ましろ、プロレス団体と契約する

 ドーム球場前に着いた。

 ここでは、格闘技大会が行われているという。

 入り口には、大会のポスターが貼られていた。

 客層も、血の気が多そうな人ばかりだ。


 ドームに入ってすぐの所で、ましろは龍子に連れられ、廊下を突っ切った。

「関係者以外立入禁止」と書かれたエリアを抜ける。

 

 ましろはオドオドしっぱなしだった。

 龍子は慣れたものだ。「事務室」と書かれたドアをノックする。

 

 部屋に入ると、カレイドスコープ責任者のデスクに通された。

 一際大きな机に、大柄の女性が座っている。女性は立ち上がり、手を差し出してきた。


「よく来てくれました。カレイドスコープ代表、大永マキよ」


 手を伸ばし、ましろも握手に応じる。

 大永マキの手は、石のように固く、それでいて母親のように温かい。

 ましろもマキの名前だけは知っていたが、生では初めて見た。

 

「は、初めまして、私」

「知っています。大河ましろさんよね?」


「随分小さいのね。龍子より頭一個高いくらいかしら?」

 

「一体どういうこと? わたしにプロレスのトーナメントに出てくれなんて」

 小声で、龍子を問い詰める。

 とにかく、事情を聞かないと、話すことさえできない。


「あなたに挑んでもらうのは、プロレスじゃないわ」

 龍子に代わって、大永マキが代弁する。

 どうやら、マキには話が聞こえていたらしい。  

「実は今日から、プロレス団体全体を巻き込んで、高校生格闘王決定戦が行われるの」


「でも、わたし、そんなに強いわけじゃありません。空手の大会なら、出たことがありますが」

 

「いいや、あたしはあんたが十分強いって分かってる」

 龍子が断言した。

「聞いてくれよ社長。ましろったら、あたしの『三日月』に耐えたんだから」

「ホントに?」

 大永マキが、驚いた顔になる。


「あんた、あたしのDDT喰らったじゃん。あれが三日月って技なんだ」

 DDT……ああ、確かに舞台で、ましろは龍子のヘッドロックから、床に脳天から落とされた。

 

「こちらは何も、あなたに龍子のかませ犬になれって言っているわけじゃないの。試合を盛り上げて欲しいだけよ」

 

「どうして、わたしなんです?」

「実は、ウチの団体は一大プロジェクトを立ち上げてるの」 

 大永マキは、少し考え込んで、口を開く。

「格闘家アイドルっていうんだけど。そのプロジェクトの旗揚げに、あなたを推薦したいのよ」

 

 だったら、なおさら自分は不向きだ、と、ましろは思った。人前に出ると上がってしまうし、何より、ルックスに自信がない。


「だったら龍子が適役じゃないですが。彼女とはちょっとしか戦ってないけど、強いってのはわかったし。存在感もありますよ?」

「龍子がアイドルファンにウケると思う?」


 大永社長にそう言われ、龍子を確かめる。

 身体も小さく、見た目も申し分ない。

 が、龍子はどうひいき目に見ても、気の強さは抜けないだろう。

 

「プロレスファンなら、あたしに付いてきてくれると思うけどね」

「龍子だと格闘ファン以外の気を引きにくい。そこで、見た目も性格も普通っぽい貴女を、龍子は推したというわけ」

「あんたなら、アイドルファンの気を引けると思ってさ」

 

 そうは言っても、自分はアイドル活動などしたことがないのだ。ルックスにだって自信があるわけではない。


「わたしに務まるとは思えません」

「そうでもないわよ。あなた、影ですっごい人気なんだから」


 大永社長は、ノートPCの画面を、ましろに見せた。

「ネット掲示板、ですよね?」

 

 掲示板に貼られていたのは、先日撮ったバトル女子高生ドラマの写真や動画だ。

 映像は主役の子ではない。スタントマンを担当したましろの姿である。

 ましろが受けた別の仕事の画像も、アップされていた。


『このかわいい娘、誰?』

『可愛すぎるスタントマン』

 といったフレーズが、SNSやネットの掲示板で踊っている。

 

「あなた、一部で結構有名人みたいね」

「少しずつ、ファンが増えてるみたいだしさ。あたしはイケると思った」


「そんな」

 それでも、ましろは前に出る気にはなれない。

 

「いや、トーナメント参加者の名前を聞けば、きっと考えを変えるだろうさ」

「どういうこと?」

 ましろが首をかしげていると、大永マキは試合参加者達の顔写真を見せてくれた。

「実は、他の団体も選手を出すことにしたの。その候補の一人が……」


「あっ、長谷川茜」

 ましろがポンと手を叩く。ショーの最中、龍子は彼女と因縁があると言っていたが。


「蒼月道場って知ってる?」

「この辺りで格闘技やってる人なら、みんな知ってます」

 蒼月流とは、古武術の道場だ。

「龍子はね、そこの跡取りなの」

「マジなん!?」

 

 思わず、生まれ故郷の訛りが出てしまった。

 そういえば、龍子の名字も蒼月である。

 なるほど。どうりでやたらと強いわけだ。

 

「だったら、わたしも龍子と戦う機会があったかもしれませんね」

「それはどうかしら?」と、大永マキは返す。

「茜も龍子も、中学時代は海外で修行してたから、あなたと対戦する機会がなかったのよね」

 

 しかし、それと長谷川茜と、どういう関係があるのだろう?


