クローディア、金網で吼える

 茜はピサロ戦のセコンドに立つため、控えていた。

 

 控え室では、キュンキュンピサロこと、クローディア・ピサロが、山ほどある弁当を頬張っている。試合前だというのに、よくこれだけ食べられるものだ。

 

「行くわよ、ピサロ」

 ピサロの肩を叩き、花道を歩く。


『高校生格闘技王決定戦。今日の試合は、金網デスマッチとなります! さあ、クライシス・キュンキュンピサロ選手が、覇我音選手の前を歩きます』


 全体で六メートルはあるだろうか。金網でできた巨大な檻が、茜の前にそびえ立つ。

 

 クローディアの対戦相手である桜木が、リング外で待ち構えている。

 細身の選手だが、茜と同期で技の引き出しも多い。ピサロといい勝負になると思うが。

 

 桜木が、レフェリーからマイクを強引に奪う。

「長谷川茜! 南武社長に見初められてるからって、いい気にならないでよね!」

 吐き捨てるように言って、マイクを投げ捨てた。

 

 バウンドしたマイクが、ゴングに当たる。

 軽快な音が鳴り響き、そのまま試合開始へ。


 まず、ピサロが金網をよじ登る。

 相手も昇っていく。手にはパイプ椅子が握られていた。

 

 金網デスマッチとは、金網の中で戦うデスマッチではないのか?

 茜の脳裏に、はてなマークが浮かぶ。

 

『さあ、リングの天井部分で、両者が睨み合う。こういったデスマッチ形式のハードコアマッチは、キュンキュンピサロ選手にとってはお得意のスタイルでは?』

 実況の問いかけに、解説が答える。

『そうでしょうね。元々、桜木選手の方も、地雷マッチとか有刺鉄線マッチなど、ハードコアメインですけどね』


 両名が天井に辿り着いた。桜木がパイプイスでピサロを攻撃する。

 

 が、ピサロは手で骨組を掴み取って、椅子を投げ落とす。


 ピサロが桜木と肉薄。手四つの形となる。

 最初こそ均衡していた。だが、徐々に押され始める。桜木は、そこまで力の強い選手だったろうか。


 ピサロが後ろに回り、ジャーマンスープレックスの体制に入った。

 桜木は肘をピサロの頬に浴びせ、怯ませる。

 スープレックスから逃れた桜木が、ピサロの腕を取った。力一杯、ピサロの巨体を振り回す。

 

 ほんの一瞬、茜の視界からピサロが消えた。

 一〇〇キロを越えた豊満な身体が、金網から下へ落ちていく。

 

『おっと、ピサロ転落ーっ!』


 あろう事か、桜木は五メートル下にピサロを振り落としたのだ。

 マシュマロ系の巨体が、撮影器具を防護する木製の枠に激突した。

 板材が衝撃に耐えきれず、バラバラに。

 観客席から悲鳴が上がった。

 ピサロは転落した体制のままで、ぴくりとも動かない。

 

『キュンキュンピサロ選手、対戦相手との取っ組み合いの末、五メートル下の場外へ落下しましたっ! 大丈夫なのか!?』


 茜が駆け寄ろうにも、レフェリーに止められた。


 手を貸せば失格なのは分かっている。しかし、気にせずにはいられない。

 

 レフェリーが、気絶しているピサロに何かささやきかけている。

 

 しきりに、ピサロは首を振って、口が動かしている。

「試合を止めるな」と言っているようだ。


「何をするの!?」

 茜は、金網の上で立っている桜木に向かって怒鳴った。

 対する桜木は、全く悪びれた様子はない。


「あっははははっ! おっかしーっ!」

 耳障りな笑い声が、茜の耳を穢す。

 

 会場全てが困惑で騒がしくしている中、アリーナ席では、ジゼル南武が一人で腹を抱えている。

 

