続編

第1話 彼目当ての女たち

 金曜の昼、領収書の山と戦いながら、それに気づいてふと首を傾げる。


「……?」


 シャント。と書いてある営業部からの領収書だ。シャントってあのシャントか?

 営業部が接待に使った飲食店の領収書が流れてくることは珍しいことではないのだが、あの場末のバーを会社都合で使うとはとても思えなかった。同名の別の店か?

 とりあえず確認するか……と電話を取り内線番号を押す。


「あ、お疲れ様です、経理の白石です。領収書の件でお聞きしたいことがあるのですが」

『ああ、白石さん! お疲れ様です!』

「……シャント、という飲食店の領収書について、分かる方いらっしゃいますか?」

『シャント……、ちょっと待ってくださいね』


 保留の音声が流れ、指でつまんだシャントの領収書を見ながら、ふと玲生くんが先週末に言っていたことを思い出した。


「なんか、七緒ちゃん最近ますますきれいになったよね」


 初デートのときに揚げ足を取ったからか、ちゃんと「ますます」とつけてくれたあたり成長がうかがえてほほえましい。

 そしてそれに同意したいずみくんの言葉も。


「そうですね、肌のツヤがよくなったような」


 頬に手を当ててみる。そうかな。

 怒涛の夏が終わり、秋も深まってきた。たしかに、アイメイクをボルドーに変えてはみたが、ベースは何も変えていない。

 内面からきれいになったのならうれしいが、理由が特に見つからない。あえて挙げるとすれば、結婚という概念との決別か?


『もしもし、有村でっす』

「あれ、ちゃみ」

『シャントの領収書、あれあたしなの』

「……あのシャント?」

『あのシャント』


 ちゃみがあの店を使ったのなら、まだ納得がいった。まず、あの店を認知することがふつうの駅前で済ませる人には難しいのだ。

 わたしだって、傷心のためにぎわいを見せる駅前から離れようと思わなければ見つけることはなかった。


『個人的な食事だったんだけど、ついいつもの癖で領収書出してもらっちゃって、そんで知らないうちに紛れ込んでたってわけ。だから、それ破棄してくれちゃっていいよ、プライベートだから』

「ああ、そうなの……」


 まあ、そうだよな。いくらあの店を知っていたからって、仕事の都合であんな駅から遠い店、なかなか使わないよな。

 通話を切ってその領収書を眺め、あることに気づいた。

 ひとりで飲み食いした額ではないなあ、と。

 日付が今月頭の週末になっているので、友人や彼氏でも連れて行ったのだろうな、と。まあ、そういう趣味や気分であるならともかく、わざわざひとりでバーに行かないよな、と。


「……仕事しよ」


 わ、わたしだって、バーでたまたま落ち合うだけで、実質玲生くんと一緒に飲んでるようなものだし? そもそも知り合いのバーテンダーがやっている店というそれだけでもうひとりじゃないし?

 なんだかんだと負け惜しみのようなことをぶつぶつと脳内で呟きながら、黙々と領収書をさばいていく。

 そう、わたしはひとりご飯ができないタイプの人間だ。本来なら。

 ご飯は絶対誰かと食べたほうが美味しいって思っているし、平日の夜家でひとり夕飯を食べるのはかなり苦痛だ。

 なので、恋愛するの疲れた! や~めた! と言ってみたところで、今はいずみくんと玲生くんがいてくれるから成り立っているが、彼らがいなくなったらたぶん耐えられなくなって恋活を始める。

 さみしい、という感情に敏感なうさちゃんなのですよ。


「うさちゃん~?」

「あー言うと思った思いましたどうせそんな柄じゃありませんですよ~」


 シンガポールスリングのグラスをカウンターに叩きつけると、目の前のバーテンダーはにたりと笑った。


「いや、いいんじゃないですか、うさちゃん。ふはっ」

「馬鹿にしてる! 馬鹿にしてる!」

「いずみさん! 七緒ちゃんをいじめないでよ! かわいいでしょ、うさちゃん!」

「なんかフォローされんのもそれはそれでみじめだなあ……」


 わいわいとそんなことを話していると、店のドアが開いた。


「いらっしゃいませ」

「あ、二名なんですけどぉ」


 玲生くんと顔を見合わせる。珍しいこともあるものだ、若い女の子がふたり、ご来店である。

 ほぼ住宅街の中に埋もれているこんなところに来るのは、わたしのように迷い込んだ人、もしくは玲生くんのように近所の高校に通っていた子、そしてカフェタイムの常連くらいである。

 彼女たちは、店を探しあぶれさまよった結果ここに来たのだろうか。

 テーブル席を案内したいずみくんに、女の子たちはきゃあと色めき立った。それを見ていた玲生くんがぼそぼそと、わたしにしか聞こえないよう小さな声で言う。


「いずみさん目当てなのかなあ」

「そういう人って来る?」

「……俺はあんまり見たことないけど、でも、あの人たち……」

「……?」


 テーブル席は背後にあるので見ようと思うとかなり不自然なのだが、それでもちらりと見る。


「なに?」


 ふつうの、会社帰りっぽい女の子たちだ。年齢はおそらくいずみくんと同じか少し上下する程度、華やかなウエーブのかかった茶色いロングヘアとストレートヘア、メイクは似たような感じ。知り合いじゃなかったら見分けがつかないような似通ったオフィスフェミニンの服を着ている。

 特別、変なところはない。


「ちらっと見えた社員証が」

「え、そんなの見えた?」

「うん。フェイマスのロゴ入ってた」


 フェイマスというのは、日本人なら誰もが知っている、カメラやオーディオ機器の会社だ。

 ん、待てよ。


「あの会社の自社ビルって、こっちと反対方向じゃなかった?」


 そう、フェイマスはここの駅前に自社ビルがあり、それはこちらとは駅を挟んで反対方向に少し歩いたところにあるのだ。

 あ、だからか。


「うん。だから、たまたまじゃなくてわざわざここを選んできたのかな、って」

「なるほど~」


 ふたりから注文を受けたいずみくんがカウンターの内側に戻ってきて、カクテルと軽食の準備を始める。

 手を動かしながら、彼はわたしを睨みつけた。


「この間」

「え?」

「七緒さんが前に連れてきた女性が、彼氏を連れてここにいらしたんですけど」

「ああ、ちゃみ?」

「そう、亜沙美さん」


 こんなに凄まれながら友達の話題出されることある?


「その彼氏ってのが、どうもここのことを口コミしているらしく」

「あ!」


 思い出した。ちゃみの彼氏はフェイマスに勤めている。

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