「長谷川茜は、蒼月道場にも通っていたことがあるの。亡くなったお父さんが、蒼月流きっての達人だったから」


 その当時から、茜と龍子の仲は最悪だったらしい。二人は争いながらも、順調に強くなっていった。


「あとはデビュー戦を待つだけだったんだけど、ノーフューチャーのジゼル南武が先に動いてしまったの。要は引き抜きね」


 ノーフューチャーとは、悪役レスラーを多数輩出している団体だ。

 といっても、その扱いは随分自分勝手でひどい物だったらしい。

 スポンサーを強引に退かせ、孤立させられた挙げ句に無理やり契約させるという、非情な手法を用いられたという。

 まるで中小企業を買い叩く大企業である。


「単なる引き抜きじゃないんだけどね……」

 途端に、大永社長の表情が険しくなる。


「どうかなさいましたか?」

「あ、いいえ、なんでもないわ」

 取り繕うように、大永社長は無理に表情を和らげた。


「けっ、いい気味だよ。そういうのがなくったって、あたしは長谷川茜と戦う気はなかった」

「龍子っ」

 大永社長が窘めるが、龍子は態度を改めない。

「あたしはね、ああいうお高く止まってる奴が一番嫌いなんだ! 茜には、格闘家にとって大事な物が欠けてる!」

 龍子はマホガニーを手の平でバシバシと叩く。


「ケンカになった理由だって、あいつがプロレスを馬鹿にする発言したからだろ! 先に因縁を付けてきたのは向こうだ!」

「でも、個人戦で勝ちを取るには、あの娘くらいの強さがないと」

「誰のこと?」

「あなたよ」

 ましろが尋ねると、大永社長は迷わずましろを指差した。

 

「わ、わたし?」

「あたしはね、あんたと直接会って直談判しにきたんだよ。現役高校生でありながらスタントをこなす役者。中学時代に空手で全国優勝。相手によって不足はない。何たって、あのホワイト・ティグリスと一致してたんだから!」

 龍子はどうしても、ましろと組みたかったようだ。


「この娘、この歳で特撮番組が好きなのよ。どうしてもホワイト・ティグリスが先陣を切らなきゃ駄目だって。そこで、私は理想のホワイト・ティグリス像を探し回って、ようやくあなたに巡り会えたというわけ」


 ひょっとしたら、このバイトも仕組まれたものなのでは?

 その疑問は、大永マキ社長があっさり教えてくれた。


「ティグリスの監督に、あなたを売り込んだのは、龍子なの」


 カレイドスコープは、ティグリスのスポンサーだという。戦闘経験や、顔写真で、もっともホワイト・ティグリスに見合う少女を探し、結果、自分が選ばれたのだという。


「その証拠に、その衣装は、あなたのサイズに合わせている。格闘技の試合で邪魔にならないように、羽の着脱もできるわ」

 ましろは羽を引っ張ると、説明通りポンと取れてしまった。


「ドラマの主役、引き受けてくれるかしら? もちろん、お芝居はちゃんとしてもらうけど。普通に戦ってくれるだけでいいの」

「そういう話なのでしたら、やります。よろしくお願いします」

 ましろが言うと、龍子が抱きついてきた。

「やった! ましろなら、そう言ってくれると思ってたよ!」


 必要書類にサインしていく。

 契約書に目を通していると、龍子が話しかけてきた。 

「いやぁ、びっくりしたよ。本物がいる! って思わず目が飛び出たからね」

 この龍子のハシャギようからして、ティグリスのファンであるのは本当なのだろう。


「あたしはさ、あんたの能力を買ってるんだよ」

「わたしの、能力?」

「衣装を着ると、その役になりきっちゃうってヤツさ」

 

 自分でもどうしてそんなことができるのか、わからない。

 ましろは、スーツアクターの父と、声優の母親を持つ。

「人に顔を見せずに演技する両親」を持ったことで、演技に対する性質が人一倍強いのでは、と、師範である父が語っていた。

 

 だが、そんな環境の人は大勢いるだろう。なぜ自分だけなのだ? それがわからない。だが、物心ついたときから、自分のクセは治っていないのである。

 

 衣装を着ただけで「役」に入り込んでしまう。

 中学の文化祭でのことだ。舞台演劇で「人妻役」を演じた。しかし、一番熱を入れてしまって、クラスメイトに引かれてしまう羽目に。

 それ以来、芝居以外でこの力は使うまいと誓っている。

 

「わたしに、プロ格闘家の『役』を」やれってこと?」

 ましろが尋ねると、龍子は口を噤む。

「うーん、ちょっと違うな。あんたは気付いてないみたいだけど、格闘向きの性格だと思うんだよね。実際、あたしと戦ってみてどうだった?」

 

「自分が自分じゃなくなっていく気分だった。まるで、本物のティグリスになったような」


 龍子は、技の切り返しが上手い。どんな状況にも即座に対応して、器用だ。


「けれど、そこまでしかわからない。まだ、格闘技って言うのが何なのか、私自身よくわかってなくて」


 そう話すと、龍子は納得した感じだった。

「そうか。じゃあ、実際に他のレスラーとも戦ってみたら、わかると思う」

 龍子は、ましろの腕を引き、廊下をズンズンと突き進む。


「ちょっと、どこへ行くの?」

「試合」

「試合って、今から見に行くの?」

「はあ? あんたが試合するに決まってるじゃんか」

 

 まるでそれが当然であるかのように、龍子は言ってのけた。

 話が、ましろの意志など関係なく進んでいる。


 だが、今更引き返すことなんてできない。

 長谷川茜が出るというなら、やるだけだ。

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