ましろ、初主役の舞台を乗り切る

 ましろが右の舞台袖から、龍子が左から同時に現れる。

 

 龍子は、ましろの戦闘パターンを分析して悪の組織が作り上げた、主人公の影という設定だ。

 

「わ、わたしの能力を真似しようとしても、無意味だぞー」

 ヒーローのマスクを被ったましろが、龍子に向かい、悪は許さない的なセリフを言う。


 相変わらず、人前では緊張する。

 これでも声優の娘なのだが、いまだにセリフ部分は慣れない。

 

 お芝居をせず、アクションだけしていたいと何度思ったことか。

 

 しかし、声がいいという理由で舞台の主役に抜擢されてしまった。

 長谷川茜に憧れて飛び込んだ世界だ。贅沢を言ってはいられない。

 

 ここで、相手も言い返すはずだった。が、龍子は腰に手を当てて突っ立ったまま、何も言い返してこないでいる。

 

 黒のマスクを被っているので、こちらからは表情さえも見えない。


 長谷川茜の代役を任されて、緊張していると思われた。が、堂々と構える龍子は、相当肝が据わっている。さすがレスラーだ。

 

「セリフ、セリフ」と、声に出さずに唇を動かす。


 龍子は人差し指で自分を指差した。


 ましろも、さらわれた子供たちも、固唾を飲んで見守る。


 やっとストーリーが進行する、そう考えていた瞬間だった。


 ましろの脳が判断するより先に、龍子の両足がましろの胸にヒットする。

 ドロップキック。

  

 蹴りを受けて吹っ飛び、ましろがセットに頭から突っ込んだ。盛大にセットを壊す。


 有無を言わさぬ異様な展開に、観客が唖然となった。


 すぐに体勢を立て直し、ましろは次の攻撃に備える。

 こんなの台本にあっただろうか?

 頭を振りながら、ましろは考える。


「ん? 完全に入ったつもりだったんだがな。さすが大河ましろってとこか」

 着地した龍子は、悪びれもせず笑った。

 芝居など忘れて、ましろの強さを試したような口調で言う。


 今のは不意打ち。ダメージを狙った攻撃ではない。


「困るよ! 勝手に動かれたら」

 味方側に扮しているベテラン役者が、マイクを離しながら龍子に注意をする。


「るっせぇ」

 なんと、龍子は味方であるはずの戦闘員や怪人を、舞台の外へと突き落としてしまった。

 

 ますます、観客席が騒然となる。


 悪役に捕まっていた子どもすら、龍子は解放した。

「さっさと行きな。ガキに用はないんだ」

 

 龍子の言葉に圧倒されたのだろう。人質役の子供たちが一斉に逃げていく。

 

「さて、これで邪魔者はいなくなった。じゃあ、仕切り直しだ!」


 ピンと伸びた、奇麗なハイキックが迫ってきた。ましろより背が低いのに、ましろの頭を飛び越えそうなほど正確な蹴りが飛んでくる。


 これが格闘家の蹴りか。アクション女優でもこんな美しい蹴りはできない。


 上腕で受け止める。

 ムチのようなキックで、皮膚が弾けたような音が響く。腕がやや痺れた。


 こちらも正拳突きを繰り出す。

 だが、龍子は滑らかな体捌きで避けた。まるでコンニャクのように。

 最接近して、お互い力比べの状態になる。


「ちょっと龍子、今のドロップキック、効いたよっ」

「すまんっ。長谷川茜の代役って聞いて、ついつい」

 組み手をしながら、龍子が詫びてきた。

 

「知り合い?」

「ああ、ちょっとね。あいつの代役ってのがシャクだった」


 確かに、長谷川茜の代役と言われれば、力が入ってしまうだろう。

 女子高生グラビアアイドルにして、天才格闘家だ。打撃に関しては、同年代に敵はいないとされている。

 

「やっぱ、しょうがないよね」

「客だって楽しみにしてただろうしな。けど、あたしの方でよかった、って思わせてやんよ!」

 

 龍子がボディブローを放った。軌道は、ましろの腹部へ。


 腕を掴んで、ましろは難を逃れた。

 

 だが、それが龍子の狙いだったようである。龍子は腕を掴まれたまま、逆にましろの首を脇で挟み込んだ。

 その状態で半回転し、ましろの首を床に叩き付けた。


 逆さまの状態で一旦静止し、ましろの身体が舞台の上で倒れ込む。


 客席から、悲鳴が上がった。


 龍子が跳躍する。ましろの顔面にパンチを叩き込もうとしていた。

 反撃しようにも、身体が動かない。


 客席から声援が飛んできた。

 その声で、ましろに戦う意思が戻ってくる。

 

 今度は、ましろの方が脇へ蹴りを叩き込む。

 脇腹に打撃を受けて、とっさに龍子が飛び退く。

「回復が早い!」

 

