チートスキルとホログラフィー原理
ヒルダは、リデュケの後ろ足の腿部分に刺さっている氷の槍を溶かして、〈修復〉のチートスキルを使った。血の一滴一滴が、自分がいるべき場所を思い出したように戻っていき、不純物を選別しながら傷口を塞いだ。
王を倒すべく、スキルは厳選しなければならないが、〈修復〉は必要なスキルツリーの初期に取得するものなので問題なかった。
リデュケの負傷は治ったが、寒さで失った体力は戻っていないので、まだぐったりとしている。
「ようやくお出ましか。待ちくたびれたぞ」
しばらく存在を無視されていた骸の王が喋りだした。
「なるほど。一切チートスキルを取得しないまま、無人兵器で敵を殺すことで、経験値を密かに外部に貯蓄していたのか。その際に現地の機械と技術のみを使えば、〈知識チート〉にもならない。最後に、貯蔵庫とした転生者を自ら破壊し、経験値を引き継ぐ……。そうか、ふむ……」
王は拳を顎に当てる感心したようなポーズで言った。
「……なかなか面白い転生スタイルだ」
骸骨がかぱっと口を開けて称賛してくるのは、滑稽に思える。
ヒルダは王と対峙して言った。
「ありがとう、孤独な僭王。周囲を欺いてきたという意味で、あなたはわたしと同類ね」
「たしかに、後に経験値の糧となる魔族やオークと味方のフリをすることに罪悪感がなかったわけではないが、そんなことを恐れていては異世界転生は出来ない」
「ええ。侵略の一つの形だと思っているわ」
ヒルダは髪をかきあげながら、事も無げに言った。
王は別れを惜しむように言った。
「最後に、一つ疑問点を解消しておきたい。優先的に公式転生者として選出されるのは、前の世界で最も不幸だった者だ。しかし、お前はそうは見えない。どういうことかな?」
「あまり前世のことは話したくないの」ヒルダは答えを濁した。「でも、わたしは〈星図作成者〉の一派だった。その家族、その娘。それで、大体のことはわかるでしょう」
「……?」リデュケにはよくわからなかった。ただ、ヒルダの部屋にあった星座の版画を思い出した。
「そうか。別宇宙の太陽系の位置を特定するための天文学者の一団。そこに反対勢力がいて、転生システムに干渉していたとは」
よくわからないという様子のリデュケのために、ヒルダが言った。「転生者はみんな最初、故郷と転生先の環境の酷似に驚くと言うわ。でも夜に空を見上げたときに初めて、自分が全く別の世界に来たことを思い知らされる。星座の布置が大きく違うから。でも、月の大きさや太陽系の惑星は似通っている。そのような星系を探し目的地に指定するのが、〈星図作成者〉というスタッフ」
リデュケは、夜空を見上げて知っている星座が一つも無いときの気持ちを考えて少し悲しくなった。
「さて、俺は今からお前を破壊し、お前のコアにある認証コードを引き継がなくてはならない。
本来の〈異世界転生〉において転生回数は無制限、まさに輪廻を実装していたが。魔素のエネルギーを得られない今では、修復限界は死と同義だ。悪く思うな」
「無限回の転生なんて要らない。わたしはこの宇宙にしか用がないから」
「そうか……」
そう言って、王はまた射撃の形を取った。三度目だ。
「また〈チートスキル:パルサー〉。芸がないわね」
ヒルダは王の主な攻撃手段であるそのスキルをそう呼んだ。強力な電磁波を発する凶星。
続く射撃の閃光に、リデュケの目が眩んだ。しかし今回は、どんな破壊も引き起こされていなかった。
王が発した光線は進路を変えられて、ヒルダの周囲数メートルのところで周回し、輪になっていた。
空間を曲げてトーラス状にし、そこに光を捕縛している。光は自らが直進していると思いこんでいるように、減速せずに走り続ける。
上から見ると時計回りの回転によって、リデュケからみて左の光は遠ざかっているので赤方偏移し、右の光は逆に青方偏移している。
リデュケの霜がついたまつ毛がレンズフレア効果を起こして、光が縦方向に伸び、赤や青の、たくさんのキャンドルが立ち並んでいるように見える。
宇宙の摂理を乱すチートスキルの発動を、リデュケが美しいと思ったのは初めてだった。
