第三章 舞踏会

料理


 鉱山防衛戦が終わった、次の日の夕方。

 リデュケは料理を背中に乗せて、ヒルダの部屋を訪れた。ドライアドは配膳車が要らないので便利だ。

「今日は鹿さんが給仕?」疲れから休んでいたヒルダが言った。

「私が作りました」

 召使い達は、明日の凱旋パーティーの準備で会場を設営している。ヒルダの両親も留守だ。

「昨日マナを使いすぎたので、補給のために魔素代謝植物をドライアドの森から採ってきたのですが――」

 リデュケは勝手に食卓の用意を始めながら言った。

「――ひとりでは多すぎるので、ヒルダ様にも召し上がっていただこうと思い、キッチンを借りました」

「魔素代謝植物……?」ヒルダは不安そうだ。


 リデュケは次々と料理を出していった。

「これは前菜の〈マナトナカイゴケのマリネ〉です」「次は〈マナエイランタイのスープ〉です」

 ヒルダは謎の料理名と共に並べられていく皿を恐る恐る観察しながら、質問した。

「この青い粉は何?意味がわからない」

「マナカルパシというコケの一種をスパイスとしてかけたものです。マナが豊富です」

 他にも青い部分はあるが、全部魔素代謝植物だ。

「マナ?人間が食べても大丈夫なの?」

「むしろ有益です。腸内細菌叢を戦場に例えるなら、魔素代謝菌は調停者です。悪玉菌を殲滅するわけではなく必要な程度に抑えます。色々あって腸内環境がととのい、セロトニンがドバドバ出て幸せになります」

「そう……」ヒルダは諦めて食べ始めた。

 リデュケもシェフの真似事をやめ、食卓についた。


 ヒルダはメインディッシュの段になって、鴨のローストのように見える料理を食べながら言った。肉をつつむ網脂に見えるのは、マナキヌガサダケという網状のキノコだ。

「これはお肉じゃない?わたしはてっきり、ドライアドは菜食主義だと思っていたわ」

「え?そう思っていたのに、この前は肉の入ったパンを食べさせようとしてきたんですか?」

「あれは、あなたの困ったときの顔が面白かったから。特に眉毛の角度とかが」

「そうですか……」わざとなら仕方ないとリデュケは思った。「でもあれは、炭水化物に困っていた顔ですよ。タンパク質は消化できます」

「じゃあいつも肉を食べているの?」

「肉と全く同じ成分と構造の植物を栽培しています。それを食べることもあります」

「ふーん」

 ヒルダはしばらく筋繊維を切り分けていたが、話を再開した。

「じゃああなた方は、その技術を人間にも教えるべきじゃない?人工的に肉を作る技術を。肉の生る木の苗を分けるべきよ。そうすれば獣を殺す必要がなくなる。もちろん、経験値目的以外ではね」

「それは……」

 ヒルダが何気なく投げかけたのは、他の問題にも関係する質問だ。なぜドライアドやエルフは、自分たちの高度な生物工学を他種族に教えないのか?気まぐれに現れて、ふたつか三つの魔法をひけらかして去っていくのではなく。

 一つの戦略的な視点では、当たり前のことでもある。潜在的な敵である異種族に、技術を分け与える理由はない。

 別の視点では、まだ人間には早いのだという考え方もある。与えればそれが人間族自身を滅ぼすだろうという懸念からくる親切心。

 しかし、倫理的には間違っているように見える。なぜ異種族の苦痛を見てみぬふりをするのか?そのいくつかを確実に、技術提供によって救えるときに。

 閉鎖的で疑り深いと言われるヒューマンでさえ、このようにリデュケを受け入れ、惜しみなく情報を与えてくれているのに。(もっとも、王都の研究機関はもっと秘密主義だ。人間以外の入学は、人間領に何世代も住んでいて文化的に同化された種族に限られる)それなのに、ドライアドは技術を独占したままだ。

 その理由を、ヒルダにどう説明すればよいだろう?


 黄昏時の部屋は、夕日の色と青紫が陰影にオーバーレイされている。グリザイユ画法のように。広さを持て余すような豪邸に、種族の異なる二人しかいないときにするべき会話とは何だろう?


「ヒルダ様……」リデュケは部屋に飾られた絵を見ながら話し始めた。地動説をなんとか国教に合わせようとした宗教画だ。

「もし、この惑星と太陽以外にも、生命のいる星系が、星図のどこかにあったら。我々以外の生命がどこかの星座にいたら。それはどのような歴史を辿ると思いますか?」

「急に何?宇宙魔法生物学でも始めるの?」

 ヒルダはからかったが、リデュケの視線を追ってから答えた。「そうね、地球だけでもこんなに奇妙な種族がいるのだから、全く異なる、想像もつかない歴史ではないかしら」

「そうですね。でも、進化や捕食、生殖という要素を持つことはここと同じである確率が高いと思います。というのも、根本的な素材と動作原理が限られているからです。この宇宙が初期設定デフォルトとして用意できる選択肢の種類が」

