ましろ、レスラーと友達になる

 船場せんばパークスで行われる、ヒーローショーの本番まで、あと三〇分。

 

『魔法天使 ホワイト・ティグリス』の衣装を着ながら、大河おおかわ ましろは、目の前の状況を解決できないでいた。

 

『ティグリス』とは、ギリシャ語で『虎』という意味だ。虎の力を持つ格闘天使という設定である。

 

 アニメに出てくる魔法少女のように、魔法で相手を浄化するのではなく、肉弾戦を得意としている特撮ものだ。

 

「女優さんは、大丈夫なんだな。うん。でも出られない、と。まいったな」

 現場監督が、スマホに語りかけている。

 

 なんでも、敵役を勤めるはずだった女優が、バイクの運転中に転倒してしまったらしい。目的地を直前にして、飛び出してきた子供を避けられなかったためである。

 

 大したケガはないが、精密検査を受けるために事故現場から運ばれていったそうだ。

 

 血の気が多い女性で、車内でも「やれるから降ろせ」と、さんざん暴れたらしい。

 病院では、おとなしくしていると言うが。

 

 他のスタッフは皆、代役探しに必死だ。

 方々へ電話をかけ、すぐにでも動ける役者はいないか連絡を続けている。

 ところが、一番近くにいる役者でさえ、到着に一時間は掛かるという。

 

 今回の演目には、社運が掛かっているのだ。失敗は許されない。

 それなのに、事態は好転どころか泥沼である。


――ああ、またか。 

 ましろはそう思った。


 小学生空手の大会で、対戦相手にすっぽかされたことを思い出す。

 その少女とは一度戦ってみたかっただけに、残念に思う。今でも、その気持ちは変わらない。

 

 不意にもさっとした感触に肩を叩かれた。

 振り返ると、そこにいたのは、一体の着ぐるみだ。

 自分より頭一個低いクマの着ぐるみが、自分を指差している。

 手に乗っているのは、何かの興業を宣伝するチラシのようだ。

 

 クマが頭を取った。中に入っていたのは銀髪にショートカットの少女である。

 こちらに笑顔を見せて、少女は「ふう」と息をつく。汗すら美しかった。

 

 中性的なルックスで、モデルでもいけそうだ。こんな奇麗なら、着ぐるみより素顔で宣伝に挑むべきだろう。


 ましろも、監督も、同じように困惑した顔になった。

 

「その怪人っての、あたしがしてやんよ」

 汗を拭いながら、少女は言う。出す声も低く、少年かと思った。が、どうやら女性のようだ。


蒼月そうげつ 龍子りんこ、一六歳だ。学生だけど、プロレスラーだよ」


 龍子の持つ紙には、龍子の写真が載っている。彼女が配っていたのは、自身の興行を宣伝するチラシだった。

 

「大河ましろです。あなた、運動神経は?」

 今回の興業は、派手なヒーローアクションである。生半可な相手では務まらない。

 

 龍子と名乗った少女が、着ぐるみのままその場でバク転を行う。

 着ぐるみがしぼんだ。龍子が脱出したのである。

 龍子は、ましろを飛び越えるほど高い宙返りを披露した。

 ましろに勝るとも劣らない立派なボリュームが、着地の瞬間ブルンと揺れる。

 

「これで、信じてもらえたかな?」

 アスファルトに着地した龍子が、ドヤ顔を見せる。

 

「うん、イケるかも知れないな」と、現場監督も太鼓判を押した。

「あんた、際どい衣装で激しく動くアクションなんだけど、露出とか大丈夫かい?」

「バッチリ」


 龍子の格好は、プロレスで着られるようなレオタードだ。

 彼女はプロレスラーと言うほどの逞しさはないが、身体は見事に引き締まっており、女性らしい締まりや膨らみも兼ね備えている。


「ただし」と、龍子はましろを指差す。

「ましろとか言ったね。あんたには、こっちの興業に協力してもらう」


 遊園地にある柱時計を確認すると、本番まであと十分を切っていた。


「わかったよ。なんでもいいから助けて!」

 強引に手を引っ張って、楽屋として使っているテントへ向かう。


 ヒーローショーが始まり、ましろの出番がないシーンが続く。

 悪の組織にさらわれるていで、数人の子供をさらう。子供たちもわかっているので、舞台に上げられてはしゃいでいる。

 

 

「一六歳って、わたしと同い年だね」

 ましろは軽く、龍子に事情の説明を行う。衣装は、白で統一された、天使風の魔法少女だ。

「これでも、女子校に通っててさ。おかしいだろ?」

「全然おかしくないよ。わたしも女子校なんだ。りんこって、かわいい名前だね」

「かわいくないよ。龍の子って書いて『りんこ』って読むんだ」

 

 龍子は怪人の衣装を着て、台本をチェックする。龍子の着ている衣装は、主人公のライバルキャラだ。

 

 紫がかった黒のボンテージ風に身を包んでいる。腕のプロテクターには、作り物の蛇が絡みつく。

 

 子供向けアニメの着ぐるみショーなので、さして色っぽくはない。が、フェチ心をくすぐる衣装だ。身体のラインが出るので、結構きわどい。


「ちょっと、きついな」

 龍子が、しきりに胸の辺りを気にしている。

 

 それにしても大きい。ましろもCくらいはあるが、龍子はどう見てもEはあるだろう。

 低い身長により胸がより強調されている。更に、腰の細いラインも龍子の胸の主張を手伝う。

 いわゆるトランジスタグラマーというヤツだ。

 

「ん、なんだ?」

 ましろの視線に気付いたのか、龍子が胸をポヨンと揉みしだく。

「こんなデカブツ、ルチャでは邪魔なだけさ」


 ルチャということは、軽量級プロレスか。

 

「空中殺法系だよね? ルチャって」

「詳しいね。うれしいよ。それなら興業もやりやすい」

 何を言っているのか、ましろにはよくわからない。

 

「ブックは、とりあえず跳び蹴りでフィニッシュだったっけ?」

「……ブック?」


 聞き慣れない単語が飛んできた。

 確かに台本はブツクだが。


「ああ、プロレス用語で、台本のこと」

「そうなんだ」と、台本を確認する。


「わたしがポーズを取ったら硬直してね。跳び蹴りを食らわせるから。それ以外はアドリブで演技して、だって。やり方は任せるよ」

 相手は格闘家だ。どうにかなるだろう。


 自己紹介を終えると、スタッフの名札を首に吊した年配の女性がテントに入ってきた。ケガをしたという女優の情報が届く。

 

「手をケガしただけだって。頭は打ってないそうだ」

「骨折ですか?」

 年配のスタッフは首を振り、「打撲だって」と続けた。

 

「誰がケガしたんだ?」

長谷川はせがわ) あかねよ。グラビアアイドルの」

 女性スタッフが、女優の名を告げる。


「あいつか……」

 龍子の目の色が変わった。


「どうしたの? 龍子ちゃん」

「なんでもないよ。それと、ちゃん付けはこそばゆい。呼び捨てで頼むよ」

 

 ハッとなった表情で、龍子は返答する。

 が、明らかに生返事で、顔からは動揺の色が見えた。長谷川茜の関係者だろうか。

 

 だが、確認している暇はもうない。とにかく、今は芝居を成功させないと。


「ところで、龍子ちゃ――龍子の方も頼み事あるんだったよね?」

「そうなんだよ。実は近くの公民館で興業を――」

 

 龍子が何かを言いかけた。

 その声は、スタッフの本番を告げる声にかき消されてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る