第14話

「おおっ! これは豪勢ですな、未来さん! では早速」


 割り箸を手にした先輩が、『ごっつぁんです!』と言いながらウニとイクラのちらし寿司に手を伸ばす。それを朋美が見咎める。


「ちょっと! ちゃんと『いただきます』でしょうが!」

「ほえ?」


 しばし咀嚼した後、先輩は言った。


「いや、最近の俺、自分のキャラが定まらなくてさあ」


 何じゃそりゃ。これが恋の病というものか? 


「じゃあ、僕もいただこうかな」


『いただきます』と言ってしっかり頭を下げてから、手先から割り箸を伸ばす。どちらにしようかな、などと迷っていると、妙な音がした。


 バチバチ。


「ん?」


 バチバチバチバチ。


 何の音だ? 音源を探して僕は目を上げる。そして、身を引いた。

 朋美と未来が、僕を睨みつけている。それも並大抵の睨み方ではない。こちらが怯んで、動けなくなってしまうような気迫がある。それが空気を震わせて、電磁波のような音を立てていたのだ。

 このままでは僕は石になってしまうのではないか。メデューサかよ、お前らは。


 しかし、一体どうして僕が睨まれなければいけないんだ? 原因を探して、彼女たちから目線を逸らす。当然、目に入るのは、シートに広げられた弁当だ。

 ステーキに、肉団子。ステーキ、肉団子、ステーキ、肉団子、ステーキ、肉団子。

 僕の視線の動きに沿って、電磁音が高くなったり低くなったりする。

 この居づらさ、誰か代わってくれないだろうか。

 

「よし! 次はトリュフ! いっただっきま~す!」

「うわ!」


 身を乗り出した先輩にぶつかり、僕の箸が意図せぬ方向に向かう。そして、牛ステーキにぐさり、と突き刺さった。

 唐突に、電磁音が止んだ。ふと見上げると、未来の顔がぱあっ、と花のように咲き誇っていた。対照的に、朋美はどこか寂し気に見える。


 箸をつけてしまった以上、食べないわけにはいかない。僕は改めて『いただきます』と言って、ステーキを口に運んだ。

 美味い。赤身と脂身のバランス、味付けのシンプルさが絶妙だ。


「美味しいよ、未来」


 僕がそう告げると、未来はますます笑みを深くし、『ありがとう』と呟いてぽっ、と頬を染めた。こんな状況でドキドキしない方がおかしい。僕はそっと、自分の左胸に手を遣った。

 ああ、やっぱり鼓動が大きい。一拍一拍が跳ね上がるようだ。


 だが、これでようやく朋美の弁当にも手をつけられる。しゅんとしてしまった朋美に対し、せめて褒め言葉の一つでもかけてあげたい。


「じゃ、じゃあ次は、朋美の厚焼き玉子を貰おうかな!」


 先輩を押し退けるようにして、僕は丁寧に厚焼き玉子を一つ、掴み取った。型崩れしない、しかし焦げて固くなっているわけではない。僕はじっくり眺めてから、丸ごと一つ口に含んだ。そして、驚いた。


「お、おお、美味しい……」


 先ほども未来のステーキを『美味しい』と評したが、今度は評価したわけではない。朋美の厚焼き玉子は、素直に、心の底から『美味しい』と思えたのだ。

 朋美がポカンとしている。まるで、僕のリアクションが意外だったかのように。しかし、朋美はぶんぶんとかぶりを振って、


「で、でもステーキには敵わないでしょう?」


 と、問うてきた。それに対して僕は、


「いや、同じくらい美味しいよ。きっと、朋美の気持ちがこもってるんだ」

「な、え……あ、ありがと」


 再び朋美はしゅんとしたが、それは落ち込んだからではなく、照れくさくて目線を下げたから。そのように僕には見えた。

 そして、はっとした。


 今朝の僕の朝食は目玉焼きだった。庶民的ではあるが、どこそこの有名なニワトリの玉子を使っていたらしく、随分洒落た作り方だった。

 だが、朋美の作った厚焼き玉子はどうだ。シンプル・イズ・ベストという言葉があるが、まさにその通りではないか。朋美の家は裕福ではないので、きっと朋美への仕送りも多くはないだろうし、特別高価な食材を使うこともできまい。

 それなのに、ステーキを上回るインパクト、否、優しさや温もりといったものが、この厚焼き玉子にはこもっている。仮に十秒後に自分が死んでしまうと宣告されたら、僕は間違いなく朋美の厚焼き玉子を食べ尽くすだろう。


