ましろ、絶体絶命! そのとき!
両者が、地面に踏ん張って吼える。
熊の拳と、虎の拳がぶつかり合った。
後ろへと吹き飛ばされそうになる。
だが、下がらない。退けば食われる。もう、小細工は通用しない。
丸太のような拳が、ましろの顔めがけて飛んでくる。
掌打で受け流し、カウンターの肘を見舞う。
肘が、クローディアの目の下を突く。
柔らかい頬の感触が、肘越しに伝わった。
こんなかわいい顔をしているのに、なんてパワーのある拳法を使ってくるのか。
見とれている場合ではなかった。
脇腹にいいパンチをもらう。
思わず嗚咽を漏らすところだった。
「やああっ!」と、声と共に呼吸を正す。
掌打が、クローディアのアゴをとらえた。
それでも、彼女の脳を揺らすには到らない。岩のように重い右拳が、至近距離で打ち込まれる。
鼻を強打し、両目に涙が溜まった。視界がぼやけたが、まだだ。
追撃の左アッパーが、ぼやけて見える。
拳に膝を打ち込んで迎撃した。
クローディアが、左掌打を出すのを、左手で払う。
右ジャブが迫った。
左手の掌底で撃ち上げる。
左掌底を打ち込んできたのを、裏拳で撃ち落とす。
腕を回転させるように、クローディアが右拳、左拳を交互に打ち込んでくる。
お返しに、ましろは全ての連続パンチを打ち払う。
『おっと、ピサロ選手、藤代銀杏を彷彿とさせる豪快な連続攻撃! ティグリス選手も逃げずに迎え撃つ!』
打撃は苦手ではなかったのか? と思わせる程、合わせてくる。
互いの掌打同士がぶつかりそうになった。
クローディアが、ましろの手の平を掴んだ。
掌底同士もぶつかり、手四つの状態へ。
腕を下に降ろして、クローディアがましろを持ち上げようとする。
「まだです、マシロ。もっとぶつかって下さい」
一瞬、ましろの身体が宙に浮きそうになった。だが、ましろは踏ん張る。
「わかってる! こんのおお!」
ましろは腕が引きちぎれるくらい、両腕に負荷をかけた。
一〇〇キロ近いクローディアの身体が、持ち上がっていく。
クローディアを持ち上げた体勢から、ましろは宙返りを行った。オーバーヘッドキックが、アゴを的確に捉えた。
手が離れ、クローディアが後ろへ吹っ飛ぶ。
ロープの反動で、クローディアが再起動してきた。
特にダメージは受けていないように見える。エネルギーが脂肪で吸収されてしまったらしい。
だったら、これを見舞う。
ましろは、クローディアの頭を、右脇に挟み込んだ。勢いを殺さず、一回転する。
クローディアの後頭部が、マットに突き刺さった。
『あっと、三日月! ティグリス選手、戦友であるムーンドラゴン選手の技を披露! ドラゴン選手の旧友、キュンキュンピサロに浴びせました!』
これでダウンを奪う。
しかし、ましろがニュートラルコーナーへ移動しようとした瞬間、太股を掴まれる。
既に、クローディアは起き上がってきた。
頭の上にいるましろを抱え上げながら。
「見事です。マシロ。身体の大きいあなたに、蒼月流の投げは難しいデス。そのせいで、パワーがない」
本来、三日月は両名の重力がゼロにならないと効き目が薄い。
しかし、クローディアの体重は重すぎた。一回転してもクローディアの身体が浮かず、威力が削がれてしまったのだ。
「でも、本当の勝負はそうじゃないです、マシロ! ユーの全力、ユーの技を受けて耐えてこそ、ミーはサイキョーになれます!」
とはいえ、ここまでクローディアは強かっただろうか?
