隣の彼女のバトルスペックが半端ない件

岩井喬

第1話【プロローグ】

「はあ、はあ、はあ、はあ……どわっ!?」


 僕は思いっきりずっこけた。足元には空き缶が転がっている。いや、運動神経が絶望的な僕だったら、何もなくても転んでいたかもしれない。

 

 雨の中、必死に逃げていた。夜の繁華街から少し離れた、新興住宅地の一角。住宅地と言っても、ほとんどが建築中の建物だ。繁華街の灯りが、追っ手のシルエットを浮かび上がらせる。


 女性だ。まだ若い。ここ二、三週間前に出会い、見慣れた人物。しかし、その妖しく、どこか色っぽさすら感じさせながら歩む姿は、今までにない不気味さを引き立てていた。

 僕ののろのろした駆け足は、足の長い彼女からすれば速足で追いつくに十分だ。

 カツ、カツ、カツ、カツ……。

 ヒールを履いているわけでもないのに、硬い足音が響いてくる。


 僕は、再び立ち上がって駆け出した。


「逃げない方がいいわ、寛くん」


 大人びた、穏やかなアルトの声音が僕の鼓膜を震わせる。


「どうして逃げるの? 私ならあなたの願いを叶えてあげられるのに」


 馬鹿な。確かに僕、桐山寛は人生に絶望し、諦めながら生きてきた。けれど、殺してくれと誰かに頼んだわけではない。いや、それには語弊があるけれど、殺してやるぞ、と追われるはずではなかった。

 死にたいのか否か分からない。が、少なくとも心の準備はできていない。


 このまま逃げても駄目だ。僕は走りながら右に折れ、建設中のビルに背を当てて呼吸を整えた。胸に手を当て、ぎゅっと目を閉じる。

 しかし、聞こえてしまった。不気味な機械の起動音が。まさか!


 僕は前方にダイブするように、思いっきり身体を跳躍させた。空中を踊る僕の四肢。そのまま転がるように着地するつもりだったが、より長く、遠くにふっ飛ばされることになった。コンマ数秒前に僕がいたところから、凄まじい爆風が巻き起こったのだ。

 同時に発生した爆光に目が眩む。すると、僕が頭に着けたヘッドセットから声が聞こえてきた。


《寛! 大丈夫なの、寛!》

「朋美……」

《こっちは準備万端。元の道に戻れる?》

「な、なんとか……」


 僕はやっとのことで応答した。『彼女』から逃れるには、決めておいた道筋に沿って逃げなければならない。


「寛くん、まだ願いは叶ってないわよね?」


 こんなことは願っていない。しかし、彼女はそれを理解してはくれない。鬼山先輩の調べてもらうまでもなく、やはり彼女は兵器を内蔵していた。

 僕は雨に濡れた顔をぐいっと拭ってから、元の道筋に戻ろうと、決死の思いで飛び出した。焦げ臭さと鉄骨の溶ける独特な臭い、それにイオンの生臭さが混じっている。


「今度はちゃんと仕留めてあげるわよ、寛くん」


 カシャカシャと腕が展開する音に続き、キュイイイン、とキャノン砲がチャージされる音が響き渡る。発射まで五秒弱だ。身を屈めながら、次の建築物の陰に跳び込む。

 バシッ、という空気の振動が耳朶を打つと同時、僕は再び宙を舞った。


 彼女を罠にかけるまで、その距離、あと十メートル――。

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