〈チートスキル:クエーサー(準恒星)〉。
ステルスツリーと自動回避ツリー、そして範囲攻撃スキルを強化し続けて、三つの枝を統合して取得できる上位スキル。
空間の上のさざめく波である光属性チートスキルに対して、空間そのものを曲げるスキル構成はメタっている。王のスキル構成に後出しで対応することが出来たのも、今までポイントを温存していた効用だ。
ヒルダが束縛していた光を解放すると、それは反撃になった。
光は加速して、輪の接線に沿って、前方に射出された。自らの攻撃を倍増されて返された王は、上半身を吹き飛ばされ、丸い穴の空いた黒マントが虚しく宙を舞った。
光弾は王の牙城の壁を、玉座ごと破壊して瓦礫に変えた。発生した残骸と塵は、台風の目のような〈クエーサー〉に吸い込まれて、激しく摩擦を起こしながら周回軌道を回る降着円盤となった。
空気を切り裂く音を立てながら、ヒルダを中心とした円周を走る、プラズマ化した物質の輪。これが次の攻撃を防ぐ盾となり、攻撃手段となるだろう。
光の輪の中心にいるヒルダに、少し離れたところで見ているリデュケが声をかけた。
「王が一撃で……つよいヒルダ様」
「防御だけするつもりだったのだけれど、うっかり倒してしまったわ。強すぎて辛いわ」
「転生者特有の無双気分のところ悪いですが、おそらく王はまだ復活します」
リデュケは後ろのほうで、半壊した壁の陰から顔だけ出してそう言った。完全に観戦するだけの人になってしまったが、ヒルダに近づけないので邪魔にならないところにいるほうがいいだろう。
予想通り、塵が集合して王は無傷の形を取り戻した。その積層構造の鉱物表面の各所から細い光条が放出され、彼の敵に殺到した。背面から出たものは曲射ビームとなって。
しかし、それらはヒルダの肌に触れる直前に停止し、空中で虚しく震えていたが、その振動さえ止まってしまい、挙げ句その領域が暗く沈んだ。
転生者は熱を奪うことの延長として、熱の正体である微視的な運動を止めてしまう。
単に分子や原子の動きを止めて絶対零度にするだけではなく、空間の敷布それ自体が持つ細動すら止めてしまうので、時間が止まったように見える。
リデュケは思い出した。刻さえ凍り付かせる冷い瞳を持った彼女を、領民達は〝冷刻令嬢〟と呼んだのだった。
ヒルダはそのまま反撃の準備に入った。〈クエーサー〉の降着円盤が、水平に回転する天使の輪のようだったのをやめ、落としたフラフープのように地面を叩き始めた。ただし、岩盤を巻き込んで周回軌道に乗せ、加速させながら。そのようにして再び供給された物質をプラズマ化して連続で撃ち出していく。
その全ては王の掲げた掌の前で凍りつき、王の正面は黒い稲妻が立ち並ぶ剣山のようになってしまった。
お互いが防御と攻撃を同時に行い、両者は唸りながら耐えている。
ついに双方の障壁が破られてエネルギーが暴発し、爆発が起こった。どちらもダメージを受けた形だが、ヒルダは衝撃で後方に飛ばされていった。
リデュケが素早く駆けて、ヒルダが大きな柱に身体を強打する前に受け止めた。〈クエーサー〉が解除されたヒルダはただの小さな少女に見えた。
「お怪我はありませんか?」
「いたた……。やっぱり、レベル差が大きすぎたみたい」
「じゃあ、逃げましょ!」
「えっ?ちょっと待って!」
ヒルダが引き止める暇もなく、リデュケはヒルダを背中に乗せて、敵と反対方向に疾走し始めた。
「レベル差を縮めてからまた来ましょう!」
「待ってよ!勝てないとは言ってないでしょう!?」ヒルダが叫んで、リデュケの両耳を掴んで引っ張った。
「ええっ!えっ?えええ?」
リデュケは四本の脚で地面に砂塵を上げながら急停止した。
「わたし、わかったの。骸の王の倒し方が。いえ、全ての転生者の倒し方が」ヒルダが啓示的に言った。
「全ての?」
「転生者が何なのか、物理現象としての転生者が何なのか、理解できたと思うの。
転生者が時空間を簡単に曲げてしまうのも。表面に演目を刻印するだけで容易に制御できてしまう理由も。転生者が熱力学第二法則に反しているように見える理由も!
