第13話

 その日の夜。

 僕はベッドに大の字に横たわりながら、眠れない夜を過ごしていた。未来が希代の変人であることは、もはや自他共に認めるところだろう。僕と未来は恋人同士ではない。変人同士なのだ。漢字は似ているが、感じは違う。

 などとくだらない言葉遊びをしながら、僕は一人、呟いた。


「何も思いつかないや……」


 どうして未来が僕に執着するのか、さっぱり分からない。今日の一件で、朋美や鬼山先輩を敵視することは少なくなるかもしれないが、未来の言動の中心部には間違いなく僕がいる。

 出会って一週間も経たないのに、どうしてだろう。まさか、以前から僕のストーカーだった、とか? いや、それならボディガードたちにとっくに捕まっているはずだ。


 未来の言葉を、脳内で咀嚼する。『命令』『性能』。この二つのワードから連想されるもの。まさか未来はロボットか何かだ、とか? あり得ないだろう。僕は口元が勝手に緩んでしまうのを感じた。


「考えるの、やーめた!」


 大っぴらに宣言する。もっとも、今この部屋には僕しかいないのだけれど。

 今日の疲れもあり、僕はゆるゆると眠気に引き込まれていく感覚に身を委ねた。


         ※


 翌日。


「スカルプターとして、君を資料にしたい。どうかな? 此崎未来さん」

「お断りします。鬼山浩紀先輩」

「で、ですよねえ! いやあ、冗談のつもりだったんですが、あり得ないですよねえ!」

「先輩も未来も、通学路で何やってるんですか」


 僕に背を向けていた先輩が、さっと振り返った。


「やあやあ寛くん。俺……じゃなくてワタクシは一介の芸術家を志す者! 今日もまた、新たな対象物を探して登校中だったのだ! 君でもいいぞ、スカルプターとして君を――」

「冗談はその辺にしておいた方がいいですよ、先輩。皆、引きますから」


 すると先輩は、急に生気を失った目になって『あ、そう』と一言。しかしすぐに勢いを取り戻し、ぐいっと僕に迫ってきた。


「し、しかし! しかしだ! 見たまえ、未来さんのボディラインを! なんと美しいことか!」


 まるで自作の展示物を披露するような動きで、先輩が腕を広げてみせる。『何もそんなに……』と言いかける僕だったが、確かに未来が魅力的に見えなくもないな、と思っているもう一人の自分がいることに気づく。

 

「く、くだらないこと言ってないで、さっさと学校行きましょう! 未来も、ほら!」


 すると、未来は声のトーンを落としてこう言った。


「寛くん、私、美しくないのかな……」


 ビクリ、と僕の身体が固まった。

 何かを見て、それを美しいと感じるか否かは十人十色だろう。だが、未来は間違いなく美人の部類に入ると思うし、『お前は美しくない!』などという暴言を吐けるほど、僕はデリカシーのない人間じゃない。


「い、いや、未来、君が美しくないとかそんなわけじゃないよ! っていうか、そんなわけないじゃないか! 未来は美人だよ!」


 勢いでそう言ってしまい、僕は心底後悔した。何故なら、通学路のど真ん中で、未来に抱き着かれてしまったからだ。僕の肩辺りに、柔らかい膨らみが押し当てられる。息ができない理由は、ヘッドロックをかけられているから、というだけではないだろう。


「よかった……。私、寛くんが私のこと嫌いになっちゃったのかと思った」


 いや、まだ恋愛感情どころか友情が芽生えていたかどうかすら怪しいのだが。


「うおおおおおおお!!」


 唐突に響いた雄叫びに振り返ると、先輩が学校とは反対側に、猛烈な勢いで駆け出していくところだった。確かにショッキングな光景だったんだろうな。僕が未来に、それも未来の方から抱き締められるなんて。


 未来はしばし、小首を傾げていたが、


「じゃあ、私たちは学校へ行きましょうか。寛くん」


 と、何食わぬ顔でそう言った。頷きながらも、僕の鼓膜は先輩の絶叫で震えたままだった。


 その日、僕は学校でずーーーっと呆けていた。

 抱き着かれたという事実からして、僕と未来の距離は急速に縮まった。というより、未来が一方的に距離を縮めてきた。普通なら喜ぶべきなのだろうが、そして繰り返すようだが、未来は恋人である以前に変人なのだ。急接近には警戒が必要なのではないか。


