ましろ、決戦!


 観客はカレイドスコープ側が選手たちの中央に蒼月ワコ、大永マキが陣取る。

 

 覇我音サイドは、ジゼル南武率いるノーフューチャーの面々だ。銀杏や金剛院らの姿も見える。


 空が曇り始めた。雨が来るかも知れない。


 スタッフが、イベント用のテントを設置し始めた。

 さっきまで撮影スタッフしかいなかった廃工場に、一般客がパラパラと集まってくる。


『さあ、いよいよ始まりました、決勝戦! 撮影現場という、両者の対決にふさわしい舞台が整いました! ティグリスにはケガから復帰したムーンドラゴン、覇我音選手にはキュンキュンピサロ選手が、それぞれセコンドにつきます』

 

 今更、牽制なんてしない。ましろは開始早々、突撃する。右フック、左ストレートと、打撃を見舞う。

 

 茜にスウェーだけでかわされた。

 

 そんなのは想定済みだ。本命のミドルキックを脇腹へ。

 

 だが、茜の反応は早い。すぐに気付いて裏拳で叩き落としてくる。

 

 こちらも、ただで打ったわけではない。

 軸足一本で立ったまま、弾かれたミドルをアッパーキックに切り替え、打ち込む。

 

 茜は大きく後ろへ仰け反って、かわす。

 

 ましろは足を抱え込まれ、横へ倒される。

 茜はましろのアキレス腱を極めに掛かった。

 

 グルリと回り続け、ロープを掴む。これでブレイク、仕切り直しだ。

 

『序盤からすさまじい技の応酬だ』

『目が離せませんねぇ』


「強くなったわ。この間まで、視界にすら入ってなかったのに」

 組み合いながら、茜が言葉を切り出す。


「わたし、そんなに弱く見えましたか?」

「そうは思っていないわ。当時の私には、日本のファイターは全員弱く見えたのよ」

「弱いですよ、わたしは」

「いいえ、あなたの『トレース技』、参考にさせてもらったわ。こんな風に!」


 腰を低くして、タックルを仕掛けた。覇我音がましろの肩を取り押さえ、左方向へ振り払う。コーナーに打ち付けるタイミングで、顔面へ膝を叩き込んだ。

 

『おっと、まるでコミックのような動き!』

 

 これは、『餓狼の拳』四巻のシーン再現だ。

 自衛隊上がりの殺し屋を相手に、ヒロインが決めた実戦格闘技である。

 

 この作品のヒロインは、主人公から護身術を学んでいるという設定だ。この作品は、長谷川茜をヒロイン役に添えて、Vシネマ化されている。

 

 追撃のケンカキックをかわし、足を掴む。座ったままの状態で、ましろは茜の足を取った。膝関節を破壊に掛かる。

 だが、背後から肩と首を絞められてしまう。コーナー越しからのチキンウイングだ。


「この技は、『バトルJK』、二巻の」

 ましろがスタントマンを演じた漫画に出てきた技である。


「そう。じゃあ、次に何がくるか分かるわね?」

 危険を察知し、ましろは身体を振り払う。

 しかし、背面を取られたままでは、分が悪い。


 ロクに動けないまま、視界が逆さまになる。

 茜の全体重が載って、空が映った。

 投げられ、地面に叩き付けられる。

 

 茜が投げ技を? しかもこの技は、キュンキュンピサロの。


「そう。ジャック・ハマーよ」

 片腕と頭を抱え込まれ、両脚を足首でフックされる。縦四方固めだ。

 ガッチリと固められ動けない。


 ドン、と腹に強烈な拳が打ち込まれた。開いている腕で、茜がパンチを打ってくる。

 

 こちらからは、どこから攻撃が来るのか見えない。勘を頼りに腕を封じられる。

 

 その間にも、茜の腕から肘や拳が飛んできた。

 

「ましろ、何とか身体を捻って逃げろ。頭上にロープがある!」

 龍子の指示を耳にし、ましろは首を逸らした。ロープを確認する。よじ登るように身体を捻って、ロープに手をかけた。

 

 スタンディングになるが、ましろの呼吸は荒くなるばかり。

 駄目だ。いいところがない。

 一矢報いるつもりが、完全に翻弄されている。

 

「どうして、私の技を?」

 トレース技は、自分の専売特許のはず。

 

「私だって女優よ。誰かになりきる術は持っている」

 

 ならば、こちらも手加減はしない。

 軍隊ものは、こっちだって。


 ジャブを打っては、相手の腕を払い返す。

 間合いを維持するため歩を進め、いつの間にか足捌きが円を描く。

 手を回すようなな連続パンチへとシフトする。

 ましろも茜も、全く手を休めない。

 

 業を煮やしたのか、茜が、足を高々と上げた。

 

 ハイキックを、ましろは腕の捌きで払う。

 回し蹴りをしゃがんで避けた。

 無防備になった茜の軸足に、下段回し蹴りを繰り出す。

 