「すっごい。落ちたよ! 何回見ても笑える!」


 実況席で勝手にビデオを操作して、ジゼル南武はピサロが転落した映像を何度も繰り返して再生している。


 茜には、ピサロが身体を張ったプロレスを、嘲笑っているようにも見えた。

 

「何がおかしいのよ!?」

 茜は、落ちていたパイプ椅子を、アリーナで一人笑っているジゼルに投げつける。

 

 だが、ジゼルはパイプ椅子を片手で掴み取った。

「は~あっ? 茜ちゃんさぁ、あんた何か勘違いしてるんじゃないかなぁ?」

 飄々とした態度で、ジゼルがパイプ椅子の背を握り潰す。

 

「何がよ!」

「これはさぁ、プロレスなのよん。お客さんに楽しい試合を見せてナンボなのよん」


「人が金網から落ちるのが、そんなに楽しいって言うの!?」

 この女のプロレス理論には虫唾が走る。


「楽……っしいじゃ~ん。この試合を不快と思うか愉快と思うかはさ、茜ちゃんの勝手よん。でもね」


 急に、ジゼルが真顔になる。刃のような視線を、茜に送ってきた。


「あんたが今の行為を認めないなら、それはあの娘のプロレスを否定することになるんだから」


「言っている意味がよくわからないわ」

 茜も睨み返す。


「第一あの娘は、自分から落としてくれって頼んだのよん」

 

 嘘だ。そんな危険なこと、ピサロがするわけがない。


「最初は桜木ちゃんも断ったわん。危ないからって。でもピサロちゃん、盛り上がるからやれって聞かなかったのよん」


「嘘よ。どうせ、あんたが指示したんでしょ? お金を渡したか、ピサロか桜木かに、有利になる条件を付けて」

 怒気を孕んで、茜はジゼル南武へ迫る。


 もし、大ケガでもしていたら承知しない。

 せっかくここまで勝ち進んだのに、それではあんまりだ。


 ジゼル南武は首を振った。

「ピサロが、自分から言ってきたのよ。お金なんて渡してないわん」


「どうして、ピサロがそんなこと!?」

「さあ。けど、遠慮しないで投げ落とせって、桜木ちゃんに言ったのよ」

 

 ありえない。どうしてそんな危ないプロレスを。


「全く、子が子なら、親も親よね! とんだ茶番だわ!」

 マイクを握っていた桜木が、茜とジゼルを罵る。いつ仕込んでいたのか。


「……何ですって?」

 金網に立っている桜木に、茜は殺意の眼差しを向けた。

 

「あたし、知ってるんだから。あんたがトーナメントに参加できたのは、あんたのママが手配おかげだって。そこにいるジゼル南武のおかげだって!」

 

 桜木は、茜がジゼル南武の娘だという事実を突きつけてきた。


『おっと、衝撃の事実が判明しました。なんと、長谷川茜の母親は、ジゼル南武だったのです!』


 試合会場も、倒れているピサロそっちのけで、桜木の発言に耳を傾けている。


 茜は内心、腹を立てていた。

 誰一人として、ピサロの心配をしていない。


 父は、茜に格闘術の全てを叩き込んでくれた。強い娘に育って欲しいと思っていたのだろう。彼は男手一つで茜を育てた。しかし、茜が小学六年のころ、病に倒れてしまう。


 病室で、茜は父を看取った。出生を、死の場際にいた父から聞いたのだ。


 なのに、ジゼル南武は茜の父が死んだにもかかわらず、試合に出ていた。しかも負け試合だ。

 

 決勝まで勝ち進んだ、小学生空手の試合だってそうだ。

 ジゼル南武は突然、母親としても特権をふるい、海外修行を言い渡した。世間やマスコミから逃げるように。

 

