第13話 人目はばからない

 ほろ酔いでイタリアンバルを出て、気が大きくなったわたしは、ふと、となりを同じく赤ら顔でぽやぽやと歩くちゃみに提案した。


「そうだ、どうせなら、遊びに行こうよ」

「どこに?」

「そのバー。ここから近いんだよ~」

「え、マジか。行きたい!」


 酔っ払いふたりが、金曜の夜、駅前に戻り更に道を歩きだんだん活気がなくなってくる路地を歩き行きつけのバーへ。月曜定休のそのバーの名前は、シャントという。木製のドアの前で、ちゃみがほうとため息をつく。


「おしゃれなバーだね。けっこう見つけづらい路地裏だけど」

「でしょ、穴場っていうか場末」


 けらけら笑いながらドアを開ける。ベルが鳴って、小さな音量で鳴っているジャズと、いつものいらっしゃいませに迎えられる。


「こんばんは~」


 やっぱり今日も、人がいない。金曜の夜だというのにしけている。わたしに気づいたいずみくんが、ちらりとちゃみを見た。


「今日はおひとりじゃないんですね」

「職場の同僚。来ちゃった!」


 わたしのふわふわしたノリに、すでに一杯ひっかけてきたことにすぐさま気づいたいずみくんは、スツールを示して座るよう促しながらため息をついた。


「七緒さん、俺は注文されても酒は出しませんからね」

「けち」

「あんた酒弱いでしょ」


 席に座りながら、わたしたちのやり取りを目を丸くして見ていたちゃみは、その丸い目のまま言い放つ。


「思ってたのより数倍男前だった!」

「はい?」

「いや、てっきりナナが話八割盛ってんだと思ってたんだけど……」

「七緒さんあんた何しゃべったの」

「いずみくんがわたしにぞっこんだっていう話」


 くっとその男前な太い眉を寄せ、嫌そうな顔をした彼は、目を閉じて短いため息をひとつ、ご注文はと問うた。


「わたしね~、シンデレラハネムーン!」

「やめろ」

「じゃああたしモヒート」


 さっさとモヒートをつくりはじめるいずみくんにぶうたれると、手早く、つくり終えたモヒートをちゃみの前に出して、わたしの前にはお水の入ったグラスとおしぼりを置いた。


「シンデレラハネムーン!」

「七緒さん、ここに来る前に何飲みました?」

「ええ? ハイボールと、白のサングリアとスクリュードライバーと……あと何飲んだっけ?」

「アウト。もう一滴も飲ませません」


 おまえはわたしのお母さんか何かか。


「また吐いたらどうするんですか、俺に処理させますか?」

「うっ……む……」


 おとなしく水の入ったグラスに手を伸ばす。ひと口飲んで、はあ、とため息をつく。


「なんか、あの店のカクテル薄かったなあ」

「……たしかに。このモヒート、味が全然違う」

「……どうも」


 いずみくんが、ちゃみに向けて笑みを浮かべる。あれ、わたしにはそんないい笑顔を向けてくれたことはないじゃないか?

 穏やかな、普段の俺様さのかけらもないやわらかな笑顔に、むっとして与えられた水を飲み干す。


「絶対いずみくん、わたしのこと好きだなんて嘘だ」

「あんたまだ言ってんのか」

「だって! ちゃみにはそんな素敵な笑顔なのに!」

「そりゃ、この方はお客様ですので?」


 で、出たー! そのわけの分からない謎理論!


「だいたいいずみくん、わたしのこと好きって言うわりにわたしの扱い雑だよね?」

「ええ……?」

「ええ。じゃない! もっとこう、好きな人なんだから、それなりの扱いを……!」

「はあ?」


 男前な眉をくいと上げて、いずみくんが怪訝そうな顔をした。


「じゅうぶんそれなりの扱いをしていると思いますが」

「してないよ! 雑!」


 いずみくんが、ぽかんとしているちゃみをちらりと見て、小首を傾げてわたしのほうに手を伸ばしてきた。気分がハイだったのと、とっさのことで、それを避けることができなかった。

 彼の手が、わたしの顎を捕らえて上向かせる。不敵な笑みと目が合った。


「甘やかされたい? お姫様みたいに?」

「……っ」


 顔を近づけられてささやかれ、そういうつもりじゃなかったんだけど、ちょっとこの男前に甘やかされたいと思ってしまった自分がいるのも事実であり、どぎまぎして何も言えなくなる。

 結果、わけの分からないへらへらした笑顔を浮かべてしまって、酒のせいと言い訳できない熱が顔に溜まることとなった。


「いいよ、玲生じゃなくて俺を選ぶんだったらね」


 顎をつまんでいた手がわたしの頬を挟み、ぶに、と潰してから解放する。ふっと笑った彼に、わたしは思わずこぼす。


「そうやってあまたの女の子をたぶらかしてきたんだろうなあ……」

「はあ?」


 たぶん、わたしの言葉が想定外だったのだろう、まったく心外と言わんばかりの、はあ? が返ってきて、なのでわたしは言葉を続ける。


「だって、今ので落ちない女の子っているの?」

「あんた落ちてないくせに何言ってんの?」

「うっ」

「あっもしかして七緒さんって女の子じゃない……」

「テメエ」


 三十だろうが四十だろうが八十だろうが女はいつだって少女の淡い気持ちを持った女の子なんだよ!


「ねえふたりともあたしがいること忘れてない?」


 ◆

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