「ふむ……」

「寛、寛! 寛ってば!」

「んあ? なんだ、朋美か」

「本人を前に『なんだ』とはご挨拶ね……」


 未来は両腕を腰に当てて、お怒りのポーズを取っていた。が、すぐに腕を解き、両手で一つの箱を取り出した。パステルブルーの布でくるまれている。


「それがどうかしたの?」

「どうかしてるのはあんたの方よ、寛! もう昼休みよ? 今日はあたしと未来がお弁当作って来るって、昨日LINEで伝えたじゃない!」


 ああ、そうか。スマホの存在を、僕はすっかり忘れていた。昨日帰ってきてから、ずっと鞄に入れっぱなしになっている。


「そ、そうだったの?」

「失礼しちゃうわね、まったく……」


 はあ、と露骨にため息をつく朋美。


「せっかくいい天気だし、屋上に行きましょ」

「他には誰が来るの?」

「一応、鬼山先輩も呼んどいた。まあ、あの人のことだから、連絡しなくても来るでしょうけど」


 うむ。確かに。


「さ、行くよ、寛!」

「あ、ちょっと待って!」


 僕は半ば引きずられるようにして、朋美に連れられて行った。


         ※


 屋上への鍵は、朋美が学年代表委員長権限とやらで入手していた。屋上へ出る扉の前には、僕、未来、そして鬼山先輩が待機している。

 鍵はすんなりと回り、ドアは滑らかに、向こう側へと開いた。

 外は快晴だった。春風が心地よく、僕らの頬を撫でていく。森林の緑色の香りが、優しく鼻腔を満たす。


 学校の屋上というと、雑草が生えていたり、タイルがひび割れたりしているイメージがあるが、そんな粗雑な感じは全くない。流石、梅坂黎明高校。どんなに需要のない場所でも、伊達な造りはしていないということか。


「お誘い頂いて光栄の至り! いやあ、恐縮ですなあ、未来さん!」

「情報を伝えたのはあたしだけどねー、鬼山くん」

「んぐ」


 息詰まる先輩。そういえば、僕は高校で再会してから鬼山先輩のことを『先輩』と見做していたが、朋美は先輩を『幼馴染の腐れ縁』としか思っていないらしい。まあ、そのドライな性格が、朋美のいいところだとも思うのだけれど。


「このへんでいいかしらね」


 屋上の中央あたりで立ち止まる朋美。


「じゃあ鬼山くん、よろしく」

「押忍!」


 今朝の悲劇っぷりはどこへやら、先輩はわきに抱えていたブルーシートを勢いよく展開した。少し手狭だが、大丈夫だろうか? このメンバーで行動するようになってから、いろいろと奇妙なことが起こっている。この期に及んで、ようやく僕の胸中に不安が這い上がってきたが、ここは各人の理性を信じるしかない。


「さて、と!」


 勢いよく、しかし正座で腰を下ろす朋美。持ってきた弁当箱をでん、と置く。すると未来も弁当箱(こちらはピンクと白の水玉模様の包みだ)を置いた。どちらも同じくらいの大きさで、二段重ねになっている。

 朋美と未来は、二人揃って包みを解いていく。露わになったのは、どちらも黒い、艶のある弁当箱だ。


「じゃああたしのお弁当からね! じゃん!」


 おお~、という声が誰からともなく起こる。

 一言で言うと、実に庶民的な弁当だった。卵焼きや肉団子、魚のフライなど、よくテレビで見かけるラインナップ。僕たちは毎日、もっといい素材のものを口にしている。けれど朋美の弁当は、どこか素朴で品の良さを感じさせた。


「あたしんちは貧乏だから、素材は安物だけど、そのぶん心がこもってるからね! ありがたく頂きなさい!」


 すると朋美は、さぁさぁと未来に向かって手招きした。


「あんたの腕前がどんなものか、見せてごらんなさい!」

「私の作るようなものですから、拙いと思いますけれど……」


 ややしょんぼりした様子で弁当を開く。

 まず目を引いたのは、大振りにカットされた牛ステーキだ。その隣にはトリュフがふんだんにあしらわれたおかずが並べられ、下段はウニやイクラが溢れんばかりに盛られた海鮮丼になっていた。


「うわ! すっごい! 何これ!? あんたたち、いっつもこんなもの食べてるの!?」

「あ、え、うん、まあ……」


 目を向けられた僕は、どこか申し訳ない気持ちになってしまった。それと同時に、『申し訳ない』などと上から目線で評している自分に、鋭い嫌悪感を覚えた。


 それを知ってか知らずか(おそらく知らないだろう)、朋美は歓声を上げている。そんな彼女が、僕には眩しく見えた。幼馴染なのに、一体どうしたことだろう。

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