ましろ、プロレス道場へ弟子入りする
ましろはビル街へ向かった。
龍子の養母が仕切る道場があるという。
「おーい、ましろー。こっちこっち」
入り口の門の前で、龍子が待っていた。
古武術の道場と言っても、外見はプレハブ小屋だ。学校の体育館ほどの大きさである。
壁の向こうから、マットを叩き付ける音が響く。汗の臭いまで伝わってきそうだ。
格闘技戦に参加している間、ここで特訓となる。
中に入ると、袴を着た小さな女性が挨拶をしてきた。
「大河ましろ、よく来なさった。ワシがこの道場の館長を務める、蒼月ワコじゃ。手続きなどで会社を離れられぬ大永社長の代わりに、お前さんのトレーナーを務める」
蒼月、ということは彼女が龍子の養母か。
「この人が、あたしの育ての親だよ」と、龍子から説明を受けた。
それにしても、ワコの背は低い。龍子も相当背が低いが、それ以上だ。まるで小学生である。こんな小さな身体で――。
「格闘技なんてできるのだろうか。とでも思うておるのじゃろう?」
ましろは背筋が凍り付くように思えた。
心を読まれたのか?
「いやいや、顔に書いておるよ。ワシもよく言われるからのう」
ワコにとっては、ましろの持った疑問など日常的に聞かされるらしい。
「長谷川茜の父が、本来は蒼月流を継ぐはずじゃった。あやつが亡くなった後は、ワシが跡取りとなっておる。ワシは、ジゼル南武と死闘を演じたこともあるのじゃぞ?」
「一時間、ずっとコントみたいな試合してたじゃねーか」
鼻を高くしていたワコに、龍子が茶々を入れる。
「一時間も客を笑わせることがどれだけキツいか、お主にはわかるまいよ。これじゃから若い衆は」
ワコ館長に、身体を吟味される。
肉付きや骨格を観察されているようで、内臓まで調査されている気がした。
おもむろに、ワコ館長にバストを鷲掴みされる。
「ふびゃあ!」と、変な悲鳴を上げてしまう。
「ふむふむ。胸はDカップと」
手をワキワキとさせながら、ワコ館長は納得している。
「大きいのう……。龍子もデカイが、サイズ的には、ましろに負けとるのう?」
「そうかな。あたしがチビだから大きく見えるんだぜ。多分ましろと大きさは変わらないさ」
確かに、龍子はいわゆるトランジスタ・グラマーというタイプだ。
「ところで、ましろは寮で暮らすのかい?」
なんでも、この近くにカレイドスコープの女子寮があるらしい。龍子もそこで暮らしている。
ノーフューチャーなどの一部団体も、全寮制らしい。
「でも、学校より近いんだよね。この道場」
「ならば、通いでいいじゃろ」
ワコが、門下生の方へ身体を向けた。
「皆の者、今日からこの道場に通うことになる、大河ましろじゃ。仲良くするんじゃぞ」
「えっと、よろしくお願いします」
ましろは頭を下げた。
門下生たちの視線が突き刺さる。
このまま、いわゆる「かわいがり」に突入するのでは、という雰囲気だ。
「カワイイーッ」「初めまして!」「昨日の試合見たよ!」
門下生全員が、一斉にこちらへ握手を求めてきた。最接近してきたジム生の表情が、一気に歓迎ムードへ。
過剰なスキンシップの後は練習タイムとなる。
メニューを知るという体で、軽くこなす程度だが、それでも過酷な内容だった。
終わったときには汗だくとなり、腹筋や太ももの筋肉が悲鳴を上げる。立っているのがやっとだ。
「よし、じゃあラストだ。スパーしようか」
「待てい。ワシがましろを相手しよう。お主の実力を見てみたい」
いくら蒼月流とはいえ、身体が小さすぎる。
これでプロレスになるのだろうか。
ましろは早速、四角いマットの上に立つ。
龍子はロープの後ろで待機した。
「よろしくお願いします」
挨拶の後、ワコに突っ込んでいく。とにかく様子を見る。
だが、その控えめな突進がアダとなった。あっけなく投げ飛ばされる。
何をされたかわからない。気がつけば胴体と右の太股に手が入り、ボディスラムを決められていた。
これまで、いろんな人から投げ技をくらってきた。そのどれにも該当しない。
