第13話 お化け屋敷無理

「いずみさんは、時々こういうことするよなあ……」

「なんだ玲生、知ってんのか」

「有名だよ」

「なに? なんの話?」


 さっぱり分からないがふたりの間に共通の、ギムレットに関する認識があるようだ。

 よく分からないけど、ライムの香りが心地よくて美味しい。


「外国の小説で、ギムレットには早すぎる、っていう有名なセリフがあるんだよ」

「それはどういう意味のセリフなの?」

「小説の中で、主人公の探偵と依頼人がよく飲みに行くんだけど、最後に飲むのが決まってギムレットで、また明日ね、っていう合図なんだけど。あるとき依頼人がある事情で今日以降永遠に主人公と会えなくなってしまうんだ。それで、主人公がギムレットを注文しようとしたときに、そのセリフを言うの」

「……つまり」

「ギムレットは、さよならの意味だったり、別れを惜しむ意味があるんだよ」


 シェイカーを片づけたいずみくんが、玲生くんの言葉尻を取った。


「カクテル言葉は小説のタイトルをそのまま取って、長いお別れ、です」


 永遠は言い過ぎじゃないか? 最短一年で帰ってくるのに。

 そして今この、これからたくさん酒を飲んでやろうって決めた瞬間お別れのカクテルを出してくるの意地が悪すぎないか?


「え、……これ飲んだら帰れってことなの?」

「そうですよ」

「なんで? 今からいろいろ注文してあげるつもりなんだけど?」

「ギムレットは度数が高いですし、そもそも」


 ため息混じりで、いずみくんが眉を寄せた。

 そもそも、でいったん言葉を区切り、少し溜める。


「そもそも?」

「そもそも、七緒さんに壮行会をしてもらうつもりないので」

「え、なんで?」

「なんで、って……そりゃ好きな人に背中押されると後ろ髪引かれちゃうでしょ」

「……そういうもの?」


 そういうもの、と囁いて、いずみくんがその男前な顔をくっと歪めた。


「だから、それ飲んだらさっさと帰ってください」

「……いやです~」


 唇を尖らせてギムレットをぐいっと一気飲みすると、となりで玲生くんが顔を青ざめさせた。


「ちょっ七緒ちゃん……」

「それ度数高いって言ってんだろーが……」

「じゃ、次はホワイト・レディもらおうかな」

「話を聞け」


 シェイカーを握る気配のないいずみくんと睨み合う。

 しばし睨み合って、わたしはあきらめた。


「……分かった。今日は帰る。でも、また閉店までに来るからね。……ギムレットには早すぎるでしょ?」

「……はっ」


 いずみくんが吹き出して、玲生くんもにこっと笑った。


「七緒ちゃん、さっそく使ってる」

「せっかく教えてもらったからね」

「玲生、七緒さん送ってやれよ」

「は~い」


 玲生くんと、いつもみたいにシャントから駅までの道を歩きながら、わたしは呟いた。


「玲生くん、あのね、ごめんね」

「ん?」

「連絡、しなくて」

「……あー……」


 玲生くんの歩みが鈍る。それから、天を仰いで大きくため息をついてから、じっとわたしのほうを見た。

 玲生くんは、わたしと話すときにいつもわたしの顔を、目を見てくれるな、と今更ながらに思った。


「俺こそ、気を遣わせちゃってごめん」

「そんなこと……」

「うん、まあ、正直顔を合わせづらいなってのはあった」

「……」


 なんて言えばいいのか分からなくて、ただ玲生くんの言葉を待つしかできない自分が嫌になる。

 どれだけ年齢を重ねても、どれだけ大人になったつもりでいても、わたしはいつまでも繕えない。

 年下の玲生くんに甘えて、彼が言葉を発してくれるのを、いやもっと言えば、自分に都合のいい言葉を発してくれるのを、待っているのだ。


「でもそんなこと言ってても仕方ないし、七緒ちゃんがそんな気ないのにああいうことになっちゃったのは、分かってたから、なんかこうして避けるのも言いがかり的なとこあるよね」


 ほんとうに、玲生くんはよくできた子である。わたしの甘えをそうと分かっていながら、わたしを甘やかす。


「いや、駄目なんだよ玲生くん」

「何が?」

「わたしを甘やかしたら駄目なの。もっと、わたしの軽率な行動をなじるべき」

「……いや……たしかに七緒ちゃんも軽率だったけど、俺も応じた責任があるわけで……」

「駄目だってば、わたしは大人としての責任があるんだよ」

「…………七緒ちゃん、俺が何歳か知ってる?」


 玲生くんがあきれたように言った。


「知ってる、二十三歳」

「二十三歳って大人だよね?」

「わたしからすればまだまだ若いんだよお」

「……スコッチとギムレットで酔ったんじゃないよね?」


 酔っていないとは言えない。しかし、まだ自我を失うほどではない。

 玲生くんをこども扱いしているわけじゃないが、こちらには少しだけ長く生きてきた責任がある。わたしからすれば二十三歳なんてまだぴよぴよなのだ。

 そのぴよぴよに諭されていることについては今は目をつぶりたい。


「もうこの話はおしまいにしない? なかったことにはしないけど、俺も引きずるのやめるし。とりあえず、七緒ちゃんが俺とセックスができるっていうのを武器にこれからも迫っていく予定だし」

「……ほどほどでお願いしますね」

「うん。俺はいずみさんとは違って、最初から諦める恋はしないんだ」

「……いずみくんは、さ」


 ふと立ち止まる。玲生くんも、わたしが歩みを止めた気配を感じて、少し先で立ち止まった。

 鞄のハンドルを握りしめて、お酒の味のする息を吐く。


「いずみくんは、なんでああいうふうに言うのかな」

「ああ、って?」

「絶対、わたしにその気があれば付き合うつもりのくせに、最初から諦めてた、みたいな言い方」

「……七緒ちゃんには、その気があるの?」


 そこを突かれると痛いんだよ。

 もちろんいずみくんのことは好意的に思っているけど、付き合うとかなるとまた少し立ち止まるくらいの感情であることは間違いなくて。

 いなくなると知るとすごくさみしいけど、でもそれが、付き合うとかそういう土俵と同じ場所からくる感情なのかが分からない。


「分からない」

「だから、じゃないかなあ」

「だから?」

「いずみさんは自信満々に見えるけど、けっこうビビりでさ。お化け屋敷とか無理な人なのね」

「おお……そうなんだ……いいこと聞いた」


 あの顔でお化け屋敷無理って、おもしろ人間すぎるでしょ。


「ビビりだから、七緒ちゃんにも予防線張っちゃうんじゃないかなあ……」

「……予防線?」

「いつでも諦められるように、自己暗示みたいに言葉にするんじゃないかなあ」


 そういうことか。

 たしかに、プライドが高いところがあるから、自信があるときはがんがん攻めてくるけど、ひとたび不安になると途端に守りに入るのかもしれない。

 でもそれにしたって、そういうのはわたしに対して誠意がないと思わないか。などと自分勝手なことを考える。


「まあ、想像なんだけど」

「正解な気がする……」

「そう?」

「なんか、肝心なところで男気がないなあ……」

「ふふ。フォローすんのやめとこ」


 玲生くんが手を差し出してくるのを、わたしは華麗に無視して再び足を動かした。


 ◆

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