』の上に『厳命』という指令があるのか。
「元に戻ったんだね? 猫アレルギーは――」
「修復率は76パーセント……今はこれが精一杯」
「そうか」
未来は静かに目をつむってみせた。
「あのね、寛くん」
「何?」
「私、嬉しかった。プールで水泳競争をした時のこと、覚えてる?」
「もちろん」
「私が溺れた時、真っ先に飛び込んでくれたよね、寛くん」
「え、あ、まあ……」
僕は頬を掻いた。まったくこの場に不似合いな所作だけれど。
「あなたを助けることは厳命されていたけれど、逆に助けられるとは思わなかったかな」
「そ、そう、なんだ……」
「私、あなたに恋してる」
「へっ!?」
あまりにも唐突な告白に、僕はひどく狼狽した。落ち着いていたはずの心臓が、爆発してしまったかのような衝撃。
「私の機能はもうすぐ停止する。永久に修正は不可能だと思う。でも――」
「で、でも?」
「朋美さんを、幸せに、してあげ、て」
「な、何……?」
『約束だよ』と未来は唇の動きだけで言った。
「あなた、に、会え……て、ほんと、に、よか……」
そして未来は、ゆっくりと目を閉じた。それは本当に、生身の人間が息を引き取るかのようで、つまり一つの命が消えゆくようで、だからとても悲しいことで。
僕は頭の中で言葉を弄んでみたけれど、こればかりはどうしてもまとまらなかった。
ただ一つ、僕の状態を客観的に示唆することがあった。
雨粒に混じって、温かい水滴が頬を伝い、未来の瞼に落ちたのだ。
「寛」
朋美が僕を呼ぶ。けれど、今は振り返ることができない。未来との約束を破ることになる。朋美は僕を、好きだと言ってくれた。それなのに、今の僕は未来のために涙を流している。これは朋美に対する、裏切り行為だ。
「寛、大丈夫?」
僕の肩に、そっと朋美が手を載せる。僕は反対側の手で、朋美の手の甲を握った。
『ああ、大丈夫だよ』――そう言おうとした、まさにその瞬間だった。
朋美が、ゆっくりと膝をついた。
パン、と軽い音が響く。
振り返ると、朋美は目を見開き、そのままバッタリと前傾姿勢になるところだった。
「おっと!」
僕は慌てて朋美の肩を支え、辛うじて転倒を防いだ。
「ど、どうしたんだ、朋美?」
「ひっ!」
短い悲鳴を上げたのは先輩だ。先輩の見ている方に視線を飛ばす。そこにいたのは――。
「随分と騒がせてくれたな、寛」
「父さん……」
父が立っていた。右手に拳銃を握りしめて。雨でよく見えなかったが、銃口からは煙が立ち上っているようにも見える。
ボディガードたちも、父が自分で発砲したことに驚きを隠せないでいるようだった。しかし、止める術はないようだ。彼らもなんらかの『厳命』を受けているのだろう。
その時になって、ようやく僕は気づいた。掌が生温かい液体で濡れていることに。
血だ。朋美の血だ。朋美は撃たれたのだ。
「と、朋美……?」
そう声をかけると、朋美の手がだらん、とぶら下がり、そのまま地面に下ろされた。
「これで余計な虫はつかなくなったな、寛。こっちへ来い。鬼山くん、君は下がっていたまえ。君を負傷させたとあっては、君の父上に申し訳が立たん」
父はさも平然と、使い慣れた様子で銃口を上に向けた。
「こっちへ来い、寛。今から華藤家に出向く。事の顛末を説明せねばならん。お前も同行しろ」
言葉が、雨音に混じって耳から入り、脳内を流れていく。僕は意外なほど、自分が冷静であることに驚いた。恋人が、しかも自分の父親に撃たれたというのに。
その時初めて、僕は察した。これは『自信』だ。今まで周囲に流されるばかりだった僕。そんな優柔不断で気弱だった僕が、何と言うか、自分の殻を破ろうとしている。それが、冷静な胸中で燃え盛る炎となって、僕の身体に満ち満ちていた。
そして、その『自信』を与えてくれたのは、紛れもなく未来だ。名前の通り、僕の行く末に一筋の光を灯してくれた。
ありがとう、未来。先輩は余計な手出しはしないで。朋美、今、君の無念を晴らしてやる。
僕は自分でも分かるくらい、ゆっくりと振り返った。父の方へと。
「そのまま歩いて来い、寛。これ以上の荒事は、私も望んでいない」
へえ、そうかい。だが、一発は一発だ。僕には父に、一発見舞う権利がある。
ふうーーーっ……と息をついた僕は、父と目を合わせた。父がぎょっとして上半身を引くのが分かる。これが、『自信』を手にし、『怒り』に燃え、自分の『未来』を思い描いた僕の本当の姿だ。
僕はゆっくりと、父に向かって歩き始めた。逆に父は、自分で僕を呼びつけておきながら後ずさりしている。そして距離が十メートルほどになったのを境に、僕は思いっきりアスファルトを蹴って駆け出した。
「うっ!」
父は慌てて拳銃をこちらに向けるが、知ったこっちゃない。撃ちたければ撃つがいい。それで本当に僕を止められると思うなら。
あと七メートル、六メートル、五メートル――と迫ったところで、僕は一旦減速した。腹部に衝撃と灼熱感を覚えたのだ。しかし、『冷静な興奮状態』にある僕を止めるには、全く以て威力が足りなかった。僕は再び、駆け出した。
あと三メートル、二メートル、一メートル、今だ!
「うおあああああああ!!」
僕に足技はできない。それに、長身の父にはまともに突っ込んだところで満足のいく打撃は与えられない。
だから、跳んだ。上半身を捻り、右腕を思いっきり振りかぶる。そして、父の鼻先に、渾身の拳を叩き込んだ。
ミシリ、と嫌な音がする。父の鼻の骨が折れたのか。僕の右の拳も無事ではあるまい。だが、構いやしない。そんな些細なことは。
父は思いっきり、ボロ人形のように吹っ飛んだ。後頭部から地面に叩きつけられ、動かなくなる。強めの脳震盪でも起こしたのだろう。
そこでようやく、僕は自分が撃たれたのだと気づいた。無意識に脇腹に当てた掌が、ぬるりと嫌な滑り方をしたから。朋美の時と一緒だ。
今ここで事態を見守っているのは、鬼山先輩とボディガード数名。僕はボディガードの一人を睨みつけ、生まれて初めて、自分の意志で『命令』を下した。
「救急車を呼べ。怪我人がでている」
何も言えなくなったボディガードたち。急に怒りの沸点に達した僕は、これまた生まれて初めて怒号を飛ばした。
「救急車を呼べ!! 今すぐに!!」
僕の勢いに気圧される形で、ボディガードが通信端末を取り出し、緊急連絡を始めた。
それを見届けたが最後、僕はくらり、と目眩を覚え、そのまま仰向けにばったりと倒れ込んだ。
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