第15話
先輩と別れ、教室に戻ると、未来が机に突っ伏していた。その二つ右隣、自分の席で腕組みをしているのは朋美だ。この二人を遠巻きにするのは、教室内では暗黙の了解となっている。
まあ、無理もない。入学したその日から、人間に非ざる喧嘩を展開したのだから。だが、ふと別件が僕の脳裏をよぎった。前にあの男子――名前は訊かなかったが、とにかく目つきの鋭い奴だ――に言われたことだ。朋美を友人として扱っても、なんのメリットもないと、奴は言った。
だが、それは金銭的な、もっと言えば下卑た次元での話だ。経済的に裕福な家で育ちながらも、幸福とは言えない人生を送ってきた僕には分かる。
朋美の家は裕福ではなかったが、それでも自力で彼女はここまで来た。それを応援し、共に合格を喜んでくれた両親がいたのだ。それを羨ましい、と思えるだけ、僕の方が人間らしいと思える。件の男子よりも。いや、他の大方のクラスメイトたちよりも。
では、未来はどうなのだろう? 彼女にもボディガードがついているところから察するに、彼女の家も裕福なはず。だが、時折見せるあの寂しげな表情はなんなのだろう。やはり僕のように、幼い頃から勉強ばかりを叩き込まれ、幸福というものに無感動になってしまったのかもしれない。
いや、でもさっき、僕が(偶然とはいえ)彼女の弁当のステーキに箸をつけたときのリアクションはどうだ。派手ではなかったが、確かに嬉しそうだった。そしてその時に行われていたのは、未来vs朋美の弁当合戦。それも、先輩の言葉を信じるならば、どうやら僕を巡って、のことらしい。
未来の言動の中心には僕がいる。その考えが正しければ、今回の弁当合戦での敗北は、彼女にとっては相当な痛手かもしれない。
朋美が僕をどう思っているかは分からない。しかし、未来は――俄かに信じ難いことではあるけれど――、僕のことを好いてくれているのかもしれない。でも、何故? どうして?
ああ、『人を好きになるのに理由は要らない』とも言うからなあ。誰に聞いたんだっけ?
そうか、鬼山先輩だ。しかも、高校で久々に再会する前に。つまり、僕らが幼稚園児だった時の話だ。まったく、変な子供だったんだなあ、先輩は。他人のことは言えないけれど。
そこまで黙考した後、僕はようやく現状の解析を始めた。未来と朋美の位置関係は変わっていない。しかし、それでも朋美がチラチラと未来の方へ視線を遣っているのは分かった。心配しているのだろう。
「あ、朋美――」
と言いかけて、僕は口を閉ざした。昼休み終了のチャイムが鳴ったのだ。
すぐさま着席するクラスメイトたち。入ってきたのは、担任の赤坂先生だ。そうか、生物の授業か。僕はのそのそと教科書を引っ張り出し、前回の復習に取りかかった。
ちょうど目的のページを開いた時のこと。
「あ、そうそう桐山くん。この授業が終わったら、一緒に職員室に来てもらえる? 次の授業の先生には、私から言っておくから」
「あ、はい」
僕はどこか嫌な予感を抱きつつ、答えた。
※
「ご両親からのお手紙。私にも読んでほしいと書いてあったから、もう封は開けてあるんだけど」
「はあ」
僕は間抜けな声を上げた。内容はただ一つ。
『将来有望そうなクラスメイトを見つけて、友人に加えてもらえ』。
前後に素っ気ない挨拶文があったが、要約すればこれだけだ。
「桐山くん、私も担任として、あなたのことは気にかかっていたのよ」
「そうなんですか?」
僕はやや驚いた。今日、この件で呼び出されるまで、赤坂先生にとって僕は『生徒のうちの一人』に過ぎないものと思っていた。それが『気にかかっていた』とは。自分が誰にどう思われているのかなど、分からないものだ。
「どうしたの? ため息なんかついて」
「え?」
「ああ、自覚がなかったのね」
穏やかに微笑む赤坂先生。『まあ、そういう気分にもなるわよね』と言葉をかけてくれる。
「あと、これは口頭であなたに伝えるようにと言われたのだけれど」
「はい」
何だ? 手紙では伝えづらいことなのか? 先生の口から何語が発せられるのか、僕は注視した。そして、聞いた。
『此崎未来の指示に従って動け』と。
「……は?」
先生は無言。僕がなんとか、リアクションを起こさねばならないらしい。
「そ、それはどういう……?」
「言ったままよ、桐山くん」
笑顔という仮面を貼りつけた先生は、淡々とそう言った。
「もちろん、すぐにとは言わない。明日からなら大丈夫そうね」
いや、『明日から』は『すぐに』と同義に思えるのだが。