「全力で参れ。でないとケガをするゆえ」
そうするしかないようだ。
「倒すつもりで行かないと、かえってケガするぜ!」
龍子が、後ろから声をかけてきた。
転倒狙いで、ましろは足を狙う。下段回し蹴り。
だが、直前に横っ面へ掌打を受けた。動き潰される。
「よい動きじゃ。踏み込みに隙がない。じゃが、まっすぐ過ぎて動きが読めるぞい」
気持ちを切り替えて組み付く。今度は組んだ状態から、返し技に対抗する。
ワコ館長の脇が空いている。投げを……。
「あれ?」と、大声を上げてしまう。
どういうわけか、軽いはずの館長を投げられないのだ。ここまで腰が重いのか。
「お主の力を殺しておるんじゃ。こうやってのう」
意識していたのに、いつの間にか肩の間接を決められている。しかも片腕で。
「こうやって返すことだってできる。それい」と、ワコはほんの少し力を入れる。
それだけで、肩甲骨に激痛を感じた。堪らず膝を崩してタップをする。
「これが、蒼月流かぁ。敵わない」
マットに四つん這いになって、ましろは息を整える。
「慣れとらんだけじゃ。今日からみっちりしごくので覚悟せい」
その後一時間、蒼月流の技を叩き込まれた。
大きい選手相手に、自分が学んだ全てをぶつける。特に投げは相手を面白いほど投げ飛ばせ、楽しささえ感じられた。
「次は技を見る。なお、こちらからは攻めぬ。打ち込んでみせい」
ワコが、プロテクターや防具を身につけ始めた。
以前の試合を思い出す。あのときはどうやって闘っただろう。
「館長はプロテクターを付けてるんだ。遠慮しないで思い切り打ち込みな」
「わかった」
龍子のアドバイスに従って、ローの後にジャブを繰り出す。その後で本気の掌打を組み込む。
「その掌打、いい感じぞ。虎が本気で獲物を切り裂く感じじゃわい」
そうアドバイスされて、ますます速度を上げてみた。手を開き、フック気味に打つ。
「ええぞい。反撃させぬつもりで」
ヘトヘトになるまで打ち込んで、時計を見た。まだ一分しか経っていない。相当集中していたようだ。
「これはええ。よし、名を決めようぞ」
「タイガーレイジなんてどうだ? 虎の怒り。虎が怒って暴れ出すイメージで」
龍子の一言で、ましろは即決した。
「いいね、それでいこう。今のラッシュ技はタイガーレイジで」
トントン拍子で、ましろの設定が出来上がっていく。
一六時から一九時までみっちりと汗をかき、気がつけば窓から星が覗いていた。
「今日はこれまで。整理体操の後、夕食に向かうがよい」
ましろは厨房を借りて、皆に豚汁を振る舞う。
これでもスタッフや役者たちの胃袋を支えてきた自負がある。
「ああ、懐かしい味。実家に帰りたくなってきた」
門下生が、具の小芋を含んで顔をほころばせる。気に入ってもらえたようだ。
「確かにうまい。豚汁のときだけ、ましろに作ってもらおうかな」
白米と一緒に豚汁をかきこみながら、龍子が調子のいいことを言う。
「あのねぇ。あくまでもトーナメントまでの約束だからね」
「いやいや、そんなこと言わずにずっといてくれよ」
「ダメッ。撮影があるんだもん。ずっと試合ばかりはできないよ」
ましろが試合をするのは、選手権が開かれている期間だけだ。
本格的に格闘家として生きるかどうかは、まだ考えていない。
「えー、もったいないって。役者だっていいけどさ、ましろの技は絶対格闘技向きなんだって」
「龍子さぁ、どうしてわたしに拘るの? もっと強そうな人が、いっぱいいるじゃん」
ましろがそう尋ねると、龍子は首を振った。
「アクションシーンになったときの、人が変わったような身のこなしを見てさ、このスピードと反射神経は絶対欲しいと思ったんだよね。試合映えするっていうか」
「わたしの動きは、演劇向きじゃないってこと?」
「ティグリスは続けて欲しいけどな。あんたの強さは、実戦的だと思うぜ」
そうだろうか。自分には全く自覚がないの
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