 自分はここまで強くなったのだと、天国の父に勝利を捧げるつもりだった。


 どうして、父の死に目に会おうとしなかったのか。どうして自分の成長を邪魔するのだろう。

 そういった恨みが、打倒ジゼル南武に茜を奮い立たせているのだ。


「でないとさあ、あんたみたいなチャラついたモデル崩れが、こんな格闘技トーナメントに参加できるわけないじゃん! 大方、試合結果だって、操作してもらってるんじゃない? ジゼル南武の血を引いてるんですもんね!?」

 桜木は、茜を侮蔑する言葉をまくし立てた。


 しかし、茜の耳は、桜木の言葉など耳に入らない。

 

「ヘイ、サクラギ」


 もっと恐ろしい存在が、桜木の背後に迫っていたからだ。


「うそ……」

 声をかけられ、桜木が振り向く。


 そこにいたのは、倒れていたはずのピサロだ。

 ピサロは鬼の形相で、桜木の身体を肩に抱え上げた。

 ジャック・ハマーの体勢だ。天井から身体でプレスするように叩き込む。


 桜木は、ジャック・ハマーで、全身を天井に叩き付けられる。そのまま天井を突き破った。

 一〇〇キロを超える巨体に耐えられなかったのだろう。桜木はそのまま動かない。

 勝敗は落下直後に決していた。


『あっと、桜木選手、五メートルから落下式ジャック・ハマーを食らって失神KO! これによって、ホワイトティグリスと対戦するのは、キュンキュンピサロ選手ということになりました! まさに不死身! この怪物を、誰も止められないのか?』

 

 タンカに乗せられていく桜木選手に声をかけた後、マイクを握ろうとしたときだった。

 ピサロの身体が、膝から崩れ落ちる。


『あっと、ピサロ選手も力尽きたか。失神です。タンカに乗せられていきます。覇我音選手が駆け寄って、何やら話しかけているようですが、応答はありません』


        ◇ * ◇ * ◇ * ◇


 キュンキュンピサロは勝った。

 が、両者失神という、壮絶な結末に。

 

 もうすぐ、ピサロは精密検査を受けるらしい。大袈裟な物ではなく、大事を取った形式的な物だという。

 

 あれだけの攻撃を受けた桜木選手も、幸いなことに、回復傾向にあるらしい。

 今季中の興業は絶望的ではあるが、選手生命を断たれるようなダメージはない。


 ピサロは怒っているように思えたが、ちゃんと受け身を取れるように落としたのだ。もし、あれが頭から落としていたら、どうなっていたか。

 

 桜木の実力が高いこともあるが、ピサロのうまさも相当なものだ。


 ベッドの上で、ピサロが目を覚ます。

「プロレスマニアなら、あれがブラフだってわかりマス。桜木の煽りもフェイクだと。マニアは面白がってくれたでしょう。ジゼル社長だって、それを理解した上で、ミーの提案を許可したのでしょう」

 ハッキリした口調で、ピサロは言った。

 

「無茶するわね」

「それはお互い様ネ」


 あの局面で死んだふりとは、本当に彼女は『二枚舌』だ。

 あれ以上の嘘つきはいない。

 

「私の望みはジゼル南武の始末よ。もし邪魔をするなら、まずあなたを排除するわ」


 ピサロはジゼルを恩人と思っている。

 自分の障害になる可能性は高い。


「そのときは、そのときデス」


 まるで、茜が自分を取り除こうなんて夢にも思っていない声色で、ピサロは言ってのけた。


「ところで、どうして、アカネは社長を恨む?」

「あいつは、自分の娘を自分が輝くための材料としか考えてないからよ」


 ジゼル南武は、幼い頃に自分を捨てた。

 母親の身勝手で捨てられ、母親の身勝手で海外から連れ戻されたのだ。

 自分がプロレスの世界に足を踏み入れたのは、母親を倒し、思い知らせるため。

 

「アカネ、社長さんの思い、気づいてない。社長さんは――」


 言いかけて、ピサロは精密検査のため、ストレッチャーに乗せられ、運ばれていく。

 ピサロを目で追いながら、茜はピサロが何を言おうとしていたのか考えていた。

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