 龍子のラリアットが飛んできた。

 ましろが右ハイキックで腕を弾く。

 

 お芝居であることも忘れ、観客が拍手を送る。

 

 まだ倒せない。もっとだ。「役になりきれ」と、自分に言い聞かせる。自分はホワイト・ティグリスだ、自分は虎を模した天使だ。自分は天使、悪を倒す虎の天使……。

 

 ましろは衣装の中に、自身を埋没させる。

 役になりきることで、ましろは役柄の設定を活かすことができるのだ。

 もっと潜る。深く、深く。

 

「子供たちを逃がすとは、あなたにも、慈悲の心があるのはわかりました。こちらもフェアプレーで挑みます!」

 台本にないアドリブだが、うまく言えた。


「そいつは、ありがたいね!」

 龍子の鎌のようなサイドキックが、脇腹めがけて風を切る。

 

 ましろが跳躍した。まるで天使の羽根のように、ふわりと優しく飛ぶ。


 目を見開いた状態の龍子が、眼下に映る。

 

 衣装の翼から羽根が抜けて、宙を舞う。

 

 ましろはもう、脳内で虎の天使になりきっていた。

 自分は正義を守る、天使の翼を持つ虎だ。

 目の前の魔物を浄化するために、自分は戦う。

 ましろには、もはや龍子が悪に囚われたライバルキャラにしか見えていない。

 浄化してやらねば。その考え一つが、ましろを支配していた。

 

 着地の瞬間、猛烈な連続攻撃を龍子に食らわせる。アゴに掌打を、腹にヒザ蹴りを、足にローを叩き込む。

 

 龍子は逃げようとしない。これが「ブック」か、と思っているのだろう。抵抗せず、顔や腹に、ましろの打撃を浴び続ける。

 

 最後に、龍子の首をめがけ、叩き込むように蹴りを打ち込んだ。


 反撃しようと構えていたらしいが、龍子の身体が膝から崩れ落ちる。

 

 ましろがハッとなった。

 アクションをするときは、いつもこうだ。

 没頭しすぎて、後先を考えない。

 いつも頭が真っ白になり、身体が勝手に動いてしまうのである。

 

 しかし、ましろは大歓声に包まれた。


 舞台が終わり、グッズの販売が行われる。


 売られているのは、ましろが手にはめているオープンフィンガー・グローブではなく、大きいサイズのグローブだ。

 手には肉球がついている。

 これを打ち込むことによって、悪の心が浄化されるという設定だ。

 敵のイラストが描かれたバルーンも売られている。

 

 ホワイトティグリスは、地下系ヒーロー、いわゆるイロモノ特撮で売っていくつもりだった。

 しかし、打撃によって敵を倒す設定がストレス発散にいいと女性に受けた。

 そのため、女性にも評価してもらえるような内容へ路線変更していくことになる。


 ティグリスが当たらなかったら会社倒産という憂き目に遭っていたが、無事に持ち直した。ティグリス様々である。

 

「お疲れさ――」

 起き上がらない龍子に声をかけようとした。

 

 が、龍子はまるで何事もなかったかのように起き上がる。

 子供たちの歓声をバックに、ましろも舞台裏へ引っ込んだ。

 

「よしっ。じゃあ、このまま公民館まで付いてきて。事情はそこで説明するから」

 龍子が強引に手を引き、ましろを問答無用で連れていこうとする。

 

「ちょっとまだサイン会が」

 これから、ホワイト・ティグリスのサイン会握手会が控えている。ガワを着た自分がそれを担当するはずなのだ。

 

「もういいわよ、ましろちゃん。サイン担当の役者さんを用意してるから」

 現場のスタッフが舞台を指す。

 

 舞台を見ると、長テーブルに自分と同じガワを着た女性が座って、子供たちにサインと握手を交わしている。

 

「でも、着替えないと」

「いいって。むしろそのまま来てくれ」

 舞台衣装のままで参加していいなんて、どんなイベントなのだろうか。


 ましろの手を引きながら、龍子は懐からマスクを取り出す。慣れた手つきで、おもむろにマスクを被った。


「それにしてもウワサ通りだな。あんな蹴り初めて食らった。さすがに覚醒まで時間が掛かったぜ」

「クセなんだ。衣装を着るとその役になりきっちゃうんだよね」


 いつからこうなったのかは、わからない。

 いつの間にかできていた。


「いやいや、お見事だぜ。あたしはそれが目当てで、あんたを連れてきたんだから」


 たどり着いたのは、遊園地近くの公民館だ。


「ここで何をするの?」

 長い廊下を歩き、事務室へ通される。入り口には、カレイドスコープと書かれていた。


「カレイドスコープって、プロレスの団体だよね? ひょっとして、手伝ってって言うのは」


「ましろに、うちが運営する格闘技トーナメントに出て欲しいんだ」


「え、ええええええ!?」

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