準々決勝のときより、強くなっている気がする。
「ミーの考えているとおりですよ、マシロ」
「わたしの思ってたことが、わかるの?」
クローディアは首肯した。
「ミーは、トレーニングを受けたです。相手は、ジゼル南武。アカネも、トレーニング受けた」
あれだけ嫌っていた母親を相手に教えを請うたのか。
あの凶器じみた強さの理由が分かった。
茜も、必死なのだ。
「みんな、同じです。みんな勝ちたい。ユーに。誰もユーを、マシロを恐れている」
そこまで、自分が相手にとって驚異だというのか。
こんな平凡ファイターのどこに、相手を怖がらせる要素なんてあるのだろう?
せいぜい相手の技が模倣できるくらいだ。
自分はスタントマン時代が長かった。
だから、相手の動きをトレースする必要がある。トレース技は、その副産物に過ぎない。
三日月だって、それによって繰り出して……だからだ。
今の三日月に、心までこもっていただろうか。「絶対に勝つ」、その気持ちまで。
一瞬で、視界が反転した。
リングが逆さまに見える。
重力に従って、頭に血が上っていく。
「これがミーのフィニッシュ、ジャック・ハマーッ!」
クローディアがましろの身体を抱え込みながら、マットへ沈める。
頭を強く打ち、意識が途切れそうになった。
レフェリーのカウントに混じって、生徒たち以外の歓声が聞こえてきた。
負けるな、立ってくれと、ティグリスを励ましてくれている。
以前、自分を見に来てくれた子供たちだった。
みんな、心配したような表情だ。
ヒーローが倒れたら、子供たちにこんな表情をさせてしまうのか。
そうだ、自分は子供たちのヒーローだ。立たなければ。
踏ん張って、目一杯踏ん張って、立ち向かう。
ティグリスは、ここまで愛されていたのか。ハッキリ言って、ニッチ層を狙った特撮番組だ。
ここまで子供たちに人気があるとは考えていなかった。
ピサロのボディブローが、ましろのみぞおちに向かってくる。
身をかがめ、直撃を阻止しなくては。
「ましろ、跳べ!」
ロープの向こう側から、ましろを呼ぶ声が聞こえた。
「龍……子?」
ましろは、龍子の声に反応し、跳んだ。
クローディアの両肩に手を置いて、跳び箱の要領でジャンプ。
「そのまま首を挟み込め、ヘッドシザーズ」
「分かった!」
身体が勝手に動いた。まるで、龍子の魂が乗り移ったかのように。
クローディアをマットに叩き付け、声のした方を向く。
視界の先には、包帯まみれの龍子が。
「しっかりしろ、ましろ! まだ勝負は付いてないぜ!」
ロープを揺らしながら、龍子は、こちらを気にかけてくれている。
来てくれたのだ。
激闘の傷が癒えていないのに。
「ケガはもういいの? それに、その子たちは」
聞きたいことは、山ほどあった。
「あたしが呼んだんだ。それにさ、あんたが苦しんでいるときに、寝てられるかっての」
龍子はサムズアップをする。
かみ合わなかった物がカチッと合わさったような、スッキリした気持ちになった。
何が目的で立ち上がった? クローディアと戦う為だ……いや、違う。
目的なんか、ない!
