ましろ、戦意喪失……

 一人で帰れたとはいえ、龍子はすぐさま緊急入院となった。精密検査の結果は問題なかったが、絶対安静だという。

 

 ワコを相手に、茜が最後に放った蹴りを再現する。

「近代空手の回し蹴りが、こうです」

 ましろは、サンドバッグに中段回し蹴りを放つ。

 腰を回転させ、鞭をしならせるような蹴りだ。

 

「これが、長谷川さんが打ち込んだ、回し蹴りです」

 今度は腰を回転させず、前に蹴り込む。

 先ほどの近代回し蹴りは、刈り取るように足を回した。

 それに対して、茜の回し蹴りは、明らかに足のモーションが違う。

 

「確かに古流の蹴りじゃのう」

 砕雲掌の蹴り版。

 まさに砕雲脚と言うべきか。

 

「それにしても、なんでプロレスに固執したんじゃ? 蒼月流を使えば勝てたかもしれんのに」

 

「龍子は、あの試合を再現しようとしてたんじゃないかと」

 ましろの導き出した結論を聞き、ワコは「うむ」と、首肯した。

 

「解説の方が言ってましたね? 『ワコ先生とジゼルさんの試合みたいだった』って」

「なるほど、お主の言う通りかもしれん」

「家族に対する憧れが強かったんですよ。龍子って」

「たとえ憎み合っても、あれだけ家族に恵まれた長谷川茜を、龍子は羨ましいと考えていたそうじゃ。親がいるだけマシだというのに、親を嫌う茜の姿勢が許せんとも」

 

 龍子と茜の諍いは、親がいるかどうかに根ざしているのかも知れない。

 

「うむ。しかし、ジゼル南武や長谷川茜にまでその思いは届くのじゃろうか」

「あの、このトーナメントの目的って、一体何なんですか? ジゼル南武さんは何を企んでいるんです?」

 

 ましろは、意を決して尋ねた。


 ずっと、この試合には、何か仕組まれたシナリオがある気がしてならない。

 龍子の言葉を借りれば、「ブックがある」と言うべきか。

 

「ジゼル南武の目的は、お主を、長谷川茜の噛ませ犬にすることじゃろう」


 このトーナメントの趣旨自体が、ジゼル南武が企画したものだそうだ。

 長谷川茜の宣伝のつもりだったらしい。全ては、自分の娘を売り出すために。

 

 そうか。おかしいとは思っていたのだ。

 何の特徴もない自分が、どうしてこんな大舞台に立たされたのか。

 

 きっと組み合わせだって、意図的に仕組まれていたのだ。

 自分が負けても銀杏やピサロが、長谷川茜に食われて、盛り上げてくれるだろうと。

 

「長谷川茜のドラマを確実なモノに作り上げて、自分のようなカリスマファイターに育てることが、ジゼルの目的じゃ」

「それって、いわゆるドキュメンタリーじゃないですか!」


 そんなTVでやるノンフィクションのような育て方をされて、嬉しい娘なんていないだろう。タレントだって嫌なはずだ。

 

「龍子は全部を知ってて、わたしを誘ったんですか?」

「そうかも知れん。じゃが、あやつには別の目的があるんじゃ。本人に尋ねるがよい。目を覚ました後でな」

 

 ましろは不安に駆られる。

 龍子のことだから、ましろをおとなしく食わせるなんて、絶対にさせないだろう。

 むしろ、茜に勝ってしまうかもしれない。


「二人を救うのは、お主しかおらん」

「どうしてなんですか? 二人の背負う生き方の方が大きい。それに引き替え、わたしには二人みたいな、戦うための動機が、どうしても見つからない」

「だからこそ、お主の力が必要じゃった」

 ましろは、力なくうなだれる。

 

「言っている意味がわかりません。どう考えても、龍子と茜さんが最強を目指せばいいじゃないですか! どうしてわたしなんですか? 理由があるんですか?」

 ましろは、ワコを見上げる。

 龍子には、茜の目を覚まさせるように頼まれたが、ここに来て萎縮してしまった。

 

「あの二人がぶつかったところで、どちらも救われん」

 最強の座は決められても、精神的な解決にはならない。

「龍子では、長谷川茜を救えぬ。あれを救うには、第三者の力が必要じゃ」

 

「それだけ、二人の抱える闇が深すぎる、と?」

「左様。こればかりは時間が解決してくれるのを待つしかないのじゃ。そのときは、一生来ないかも知れん」

「そんな」

「じゃからこそ、お主に託したのじゃ。お主ならあるいは、茜を止められるかも知れぬ」


 不可能だ。

 長谷川茜は強すぎる。龍子でも敵わなかったのに。


「自信がありません」

「なければ、鍛錬するのじゃ。いつも以上にハードな特訓となるでの。覚悟せいよ」


        ◇ * ◇ * ◇ * ◇

 

 龍子が目を覚ましたというので、ましろは急いで病室のドアを開けた。

 

 退屈そうに、龍子はベッドの上で伸びをする。ましろが呆れるくらい、元気そうだ。

「あー、もうちょっとだったのにな」

 

「前蹴り気味のキックだったね」

 ましろは、茜が放ったキックの構造を、龍子に説明した。

 

 やはり、あれは古流回し蹴りだったのだ。

 近代空手の回し蹴りは、足が横に出る。

 対して、古流回し蹴りは、蹴り始めのモーションが前蹴りと変わらない。


 蒼月流は古流武術である。回し蹴りも、近代のそれではなく古流のキックだった。

 古流回し蹴りに対応するには、余りにも龍子はプロレスに馴染みすぎたのだ。

 

「そうか。あれは蒼月流の蹴りだったか。あいつは、蒼月流だけは好きだったからな」

「でも、ジゼル南武の気持ちが伝わったなんて思えない」

「ジゼル南武だって、本心じゃないんだよ。嫌われようとしてるだけさ」

「どうして、ジゼル社長は嫌われることをわざわざ……」

 

 ましろには、ジゼルの胸の内まではわからない。

 プロレスラーの性根なのか。

 それにしれは、薄情過ぎはしないか?


「あの人は、わざと茜に嫌われ、恨まれたがっている。まるで、『殺してくれ』って言っているみたいでさ。実の娘の手に掛かりたがってるんだ。あたしは、それを茜にわかって欲しかった。だけど、今のままじゃ無理だろうな……」

 

 龍子でもジゼルでも、茜とわかり合えない。


 ましろは、茜の持つ心の闇を、改めて感じ取った。

 

 エンターテイナーとして、余りにも茜はストイックすぎる。求める方向性が違いすぎて、衝突してしまうのだ。

 

 ジゼルはいい方向に向けたがっているらしいが、茜は全て悪い方に受け止めてしまう。


「あたしは応援にいけないけど、勝てよ。ピサロに。茜も、あんたを待ってる」

「わかってる」

 龍子は安心した顔を浮かべると、眠りについた。

 

 ましろは病室を出ると、すぐにトレーニング場へと向かう。

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