「そう?みんな自分と似ているはずだと思うのは、自己中心的だと思うけれど」

「これは確率論的な話なのです。何種類かの元素が入ったおもちゃ箱を振り混ぜて、出来上がるおもちゃの種類は確率に支配されます」

「よくわからないわ、その喩え」

 リデュケは食事中特有のゆっくりとしたペースで話すことにした。

「具体例を挙げましょう。例えば、地球生命は炭素ベースですが、転生者化石のようにケイ素をベースとした生命が、宇宙のどこかで発生してもよさそうなものです。しかし、ケイ素の分子結合は、炭素のそれに比べて、強靭さやバリエーション数で大きく劣ります。

 そして、生命誕生の舞台となるべき惑星表層の海では、軽い元素であり、しかも宇宙で四番目に多い元素である炭素が、ケイ素よりもずっと手に入りやすいでしょう。ちなみに三番目に多いのが酸素で、そのごく一部が魔素ですから、宇宙全体にまあまあ魔素は偏在しているわけです」

 ヒルダは魔素という単語に興味を持った。

「そういえば、魔素は宇宙にもあるのよね。宇宙人も魔法を使えるってことが言いたいの?」

「使えるでしょうね、自然言語さえ持っていれば。でも、それは今言いたいことではありません。ついでに言っておくと、真空には魔素がないので恒星間移動を魔法に頼るのは難しいでしょうね。転移魔法も、魔素によって仲介されるので宇宙を転移しまくるのは難しいでしょう。

 ……話を戻しましょう。宇宙に生物がいても、それは構成元素のレベルで似通ってくるだろうということです。

 豊富にあって利用しやすい、水素、酸素、炭素を主元素として使う生物――つまり我々のような生物は、ありきたりな存在であるはずです。

 そして構成要素が似ているなら、構造や動力も似てきます。

 ですから、この地球と同じように酸化還元反応と化学浸透共役を動力とする細胞と、核酸で出来た細胞内呪詛を自己複製子として持つ生命体になり、個体の相互作用は進化というプロセスとして理解されるでしょう。

 それは、いわゆる弱肉強食と表現される食物連鎖を生み出してしまいます。たとえ、知性が生まれてからもしばらくは」

「ああ、話が見えてきたわ。あなたは、そういう異星でも今まさに、動物は苦しんで死んでいっているのだから、ドライアドの領地の隣で起きていることも、それと同じだと言いたいのね?自分たちには関係ないから、救う義務はないと」

「そ、それは……」

「気にしないで。理解できるわ。全てを救うことは出来ないのだから」


 リデュケはてっきり、動物を殺さないことそのものがナイーヴであると評されると思っていた。生物は他の生物を食べて生きているのだから、我々もその数億年の由緒ある慣習に従うべきだという説教を聞かされると思っていた。実際人間たちはほぼ全員そのような思想だ。

 しかし、ヒルダが言ったのは逆だった。全ての動物の苦痛を消すという発想があるのに、それは到底達成できない目標であるという諦観をスタートにしている。理想を持っていることではなく、理想を実現できないことが批判されているのだ。


 リデュケは先取りされた議論の方向を自分の予定通りの進路に戻した。

「わたしが言いたいのは、例えばもし、そのような惑星を見つけたとき、我々にはそれに干渉する権利があるのかということです。個々の苦痛ではなく、その生物圏全体の歴史に。これは、密林の奥地でトロールの新部族を見つけたときにも生じる問題です。彼らの文化を破壊してよいのか」

「あなたは人間という蛮族に干渉してるわ。特に、わたしという個体に熱心にね」

「はい。でもこれは、化石の研究のために必要な範囲内です」

 ヒルダは不作法にも、フォークの先でリデュケを指して言った。

「あなたはわたしに干渉している。あなたにはわたしを助ける義務があるの。わたしの操演盤の横に設置された毛玉として、残りの人生を送るという義務が」

 ヒルダはドライアドの寿命を十年くらいだと見積もっているのか?

「それだけですか?」

「どういう意味かしら?それ以上のことは求めていないわ」

「他に、助けを必要としている事柄はありませんか?ご命令さえくだされば、私には拒否できません。どんなことでも」

 ヒルダはふいに苦しそうな顔になって、目をそらした。人工肉には喉に詰まるスジや腱など無いのに。そして、フォークを置いて言った。

「いいえ。鹿に借りる力などないわ。せいぜい、また敵の伏兵が来たときにわたしを護衛することを忘れないように」

「わかりました……」

 たしかに、ヒルダを置いて戦場に行ったことは後悔している。しかしそうしなければ、要塞は陥落していただろう。

 そろそろ食器を下げる時間だとリデュケは思った。

「あと、次はもっと青色を減らすように」

 ヒルダは口を拭いながら言った。

 注文をつけられたということは、また料理を振る舞ってもよいということだとリデュケは理解した。


 リデュケは二人分の食器を洗ってから、下宿に戻る前に、おやすみを言うためにヒルダの部屋に戻ってきた。

「明日のパーティー、あなたは来ないの?」ヒルダは戸口で訊いた。

 凱旋パーティーという名目で、この屋敷は明日、各地からの招待客に開放される。リデュケは行きたくても、人間の貴族以外、ましてや異種族は招待されていないのだった。

 リデュケは微笑んで言った。

「明日は、楽しんでいらしてくださいね」

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