ましろ、レスラーと友達になる
『魔法天使 ホワイト・ティグリス』の衣装を着ながら、
『ティグリス』とは、ギリシャ語で『虎』という意味だ。虎の力を持つ格闘天使という設定である。
アニメに出てくる魔法少女のように、魔法で相手を浄化するのではなく、肉弾戦を得意としている特撮ものだ。
「女優さんは、大丈夫なんだな。うん。でも出られない、と。まいったな」
現場監督が、スマホに語りかけている。
なんでも、敵役を勤めるはずだった女優が、バイクの運転中に転倒してしまったらしい。目的地を直前にして、飛び出してきた子供を避けられなかったためである。
大したケガはないが、精密検査を受けるために事故現場から運ばれていったそうだ。
血の気が多い女性で、車内でも「やれるから降ろせ」と、さんざん暴れたらしい。
病院では、おとなしくしていると言うが。
他のスタッフは皆、代役探しに必死だ。
方々へ電話をかけ、すぐにでも動ける役者はいないか連絡を続けている。
ところが、一番近くにいる役者でさえ、到着に一時間は掛かるという。
今回の演目には、社運が掛かっているのだ。失敗は許されない。
それなのに、事態は好転どころか泥沼である。
――ああ、またか。
ましろはそう思った。
小学生空手の大会で、対戦相手にすっぽかされたことを思い出す。
その少女とは一度戦ってみたかっただけに、残念に思う。今でも、その気持ちは変わらない。
不意にもさっとした感触に肩を叩かれた。
振り返ると、そこにいたのは、一体の着ぐるみだ。
自分より頭一個低いクマの着ぐるみが、自分を指差している。
手に乗っているのは、何かの興業を宣伝するチラシのようだ。
クマが頭を取った。中に入っていたのは銀髪にショートカットの少女である。
こちらに笑顔を見せて、少女は「ふう」と息をつく。汗すら美しかった。
中性的なルックスで、モデルでもいけそうだ。こんな奇麗なら、着ぐるみより素顔で宣伝に挑むべきだろう。
ましろも、監督も、同じように困惑した顔になった。
「その怪人っての、あたしがしてやんよ」
汗を拭いながら、少女は言う。出す声も低く、少年かと思った。が、どうやら女性のようだ。
「
龍子の持つ紙には、龍子の写真が載っている。彼女が配っていたのは、自身の興行を宣伝するチラシだった。
「大河ましろです。あなた、運動神経は?」
今回の興業は、派手なヒーローアクションである。生半可な相手では務まらない。
龍子と名乗った少女が、着ぐるみのままその場でバク転を行う。
着ぐるみがしぼんだ。龍子が脱出したのである。
龍子は、ましろを飛び越えるほど高い宙返りを披露した。
ましろに勝るとも劣らない立派なボリュームが、着地の瞬間ブルンと揺れる。
「これで、信じてもらえたかな?」
アスファルトに着地した龍子が、ドヤ顔を見せる。
「うん、イケるかも知れないな」と、現場監督も太鼓判を押した。
「あんた、際どい衣装で激しく動くアクションなんだけど、露出とか大丈夫かい?」
「バッチリ」
龍子の格好は、プロレスで着られるようなレオタードだ。
彼女はプロレスラーと言うほどの逞しさはないが、身体は見事に引き締まっており、女性らしい締まりや膨らみも兼ね備えている。
「ただし」と、龍子はましろを指差す。
「ましろとか言ったね。あんたには、こっちの興業に協力してもらう」
遊園地にある柱時計を確認すると、本番まであと十分を切っていた。
「わかったよ。なんでもいいから助けて!」
強引に手を引っ張って、楽屋として使っているテントへ向かう。
ヒーローショーが始まり、ましろの出番がないシーンが続く。
悪の組織にさらわれる
「一六歳って、わたしと同い年だね」
ましろは軽く、龍子に事情の説明を行う。衣装は、白で統一された、天使風の魔法少女だ。
「これでも、女子校に通っててさ。おかしいだろ?」
「全然おかしくないよ。わたしも女子校なんだ。りんこって、かわいい名前だね」
「かわいくないよ。龍の子って書いて『りんこ』って読むんだ」
龍子は怪人の衣装を着て、台本をチェックする。龍子の着ている衣装は、主人公のライバルキャラだ。
紫がかった黒のボンテージ風に身を包んでいる。腕のプロテクターには、作り物の蛇が絡みつく。
子供向けアニメの着ぐるみショーなので、さして色っぽくはない。が、フェチ心をくすぐる衣装だ。身体のラインが出るので、結構きわどい。
「ちょっと、きついな」
龍子が、しきりに胸の辺りを気にしている。
それにしても大きい。ましろもCくらいはあるが、龍子はどう見てもEはあるだろう。
低い身長により胸がより強調されている。更に、腰の細いラインも龍子の胸の主張を手伝う。
いわゆるトランジスタグラマーというヤツだ。
「ん、なんだ?」
ましろの視線に気付いたのか、龍子が胸をポヨンと揉みしだく。
「こんなデカブツ、ルチャでは邪魔なだけさ」
ルチャということは、軽量級プロレスか。
「空中殺法系だよね? ルチャって」
「詳しいね。うれしいよ。それなら興業もやりやすい」
何を言っているのか、ましろにはよくわからない。
「ブックは、とりあえず跳び蹴りでフィニッシュだったっけ?」
「……ブック?」
聞き慣れない単語が飛んできた。
確かに台本は
「ああ、プロレス用語で、台本のこと」
「そうなんだ」と、台本を確認する。
「わたしがポーズを取ったら硬直してね。跳び蹴りを食らわせるから。それ以外はアドリブで演技して、だって。やり方は任せるよ」
相手は格闘家だ。どうにかなるだろう。
自己紹介を終えると、スタッフの名札を首に吊した年配の女性がテントに入ってきた。ケガをしたという女優の情報が届く。
「手をケガしただけだって。頭は打ってないそうだ」
「骨折ですか?」
年配のスタッフは首を振り、「打撲だって」と続けた。
「誰がケガしたんだ?」
「
女性スタッフが、女優の名を告げる。
「あいつか……」
龍子の目の色が変わった。
「どうしたの? 龍子ちゃん」
「なんでもないよ。それと、ちゃん付けはこそばゆい。呼び捨てで頼むよ」
ハッとなった表情で、龍子は返答する。
が、明らかに生返事で、顔からは動揺の色が見えた。長谷川茜の関係者だろうか。
だが、確認している暇はもうない。とにかく、今は芝居を成功させないと。
「ところで、龍子ちゃ――龍子の方も頼み事あるんだったよね?」
「そうなんだよ。実は近くの公民館で興業を――」
龍子が何かを言いかけた。
その声は、スタッフの本番を告げる声にかき消されてしまう。
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