第7話 俺に出させてね

「七緒ちゃん! こっちこっち!」


 人の多い駅前で待ち合わせをして、玲生くんを探してきょろきょろしていると、呼ばれると同時に腕を引かれた。

 軽く背後に倒れかけたところで、背中がとんとあたたかいものに当たる。振り向くと、わたしを腕の中に収めにこにこしている玲生くんがいた。


「待たせてごめんね」


 え、玲生くんすっごいいい匂いするじゃん……。


「ううん、今着いて探してたところだから待ってない」

「そっか」


 横に並んだ玲生くんを足の先から頭のてっぺんまでじろじろと眺める。

 デートのたびに、やっぱり彼は二十三歳なんだなあ、と思う。なぜなら、私服がほんとうのほんとうに今どきの若者なのだ。

 スーツとは違う、少し緩めのシルエットの黒いパンツに、足元はつやのある革靴、上半身はコンパクトなオフホワイトのオープンカラーシャツにブラウンのチェスターコート。クラッチバッグってお洒落な若い子と荷物の少ないおじさんしか持っちゃ駄目なやつ……。


「ど、どしたの?」

「いや……玲生くんっていつもおしゃれだよね」

「え」

「なんか……となり歩くの恥ずかしいわ……」


 玲生くんが、きょとんとして、わたしがやったようにわたしの足の先から頭のてっぺんをまじまじと見た。


「た、たしかに……ちょっと俺こどもっぽいね……?」

「いや、そういうつもりで言ったんじゃないけど」

「七緒ちゃんいつもキレイめの服着てるもんね……そのタイトスカート超かわいいしお尻のライン出てエロい……」

「玲生くん」


 あまりにも自然に手が伸びてきて、叩き落とすのが一瞬遅れて軽くお尻を撫でられた。油断も隙もない。

 まあ、集合した今になって、お互いの服装の系統が違うことを嘆いても仕方ない。割り切って、歩き出す。


「今度は変な濡れ場がないことを祈ろう」

「あはは、七緒ちゃんてほんと面白いよね」


 映画館で、玲生くんが三日前に取っていてくれたチケットを発券し、自分の分のお金は有無を言わさず握らせる。

 ぶうぶうと文句を言っているが、ここで御曹司に甘えたらいろいろと終わってしまうので、きちんと線引きはしないと。


「いい席取れてるね、すごい」

「でしょ~。夜中にスタンバイしてた」

「ありがとう、すごい!」


 真ん中列の真ん中席、という絶好の位置をすっと取ってくれて、そしてその功績を謙遜しないあたりかなり好感が持てる。

 わたしも玲生くんもポップコーンや飲み物を持ち込んだり、パンフレットで事前学習するタイプではないので物販をスルーして、薄暗い館内の席に着く。

 館内は少しひんやりしていたので、脱いだコートを膝掛のようにしてその上からバッグを置くと、玲生くんが心配そうに覗き込んでくる。


「寒い?」

「ん、ちょっとだけ」

「俺のコート着る?」

「大丈夫、ありがとう」


 結論から言うと、映画は大当たりだった。

 初デートのときと同じく、ヒューマンミステリーで、ひとつの殺人事件を追う刑事の目線で進む話だが、周囲の人間の愛憎が丁寧に描かれてゆき、圧巻のクライマックスに思わずハンカチを濡らした。


「はー……よかったね……」

「まさか序盤の公園の会話があんな盛大な伏線になってるとは……」

「流れを理解した上ですべての伏線を回収するために二度観したいね」

「それ」


 化粧が崩れないようにハンカチで押さえていたのだが、映画館を出たところで玲生くんが軽くわたしを抱き寄せて耳元に口を寄せた。


「七緒ちゃん、メイク直しておいで。あそこのトイレ、混んでないみたいだから」

「……申し訳ない……」

「いいよ、全然」


 急いで駆け込み鏡の前を陣取って、少し落ちてしまったマスカラを取り除き(ファイバータイプにしたことを心から褒めたい)、目の周りのよれたファンデーションを軽く直し、ついでにリップも塗り直して外に出た。

 トイレの横の通路で待ってくれていた玲生くんに声をかける。


「ごめんね、ありがとう」

「ん、泣いちゃった顔もかわいかったけど、今はもっとかわいい」

「……どうもね」


 だめ! このご尊顔にかわいいなんて言われた日にはチークいらずの湯上がり美人になっちゃう!