 ましろの蹴りがヒットする前に、茜が軸足でジャンプして、茜が横へ倒れ込む。

 

 しゃがんだ状態のましろの顔面へ、両脚蹴りが飛んできた。打ち上げ式のドロップキックだ。

 

 上腕で、蹴りを受け止める。


「これって……」

 金剛院の動きだ。茜はあれだけ、彼女を苦手としていたはずなのに。

 

「最も自分の理想から遠い人をトレースしたの。あなたを出し抜くために。そちらの動きだって、銀杏先輩じゃない?」

「そうです。印象的だったので」

「わかるわ。あなた、ずっと熱心に練習したように見える。銀杏先輩は強かったでしょ?」


 トレースしたからわかる、茜が繰り出す技の完成度。

 ましろは、その精密さに思い知らされた。

 自分なんて銀杏と比べたら、動きが雑でしかない。


 ましろはロープへ身体を預けた。反動を利用して高く飛ぶ。


 茜は身体を移動させて避けようとする。


「けええい!」

 身体を捻って、ましろは前転し、ドロップキック。

 茜の身体が吹っ飛ぶ。

 マットに落ちたましろは、瞬時に立ち上がり、追撃のハイキックを見舞う。

 茜も、同時のタイミングで蹴りを放つ。

 蹴り同士がぶつかって、足が痺れる。

 

「おお!」と雄叫びを上げ、痛む足で踏み込んだ。

 

 両手を虎の前足に見立て、突き上げた。

 胸の下にクリーンヒットし、茜の身体を浮かせる。手にのし掛かる、確かな感触。


 不敵な笑みを、茜が浮かべた。


 ましろは本能的に、後ろへ飛ぶ。


 茜は空中で体を入れ替えた。ましろの肩口に、裏拳を打ち込む。

 

 風圧で、ましろの前髪が流れる。


 どうして茜は、すぐに反撃してきた? 

 ましろの打撃が効いていなかったのか?

 違う。後ろに飛んで、威力を殺したのだ。

 

 考えが甘かった。

 相手は長谷川茜だ。

 経験を活かし、致命傷を避けたのだろう。

 

 これでは駄目だ。自分の技で勝負する。

 距離をゼロにして、息もつかせないような連続パンチを繰り出す。

 

「また詠春拳……?」

 防護しながら、茜がこちらの動きを分析してきた。


 連続パンチに加え、ローキックもまとめて叩き込む。続けて、肩口へ直突き。

 

 茜もガードしきれないほどの連続技を、限界ギリギリの速度で打ち込んでいく。

「ついに奥の手を出してきたわね」

 茜にも、違和感がわかったようだ。


 タイガーレイジ。

 一度キュンキュンピサロ、つまりクローディアに破られたが、茜にはどうだろう。

 

 防御はできているが、茜にだって限界が来るはずだ。

 そう考えていた矢先、脇腹に掌打が叩き込まれた。

 

「くうっ……」とましろは呻く。動きが一瞬止まる。

 

 その隙を突いて、ヒザ蹴りが飛んできた。


 逃げつつも、ましろは反撃の右フックを浴びせる。

 しかし、ましろの軸足が痺れ出し、うまく力が入らない。

 

 茜のヒザ蹴りが、内腿狙いのローへと変化したのだ。

 

「タイガー、レイジ。タイガーレイジじゃねえか!」

 龍子がましろの言葉を代弁する。


「タイガーレイジが、あなただけの技だと思わないことね!」

 茜が、掌底でましろのアゴを狙う。

 裏拳で打ち込みを撃墜した。

 

 だが、ガラ空きになったましろの上腕を、茜の左フックが通り過ぎていく。

 フックが正確に、ましろのアゴを捉える。

 

 チョップが、朦朧としたましろの首をまともに刈り取る。

 脇腹にボディブローが、胸板に正拳突きが、内腿に再度ローが叩き込まれる。

 

 重い攻撃を無防備で食らい、ましろの身体が、大きくよろめく。

 

 とどめのボマイエが、ましろのアゴにクリーンヒットした。

 

 アゴを打ち上げられ、ましろがマットに沈む。

 

 会場が、悲鳴でどよめく。


『あっと、ティグリス選手ダウン! これは立てないか!?』


「ましろ!」

 ロープから身を乗り出して、「立て」と声援を送り続けている。


 ましろを応援する声が鳴り響く。

 

「強いわね、あなた。最初にあったときとは別人のよう」

 自分の正面には、仁王立ちする長谷川茜が。

「あなた、ジゼルから私の噛ませ犬としてあてがわれた。けれど、あなたは自分で考えて、本能のままに戦う。どうしてあなたが勝ち上がってきたのか、今なら私にも分かる」


 ましろの足に立ち上がる気力が戻ってくる。


『立ち上がりました。ティグリス選手、あわやノックアウト負けと思われましたが、立ち上がりました! 虎は死なず!』

 

 カウントは七。

 どれだけ寝ていただろう。

 せめて、茜の気持ちにだけでも伝えないと。

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