 もしかしたら、僕が欲していたのは『こういうこと』なのかもしれない。

 値段や品質といった定規では測り切れない、心の琴線に触れる何か。

 未来にはなくて朋美にはある、尊い何か。

 両親や使用人、ボディガードたちにはない何か。


「ちょ、ちょっと寛! まだお弁当はあるんだから、さっさと食べてよね!」

「おう!」


 僕は喜び勇んで肉団子にも箸をつけた。続けて厚焼き玉子の二つ目も。

そうして僕が朋美の弁当に集中していたその時、『み、未来さん?』という、戸惑う先輩の声が耳に入った。


 ふとそちらに目を向けると、ちょうど未来が立ち上がるところだった。

 口を真一文字に結び、その目は自分の弁当を睨みつけ、しかし何も見つめていないように感じられる。

 無表情ではなく、無感動。心に大穴が空いてしまったかのような虚無感。そんな雰囲気を、未来の瞳は湛えていた。


「教室に戻ってる」


 それだけ告げると、未来はさっと踵を返し、弁当を置きっぱなしで屋内に引っ込んだ。


「あ、ちょっと! 未来さん?」


 さっきから慌てっぱなしだった先輩は、なんとも言えない表情でおろおろしている。未来を引き留めることはできないようだ。


「未来さん、一体どうしたんですぅ?」

「さ、さあ、僕に訊かれても……」


 先輩の問いかけに、僕は答えられなかった。すると今度は朋美までもが立ち上がり、大きく伸びをした。ふわぁ、とあくびをする。


「あんたたち男は本当に鈍感なのねえ……」

「なんだよ、偉そうに! 俺は未来さんがどうしたのかと心配で――」

「どうしたもこうしたも、悔しいんでしょ。弁当勝負であたしに負けたから」


 僕と先輩を見下すようにしながら、片眉を上げてみせる朋美。僕は先輩と顔を見合わせてから、尋ねた。


「勝負って? どういうことだ?」

「あ」


 朋美はぱっと目を見開き、自分の口元に手を当てた。


「あちゃあ、あたし言っちゃったよ……」

「どうしたんだ?」


 気まずそうに肩を落とし、再び正座する朋美。そして、ぽつりぽつりと語り始めた。


「その……。昨日皆に連絡する前に、あたしと未来とで話し合ったの。えっと……どちらがモテるか、って」

「そ、それは……」

 

 大変だな、うん。


「競泳はよく分からないことになっちゃったから、今回はちゃんと分かりやすく、料理勝負にしよう、っていうことになってね。これだったら、安全に実力勝負ができるでしょう?」

「ふむ、確かに」


 頷く先輩。でも、『ふむ』って……。納得できる話だろうか? 朋美はまだしも、未来は僕や先輩の食の好みを知らないのだ。不公平ではないのだろうか? ああ、だから未来の方が、一見豪華なメニューになったわけか。


 なるほど、二人の女子(チャレンジャー)に、二人の男子(ジャッジ)。頭数はちょうどよかったんだな。しかし、それだけでモテるかどうかなんて、測れるものだろうか? 判定役は二人しかいないのに?


 未来と朋美は、一体何がしたかったのだろうか?


 だが、それを尋ねる機会は訪れなかった。


「あたし、未来を探してくる。あの子、案外凹みやすい性質みたいだから。誰かが声かけてあげないとね」

「あ、弁当は?」

「二人で食べて!」


 そう言った時には、朋美もまた屋内へと駆け込むところだった。


「女心は分からんな、寛」

「そうですね、先輩」


 しばしの沈黙の後、


「食うか、寛」

「そうですね、先輩」


 と似たような遣り取りを繰り返し、僕は朋美の、先輩は未来の弁当をかっ込み始めた。やっぱり、美味い。身体の隅々までに、素材のおいしさと優しさが広がっていくようだ。

 先輩もまた、実に美味そうにちらし寿司と格闘している。考えてみれば、この二つの弁当は四人分の分量があるはずなのだ。


「そういえばよ、寛」

「なんです、先輩?」


 最後のステーキの一切れを口に放り込んでから、先輩は語り始めた。


「お前、とんでもない三角関係に巻き込まれたんじゃねえか?」

「は、はあ?」


 僕はそんなにモテる人間ではない。あるはずがない。それが、先輩を含めた四角関係ならまだしも、三角関係に巻き込まれている、だって? ジャッジは僕一人だったということか? わけが分からない。


 そんな僕の困惑を悟ったのか、先輩はいつになく冷静な口調でこう言った。


「未来さんは、朋美に負けたと思ったんだ。それで感情的になったんだろうが、彼女、時々とんでもない行動に出るだろう?」


 ああ、僕を通学路で抱き締めてきたみたいに。


「だからそんな自分を律するために、この場を去ったのさ。概ねこんなところだろう」


 先輩はペロリ、とステーキの最後の一切れを口にした。

 猪突猛進なイメージのあった鬼山先輩。だが、よくよく聞いてみれば、彼の話は筋が通っているように思われる。


 僕が黙って朋美の弁当を食べている間に、昼休み終了の予鈴が鳴った。


「食い終わったか? 寛」

「はい」

「じゃ、さっさと教室に戻ろうぜ」

「そうですね」


 僕は『ごちそう様でした』と手を合わせて頭を下げてから、空になった朋美の弁当箱を持って、足早に屋上を後にした。

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