 既婚者は人格者、っていうのは間違っているが、女は褒められてうつくしくなっていく、というのはあながち嘘でもないかもしれない。と心から思った。

 なんたって、最近わたしは一段ときれいになったらしいし。(いずみくんと玲生くん調べ)


「夜ごはん食べよ!」

「何食べたい?」

「ん? んーとねえ……」


 少し早い夕食に、玲生くんはシネコンの入っている駅ビルから少し歩いた、雰囲気のいいバーを提案してきた。

 連れてこられて店に入り、ぱちぱちとまばたきをする。


「こんなところあったんだ」

「七緒ちゃんが、新しい穴場見つけたいって言ってたから、俺なりに探したんだ」


 コートを脱ぎながら、玲生くんがにっこりと目尻を下げた。

 あんな酔っ払いの戯言に本気に向き合ってくれて、しかもこんないい感じのところをしっかり見つけてくる。これはモテてモテて仕方ないだろう……。


「って言っても、俺も一度しか来たことないから、あまり詳しくないけど……。あ、でもカクテルの味はいずみさんに負けてないよ!」

「えー、わたしは舌が肥えておるぞ~?」

「ちゃんとお酒が濃いし、バーテンダーさんもじょうずだよ」


 適当に返したつもりの冗談が真面目に打ち返されて、ううむ、ちょっと恥ずかしい。

 スペインバル風のその店で、わたしはホワイト・レディ、玲生くんはマルガリータを、そしてピンチョスを数点頼んで、お酒がきたところで軽く乾杯する。


「お酒久しぶり~」

「七緒ちゃん、家では飲まないの?」

「うーん、飲むけど……最近はいずみくんのカクテルが美味しすぎて、それこそ舌が肥えちゃったから、あんまり飲まなくなったなあ」

「そうなんだ。シャントに最近全然来てくれないしね」


 あそこは玲生くんの店ではなかろう、と思いつつ、口をつける。


「美味しい!」

「でしょ!」

「酒が強い!」

「そこ?」


 その辺の居酒屋やちんけなバーとは比べ物にならない、圧倒的な酒の味である。

 美味しくて、思わず一気に飲み干す。


「あ、七緒ちゃん、それ度数高いでしょ! 駄目だよ!」

「えー、いずみくんみたいなこと言うね」

「……」


 苦虫を噛み潰したような顔をした玲生くんを尻目に、ピンチョスを運んできた店員さんに新しいカクテルを頼む。

 玲生くんが適当に頼んでくれたピンチョスも、それぞれ美味しい。ここは当たりだ。

 店内を見回す。シャントよりは広いけど、そんなにキャパのない店に、わたしたち以外には女の子ふたり組とカップル一組がいるのみだ。薄暗い店内にはお酒の瓶がたくさん積まれていて、ワインの種類が多いみたいだ。


「いいとこ見つけたねえ」

「……シャントより?」

「……」


 ぱち、とまばたきして玲生くんを見る。期待と絶望が入り混じったような、複雑な顔をしている。大方、いいところを見つけてきた自分を褒めてはほしいけれど、シャントのこと――いずみくんのことを蔑ろにしてほしくないのだろう。

 わしゃわしゃとその絹のような髪の毛を掻き混ぜる。


「わっ」

「馬鹿だなあ」

「なにが」

「玲生くん、彼女盗られてもいずみくんのこと、大好きなんだね」

「……大好きとは少し違うんだけどね……」


 七緒ちゃんには敵わない、と言ってふわりとほどけるように笑う。

 そしてわたしは、美味しい食事と目の前の最高の酒の肴、つまりうつくしい顔でどんどんお酒が進んでしまった。

 ここはシャントじゃないので、頃合いを見て止めてくれるバーテンダーもいない。

 気づけばわたしと玲生くんはべろべろに酔っ払って、なんとかわたしのカードで支払いを済ませ、夜の街を肩を組んで闊歩していた。


「玲生くんさあ、前に言ってたじゃん」

「なぁに?」

「自分の彼女とか奥さんが、ほかの人とエッチしてるのが興奮する。って」

「ああ~、言ったねえ」

「あれってさあ、逆はないの?」

「逆?」


 言い訳させてほしい、わたしは酔っている。


「いずみくんの好きな子を寝取っちゃうとかさ」


 許してほしいよ。だってわたしは寛人と別れてから随分ご無沙汰だったし、ぐでんぐでんに酔ってたし、正直なところ、わんこみたいにかわいい玲生くんが、どんなふうに女を抱くのかが気になってしまったんだ。

 それに、今日のデートはすごく楽しかった。

 きょとんとした玲生くんは、きっとわたしのこの言葉の意味を理解した。


「どうだろ。試させてよ」


 耳元で、いつもより数段低い声で囁かれ、頷いた。

 手頃なホテルを探しながら、玲生くんこんなにお酒入っててちゃんとできるのかなあ、たつのかなあ、と的外れな心配をしていた。


「さっきのところ、七緒ちゃんが奢ってくれたから、ホテルは俺に出させてね」


 ◆

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