なにもかもが、転生者と、ある天体との類推(アナロジー)で、説明できるの」
「それって……」
「リデュケ、あなたが気づかせてくれたのよ。
あなたは一度、天の彼方にある、星々の光を歪ませる天体について話してくれた。
ドワーフとの会話で、私が寝たフリをしているときに、転生竜にまつわるヒントも教えてくれた。あれは、わたしがうっかり〈知識チート〉を発生させないように、気を使ってくれたんでしょう?」
リデュケは困ったような顔をして認めた。
「ええ。ある程度は気付いていました。でも、わたしは最後の結論を導けなかったんです。
だから、骸の王を倒すよりも説得することを選ばざるをえなかった」
会話が長くなりそうだが、二人は建物の陰にいるし、ヒルダが気配を消すチートスキルを使っているので、しばらく時間は稼げるだろう。
リデュケは自らの思考の道筋を話し始めた。
「わたしは転生者が熱力学第二法則、エントロピー増大の法則を破っているように見える理由を解明するために、転生者は質量を少しずつ失っているのではないかという仮説を立てました。
エネルギーと質量は相互変換可能ですから、転生者が自分の質量を犠牲に動力を生み出しているなら、仮想的な回転する重力源を利用した縮退炉として説明できます。
でも、普通の転生者化石では極めて微量な、計測不能な増減でしょう。だから、あの巨大な化石竜の事例を大規模な実験データとして使いました。
でも、鉱脈の空洞と竜の体積は全く同じだったんです。化石竜が地殻から地球のコアまで往復するというチートをやってのけた前後で、質量は増減していない。でもエネルギーだけ出てくる。やはり転生者は永久機関なのでしょうか?
熱を奪い地球のエントロピーを下げながら、自身は何も変化しないということがありえるのでしょうか?
別の宇宙から送り込まれた彼らは、我々の宇宙の物理法則の外にいるのでしょうか?
人間たちは、エントロピーのことを〝失われた情報〟とか、いろいろな別名で呼んでいますが、私達は〝壊れた情報〟と呼んでいます。壊れていても情報は情報です。壊れるのと消えるのは違いますから。
でも、転生者は破壊という罪を消してしまいます。罪とはエントロピーのことです。
たとえばわたしがヒルダ様の留守中に、勝手に料理をして、ヒルダ様の大切なお皿を割ってしまったとしましょう。普通は取り返しがつきません。でも、転生者を使って修復するとします。そうすると、ヒルダ様が帰ってきても、何も証拠が残っていません。これは、真の意味で、系全体に、情報理論的に証拠が残っていないんです。落としたときと落としていないときで、発生した熱すら転生者は奪ってしまうので、〝壊れた情報〟、つまりエントロピーが消えてしまったんです。
化石の竜もそうです。地下に潜る過程で、千の転生者がお互いを殺し合い、たくさんの罪を犯しました。でも、その痕跡は位置が変化した以外にありません。竜がいるときといなかったときで質量やエネルギーに変化はなく、したがってエントロピーは変化していません。これは、熱力学の第二法則を破っています。
だからわたしは行き詰まり、結論が出せなかったんです……」
リデュケはようやく話し終わった。
「いいえ、リデュケ。エントロピーは消えていない。転生者はエントロピーを保存しているわ」ヒルダが言った。
「どこにですか?質量は変わっていないのに」
「系全体の中で一つだけ、常に増大しているものがある。それは、転生者の表面積。
エントロピーは転生者の表面に保存されているの」
「表面??」
「転生者の集団の塊は、竜の形を取ることで表面積を増した。ブラックホールが合体したときに、表面積が増えるように。
