第2話 フェアじゃないとね
「そっか、ちゃみの彼氏、フェイマスだ」
「……それで、ときどきああいうお客様が」
「へえ~。よかったね、繁盛してるんだ」
「まあ……金曜日だけ来てロングカクテルとピクルスで粘る女よりは……」
ことあるごとにねちねちと……。たしかに、毎週末だけ来てロングカクテル数本とピクルスで長々玲生くんとお喋りしてるけれども。
でも玲生くんは、ここで夕飯を食べていくんだから多少はお金を落としているはずだ。
カクテルをつくり終え、いずみくんがホールに出て行く。珍しい、というか初めて見る光景だ。ソムリエエプロンを格好よく着こなしているその姿に、女の子たちの目は完全に釘付けだ。
「あのぉ、知り合いの紹介で来てみたんですけど、カクテルがとっても美味しいって!」
「ありがとうございます」
で、出た~! お客様用の、わたしに絶対向けられない微笑み~!
「なんかカクテルの大会でけっこういい賞をもらったことがあるって聞いたんですけど」
「……ああ、まあ、昔の話です」
…………。
くるり、と玲生くんのほうを見ると、なんてことない顔をしてちびりとスコッチを舐めている。
「その話知らないんだけど」
「あ、そうなの? 三年くらい前かな、若手のバーテンダーの登竜門的な大会で銀賞だかなんだかもらってるんだよね」
「へ、へえ~……」
銀賞なんかもらったんなら、何か副賞の盾やトロフィーみたいなものくらいありそうだけど、この店にはそんなものは飾られていない。
それに、そんな賞を受賞したことがあるのならもう少しそれを売りにしてにぎわってもいいのに、と思う。なぜ、ひけらかしたり看板にしないのだろう。
「ねえ、いずみくん」
「はい?」
散々絡まれてうんざりして戻ってきたいずみくんに、疑問をぶちまける。
「賞取ってるんだったら、なんでそれを売りにしないの?」
「……」
なぜか深々とため息をついたいずみくんが口を開いた途端。
「すみません、注文いいですか~?」
「はい、ただいま」
再びテーブル席のほうに行ってしまう。その背中をなんとなく眺めていると、ちらり、と片方の女の子と目が合ってものすごく怪訝そうな顔で逸らされた。
見すぎたか、と反省して、視線を玲生くんに戻す。玲生くんはあまり向こうには興味がなさそうで、いずみくん特製のさつまいもポテサラを食べている。
「いずみさんは、ほんと性悪だけど、料理だけはうまい」
「……カクテルも美味しいよね」
「うん。味覚が優れてるのかなあ、まさかっていう組み合わせを美味しくしちゃうよね」
「たとえば?」
「今までで一番美味しかったのは、納豆とアボカドをわさび醤油でペーストにしてクラッカーに載せて、最後に海老をトッピング」
「うわっ……味の想像できないけどなんか美味しそう……」
美味しいやつしか入ってない。
「たしかメニューにあったはず……」
「え、マジで? ……でもわたし今給料日前だからなあ……」
「ええー。カナッペ一皿食べる余裕もないの?」
「あるけどさ」
そうだよな、小腹も空いたし注文するかな。
戻ってきたらお願いしよう、と思っているのだが、なかなかどうしてカウンターのほうに戻ってこない。
「お名前なんて言うんですかあ」
「……
ふうん、あなた二宮いずみくんっていうのね。
「彼女とかいるんですかあ」
「ふふ、どうでしょうね」
「あ、これはいるでしょ~!」
「だってこんなにかっこいいですもんね~」
なんというか、これが正しい姿なんだろうな、と思う。
いずみくんは男前だし、話術だってある。こうしてふつうにお店に人が来るなら、ああして世間話(と呼べるかはあやしいが)に花を咲かせるのが正解だ。
なんだかんだ言ってまだ二十五歳だし、ああして異性と軽口を叩くのも楽しいのだろう。
大人びて見えるが、そう、彼はわたしより五歳も年下なのだ。急にそんなことを再認識してしまい、戸惑った。