ただ自分は、終わらせたくなかった。
ずっと、戦いに明け暮れたい。
戦うことでしか、動くことでしか、分からないことだってある。
――戦わないと、おかしくなってしまう。
――仲良くなることは、戦うこと。互いを知ることは、戦うこと。
ましろは、疑問に感じていた。
戦うことに、どうして理由が必要なのかと。
その疑問を、クローディアは身を以て証明してくれた。
戦うことで、自分を解放しているんだ。
自分とクローディアは、同じ。
答えは、戦いの中にしかない。
むしろ、戦いこそ答え。
誰かの為だとか、自分のアイデンティティを維持する為だとか、そんな煩わしい理由のために戦うんじゃない。
そもそも、戦いに理由を求めること自体が、ナンセンスだったのだ。だから、答えが出ない。
自分は、自分のスタイルで戦う。
ただ、戦いたい。本能のままに。
だって今の自分は虎(ティグリス)だから。
魂が命ずるままに戦う、白虎なのだ。
「おお!」
雄叫びを上げ、ましろは深くしゃがむ。
いや、真横に倒れ込んだ。
マットに沈む瞬間、左手を地面に突く。
「はいいい!」
寝転がるスレスレの体勢から、突き上げるようなドロップキックを見舞う。
クローディアがよろめく。
「龍子、久しぶりにセコンド、来てくれたね」
「こいつら、ましろが一人のときばかり狙ってた。あたしのアドバイスを恐れてだ」
「けど、どうしよう。レイジも三日月も、クロちゃんには通用しないよ。あの分厚い筋肉が全部ダメージを吸収しちゃう」
「だったら、カウンターだな」
そんな簡単に言われても。
「あんたは、なんの為に蒼月流を学んだ? あたしのモノマネをするのが目的か? 違うね。あんたの辛い修行は、今日、この日の為にあったんだ」
「蒼月流を、クロちゃんに打てってこと?」
自分は、蒼月流を学んで、まだ日が浅い。
付け焼き刃の拳法で、クローディアの装甲のような肉体を貫けるのか。
「あいつは勝利を確信している。そこに必ずスキが生まれるさ。ほら、来たぞ」
振り返ると、クローディアが掴みかかってきた。
またグラウンドに持ち込まれるかと思えば、身体をひっくり返される。
天地が逆転した瞬間、投げ飛ばされた。クローディアの必殺技、ジャック・ハマーだ。
肺の中の空気が失われ、再び眼を回す。
ましろはマットで大の字になったまま、動けない。これまでか。
クローディアが、ロープを登っていく。コーナーを登り切り、ジャンピングセントーンが飛んできた。
高い。まるで崖から振ってきた岩だ。
そこで、思わぬ死角を見つけた。
「今だ、ましろ!」
ここだ。
クローディアは完全に腰を曲げ、背中を向いている。
勝負するなら今しかない。
ましろは逆立ちで立ち上がり、そのままクローディアへ拳を突き出す。
クローディアが、一瞬だけ振り返った。しまったという表情をする。
「セントーン、敗れたり!」
ましろは渾身の正拳突きを、クローディアの背中に叩き付けた。
『あっと、ティグリス選手、セントーンを繰り出したピサロ選手にパンチを叩き込んだ!』
クローディアの身体が、ズルリと落ちる。巨体が、マットへ深々と沈み込んだ。
クローディアは立ってこない。
ゴングが鳴るまで、ましろは自分が勝ったと自覚できなかった。
「できた。わたしにも、蒼月流が」
「ましろ!」
耳元で龍子が何かを言っている。
龍子に声をかけられ、ようやくましろは勝利を自覚できた。
レフェリーがましろの手を上げようとする。
ましろは、龍子の手も持ってもらうように告げた。
審判に腕を上げられ、龍子の顔に苦笑いが浮かぶ。
龍子と一緒に勝つ。
その思いが掴ませた勝利だった。
もし龍子がいなければ、自分は諦めていただろう。
「ナイスファイト、マシロ」と、クローディアがハグを求めてきた。
「アンド、ナイスアドバイス、リンコ」
ハグに応じ、龍子もクローディアと抱き合う。
満足げに、クローディアは引き上げていく。かと思えば、急に立ち止まった。
「アリガトウ、皆さん。では最後に」
クローディアは、両腕を広げる。
「ノオオオオ、フューチャーッ!」
両手で×印を造り、客と一緒に、いつもの決めゼリフを行う。
「センキュー皆さん!」
ましろは、いつまでもクローディアの背中を見送った。
『さあ、準決勝、大方の予想を覆し、ティグリス選手がキュンキュンピサロを下し、決勝へと駒を進めました。では、一週間後の決勝戦でお会いしましょう!』
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