ブラックホールが持つ情報量の全ては、事象の地平面の表面積に比例する。体積を成す立方体ではなく、表面の正方形をビットとして数えるべきなの。これを発展させたのが『ホログラフィー原理』なんだけれど。
転生者兵器もそう。レベルアップ毎に装甲が析出して悪魔のような形になっていくけれど、あれは表面積を増やしているの。
当たり前よね!あんなの脆くなるだけで、装甲の用を成していないもの。
転生者が表面に〈演目〉を刻印することで、何の内部構造もいじっていないのに、いとも簡単に制御できるのも、それが理由なの。表面こそが彼らの持つ情報の全てだからよ!」
一人で得心している様子のヒルダを、リデュケが止めた。
「ちょ、ちょっと知らない単語がいくつか出てきたんですが。〝ブラックホール〟?」
「ああ、この世界では呼び方が違うんだったわね。
「地質時代言語で、〝黒い穴〟?とてもキャッチーなネーミングですね。私達の世界でもそう呼んでいたら、もっと一般に有名な天体になっていたかも」
「透明になるために光を曲げてしまう。ワームホールのようなものを使ってワープする。
転生者は、最初からブラックホールを連想させるものだった。
わたしや王が使っているチートスキル〈パルサー〉や〈クエーサー〉も、ブラックホールや中性子星に関係する名前よ」
「でも、転生者はただの石ですよ?近づいても吸い込まれることはありません」
「もし人間サイズのシュワルツシルト半径を持つブラックホールを作ろうとしたら、元の天体は地球より大きく、太陽より小さいくらいになるけれど、転生者はそんなに重くない。
転生者がブラックホールそのものというより、仮想的なマイクロブラックホールを動力炉として持っていると考えたほうがいいわね。
マイクロブラックホールの存在は、転生者の眼を覗き込めば確認できる。
骸の王のように強力なものは、眼窩の中に、引き伸ばされて赤方偏移した光が、揺らめく瞳のようになって見えたでしょう」
リデュケは最後の疑問を表明した。
「じゃあ、チートスキルは何なのですか?
ブラックホールからは光すら脱出できないのだから、エネルギーが出てくるはずはありません」
「ブラックホールも熱を出していることが証明されたの。それが、ホーキング放射。
それは均一で何の情報も持っていない熱放射だと思われていたけれど、量子もつれによって表面の情報を持ち出すかもしれないと予測された。
それを、リデュケが言ったように縮退炉としてのエネルギーで増幅して利用するのがチートスキルの正体でしょうね」
リデュケは理解した。
要するに転生者とは、周囲の情報(原子の配列など)を熱を介して知り、自身の表面にプランクスケールのビット配列として精密に保存して、スキル発動時にのみ、情報を外部に取り出すもの、と定義される。
転生システムが転生者だけに与えた特権とは、七十八億個のプライベートなマイクロブラックホールのことだったのだ。
しかし、リデュケは嬉しいというより悔しいという表情で言った。
「わたしが発見したかった……」
「え……?」ヒルダはその伏せた顔を覗き込んだ。
リデュケの世界は生物工学が発展しているが、ヒルダの世界のほうが天体物理学では上を行っているようだった。少なくとも、エルフ達が秘匿している技術を抜きにしては。
だから、リデュケが知り得ない知識を元に、ヒルダの推理はなされたのだ。リデュケがどんなに考えても解けるはずのない問題だったのだ。
リデュケはちょっと涙目になりながらわめいた。
「ヒルダ様ずるい。そんなの、〈知識チート〉じゃないですか!」
「だから、そう言ってるでしょ!」ヒルダはつっこんだ。
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