「たぶん、今日中に彼女の調整はできるだろうし、心配いらないから」
「え?」
『調整』? どういう意味だ? すると、先生は何事もなかったかのように、
「話は以上! もし疲れたようだったら、今日はもう帰ってもいいわよ。プリントは誰かに届けさせるから」
といって足を組んだ。
するとちょうど電話が入ったらしく、先生はスマホを取り出した。こくり、と頷く先生に、僕も首肯し返した。
※
結局、僕はすぐに帰宅することにした。
黙々と、相変わらずボディガードに囲まれながら幹線道路沿いを歩いていく。
そんな僕の頭の中では、三つの言葉が躍っていた。『命令』『性能』『調整』。いずれも未来に関わる言葉だ。
此崎未来……本当に、一体何者なのだろう。真剣にこの疑問に取り組むべき時が、来ているように思われた。
僕はいつも通り、自室のベッドで大の字に横になる。視線の先にあるのは、染み一つない真っ白な天井。目線だけで落書きをして、しかしすぐに飽きてまたため息をついた。
こういう時、『普通の』高校生は何をしているのだろう。テレビゲームでもやるんだろうか。映画でも観るんだろうか。読書でもするんだろうか。分からない。
今度朋美に尋ねてみようかとも思ったが、きっと家事やらバイトやらで忙しいはずだ。あまり参考意見にはならないだろう。
噂をすれば、だった。
《お坊ちゃま、ご友人がいらっしゃいました。桑原朋美様です。お通ししてもよろしいですか?》
と、部屋の入口近くのパネルが声を上げた。インターフォンみたいなやつだ。
別に僕の部屋に招き入れるのに抵抗はなかったが、ここは自分から出向くべきだろう。
「いえ、僕が玄関まで行きます」
《かしこまりました》
無駄に長い廊下を歩き、玄関に向かう。春の夕日が、窓から穏やかに差し込んでくる。微かに目を細めながらそちらを見ていて、僕は一つの、軽い疑問を覚えた。
今の時間帯は放課後だが、部活動の勧誘期間でもある。うちの高校の特性上、運動系の部活はメンバーが少ないから、新入生の確保は熾烈を極めるだろう。もしこの予想が当たっていれば、朋美はその真っただ中に飛び込んでいるはずだ。
にも関わらず、こうして僕の家を訪れている。いいのだろうか?
玄関に到着すると、朋美はすでに屋内の、病院の待合室のようなところにいた。使用人が、背の低いテーブルに紅茶とクッキーを出している。やはりこういう場には慣れないのか、朋美はぺこぺことお辞儀を繰り返していた。
朋美のいる角度からは見えないだろうが、ボディガードが密かに待機している。ああ、そうか。入学式翌日に、僕が暴力事件に遭った件を受けて、守りを強化したんだな。
「やあ、朋美」
僕は先に声をかけてみた。すると、朋美はぱっと顔を上げ、安堵の表情を見せた。
「ああ、寛。遅いよ! あたし、こういう場所ってちょっと苦手だから、もう帰ろうと思ってたところ」
「え、そうなの? ごめん」
「なーんてね」
僕が目を合わせると、朋美は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「友達の家っていったら、きっとこういう待遇を受けることが多いだろうから、礼儀正しくしろってね。父さんも母さんもうるさくってさ」
ははは、と乾いた笑い声を響かせる朋美。つられて僕も、安堵感と共に口元を緩める。
「はい、これ学校のプリント。現代文と数学ね」
「そうか。プリントを渡しに来てくれたんだね。ありがとう」
「あっ、そうだ。もう一つ用事があるんだけど」
「ん?」
僕はプリントの束から顔を上げ、朋美と目を合わせようとした。が、朋美の目は泳いでいた。ちらちらと周囲を警戒しているようにも見える。
「どうしたの?」
「いや、えっとね? その……」
すると朋美は足元の鞄から紙とシャーペンを取り出して、さささっ、と何かを書き込んだ。
「こ、こういうことだから! よろしく! じゃあね!」
さっと僕に手渡された紙。そこには『明日の放課後、屋上で』とある。これって、まさか――。
僕はごくり、と音が出るほどの勢いで唾を飲んだ。
はっとして前方を見ると、使用人が朋美のために玄関扉を開けるところだった。声をかけたいけれど、そうしたらわざわざ朋美が残してくれたメモの意味がなくなってしまう。
振り返りもせず、朋美はこの家から出ていった。
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