第15話 ことの顛末
婚活、お見合いというものは、かくもメンタルを削られるものなのか。
「白石さんは、結婚相手には何を求めますか?」
いかにも神経質そうに眼鏡を押し上げ、三十代なかばの男はそう言った。話の流れとしては自然だったけれど、いきなり核心に踏み込んできてくれた感は否めない。
わたしは、手元の紅茶をひと口舐め、言い放つ。
「ふたりで暮らしていける年収と、ともに暮らせる清潔感、そして何より似通った価値観を求めますね」
「似通った価値観……というのは?」
「
「……」
最初のお見合いのあと、三十代なかばの棚田さんから二度目のデートの誘いが来ることはなかった。
ちゃみがあきれ返ったようにパスタにフォークを絡めている。
「あんた、そこで本音ぶちまけてどうすんのよ」
「でも相手に変な期待されたくないし……それに、婚活サイトに登録してる人ってみんなわたしみたいに恋愛というプロセスをすっ飛ばして結婚したい人たちなんじゃないの?」
「それはあまりにも浅はかな考え」
職場近くのパスタチェーン店でのランチ中にわたしの人生相談が幕を開けようとしている。
トッピングのエビにフォークを刺したちゃみは、エビが刺さったままのフォークをわたしに向けた。お行儀。
「たとえそういうプロセスすっ飛ばして結婚したい人だったとしても、そう言わないのがふつうなの! だいたい、結婚相談所がサポートしてくれるのは基本出会いだけなんだから、そのあとデートを重ねるってことはもう完全に軽い恋愛の延長上に結婚があることは避けられないでしょ!」
完璧すぎて打ち返す隙のないスマッシュが決まった。なすすべもなく顔面でその球を受けることとなる。
「そんなんだったら、それこそお母さんが紹介する相手とさくっと結婚するほうがましじゃない?」
「うちの母親の趣味がえげつないんだって……」
「たとえば?」
「わたしの地元の地方銀行勤めの長男坊」
「えぐっ」
三日と間を置かず帰ってこい見合いをしろいい相手はいないのかとやってくるラインに、うんざりする。未読無視しよう……とトーク画面を開くこともしないで放置していると、いずみくんからラインがきた。
『婚活順調ですか?』
がくっと身体の力が抜ける。まるで見ているかのようにタイミングがよすぎて寒気がするくらいだ。奇しくも今日は金曜日、いずみくんにたっぷり愚痴を聞いてもらいに行こう……。
「ねえ、ちゃみ……」
「なに」
「わたしはなんで婚活しているんだろうな……」
「……親を安心させるため……?」
「だよねえ」
腑に落ちないけどそうなんだよなあ……。なんで自分の人生の大事な節目を、誰かのために決めなくちゃいけないんだろうって気持ちではあるけど、でも……。
ランチを終えて職場に戻ると、ちゃみが後輩に呼ばれてさっさと行ってしまったので、歯を磨くためにトイレに向かう。
歯ブラシセットとポーチをぷらぷらさせながら通路を歩いていると、遠くからなんだか見覚えのある顔がふたつ、見えた。いやな予感……と思ってものすごく踵を返したい気持ちになる。というか実際踵を返しかけたのだが、それより先に気づかれてしまった。
「七緒」
名前を呼ばれて、もうどうしようもなくなって振り向いた。なんで呼ぶかな、呼べるかな、自分の不手際で婚約破棄した相手の名前。苦々しい気持ちで、彼のほうを見る。
「久しぶり」
「あ、うん……その……」
「奥さんの体調はどう? 妊娠中はいろいろ気遣ってあげないと、あとあと恨まれるよ」
「そのことなんだけど……」
「ごめん、そろそろ休憩時間終わるの。うちと商談? がんばってね」
「七緒」
彼のとなりで、三瀬くんが不安げな顔をして事の次第を見守っている。ぎゅっと唇を引き結んでいる。それを、はらりとほどいて、彼は言葉を紡いだ。
「あの、綾木さんの話を、聞いてあげてほしいんです……」
「え……?」
「商談はもう終わってて、今から帰るところで、もし、なな……白石さんが少しお時間取れるなら、綾木さんの話を……」
「……どうしたの? 顔色、真っ青よ?」
今にも泣き出しそうな顔で、三瀬くんは必死に言葉を繰り出している。そのただならぬ雰囲気に圧され、わたしは彼のほうを見た。
「……話?」
「……実は……」
悲痛な面持ちでわたしをじっと見つめる彼に、なんだか別れを切り出されたあの日のことが重なって、わけもなく泣きたくなる。視界の端で、三瀬くんがすっとその場を外した。
「結婚は白紙になったんだ」
「……え?」
耳を疑う。妊娠させておいて破談になる話なんてあるのか?
「あの子、妊娠はしてなかった……。女友達のエコー写真を使われたんだ」
「……」
気が遠くなって足元がふらつく。
「病院に付き合うって言ってるのにはぐらかされるし、写真もそれきりで、飲み会に行ってるのも見てしまって、おかしいって思って問い詰めたら、そう白状された」
「……それで破談に?」
「まあ……俺が悪いのには違いないんだけど……」
そりゃそうだ、心当たりがあるからエコー写真を見せられて信じるわけだし。潔白なら寝耳に水だろうが、そうじゃないから、後ろ暗いところがあるから、やばいって思うわけだ。
「それで?」
「……三瀬は……さっきのやつは、ああして俺に気を使ってくれたけど、俺は七緒とやり直したいわけじゃない」
「……」
「自分でめちゃくちゃにしておいて、虫がよすぎる話だろ、そんなの」
こいつは昔からそうだ。まっすぐで、人を疑うことを知らない。人に媚びるすべを知らない。なんでもかんでも直球で、駆け引きのかの字も知らない。そういうところがわたしはたしかに好きだった。
もうこうして過去形にしてしまいたいのに、まだ少し、そうはいかない気持ちを引きずっている。
「そうだね……、
「え……?」
「じゃあね、それが分かっただけでも、よかったね」
「……」
ほんとうは、寛人がわたしに何を言いたかったのかをなんとなく察した上で、それを無視して突き放す。それが今のわたしにできる精一杯だった。だって、こんな気持ちでやり直したってうまくいくわけない。
たぶんわたしは寛人とじゃ、うまくやっていけない。一回割れてしまった皿を継ぎ合わせても、きっと前みたいには使えないのと同じだ。次はいつ割れるかびくびくしながら、おそるおそる触れなくてはならなくなる。
三瀬くんは、あんなふうに顔を真っ青にしてまでわたしと彼を引き会わせて、何がしたかったんだろうな。元のさやに納まればいいと思った?
そうだとしたら人がいいにもほどがある。馬鹿なんじゃないのか。ほんとに。
「……」
あー、吐きそう。なんか、いろいろ。絶対今日はいずみくんの店で飲んで飲んで飲みまくってやる。
◆
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