「七緒ちゃん?」
「……わたし、帰ろっかなあ……」
「えっ」
玲生くんがきょとんと目を見開く。それから、わたしの発した言葉の意味を理解したのか、眉を下げた。
「なんで? 俺だけじゃ不満なの?」
「あ、いや、そういうわけでは……ないんだけど……ねえ?」
「そういうわけでしょ! どうせ七緒ちゃん俺だけじゃ満足できないんでしょ!」
「誤解を呼ぶ表現やめてくれるかなあ」
はふう、とため息をついて玲生くんの頭をぽんぽんと撫でる。途端に、喉を鳴らさん勢いで手に擦り寄ってくる。きみはほんとうにわんこだなあ。
そのまま両手を使ってぐりぐりわしゃわしゃしていると、いつの間にか戻ってきたいずみくんに勢いよくその手を掴まれ引き剥がされた。
「なによ」
「俺を差し置いていちゃいちゃしてるんじゃねーよ」
「いいじゃん、別に」
「そうだよ、いいじゃん別に!」
「駄目だ」
むすっとした顔で、わたしの手首を掴んだままため息をつく。ひんやりした手が、離れていく。
カウンターに手を下ろすと、その手の甲をいずみくんの指が撫でた。
「こっちはまあまあ焦ってんだよな」
「え?」
「いや……、とにかく、聞こえてましたよ。帰らせるわけないでしょ」
「ええ~」
会話の途中で玲生くんがひょいと背後のテーブル席に注意を払う。それにつられて振り向くと、まあ当然、女の子たちがつまらなさそうな顔をしてこちらを見ている。
その面白くないという感情が、単にいずみくんと喋れないからではないのは一目瞭然だし、こういう視線をたぶん針の筵と呼ぶのだ。
「……やっぱ今日は帰る」
「え、ちょっと」
「はい、チェック!」
「ええ~……」
無理やり会計を出させ、お金を押しつける。散々渋った末にレジを開けるいずみくんの横顔は、レモンを齧ったこどもより酸っぱい。
「じゃあね~」
「あ、七緒さん、また連絡するから」
「じゃあねいずみさん~」
「おまえは残れ」
同様にチェックをしようとした玲生くんの肩を掴み引き留める。
「ええ、なんでよ」
「俺をここにひとりにするな」
小声で何やらごそごそやっているのを無視して、ドアベルを鳴らし店を出る。
暦の上では秋、しかしまだまだ夜でも暑い。じめじめ感は減ってきた道をとぼとぼと歩いていると、背後からととと、と駆けてくる音がする。
「七緒ちゃん! 駅まで送る!」
「あれ? 残るんじゃなかったの?」
「うーん、歩きながら話そ」
となりに追いついた玲生くんが、大げさに息を吐き出す。
「いずみさん、俺と七緒ちゃんがふたりになるより、自分が女の子ふたりの餌食になるのが嫌で俺に残れって言ったんだよ」
「まあ、それはなんとなく察してた」
「で、俺が伝家の宝刀を抜いたわけ」
「何それ?」
いずみくんが面倒事をしょってまで玲生くんを帰したがる理由はなんだ。
街灯の点在する住宅街をとぼとぼ歩きながら、彼は、にひひと笑った。
「ここ、駅まで距離あるじゃん」
「そうだね」
「七緒ちゃんひとりで帰らせるの~? って」
「…………あー……」
ちょっと照れくさすぎる理由だったので、なんとも言えないでいると、玲生くんはにっこり笑って顔を覗き込んできた。
「これでも俺、いずみさんには信頼されてるんだよ。毎週閉店作業あるから七緒ちゃんのこと送ってあげられないの気にしてるから、俺にあんまり強い酒出してくれないんだ」
「あ、あー……そう、なの……ね……」
聞けば聞くほどいたたまれなくなる。
三十路の女が五つも年下の男にそういった扱いをされている、というのがものすごくむず痒い。
「って、いうのを、俺ばっかり七緒ちゃんとの時間あるのがフェアじゃないから、伝えておけ、といずみさんが」
「……それ言っちゃうと台無しなんだよ、玲生くん」
「あ」
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